「なあんか気になるんだよねえ、あの男」
それはもう何杯目になるか、神威はストローで盛大に音を立てながらコップの中に残ったオレンジジュースを飲みほした。隣の席の子供連れの母親があからさまに眉をしかめた。ドリンクバーで粘る神威たちは昼下がりのファミレスにはどうしたって似合わない。
「アンタはまずマナーを気にしろ」
「やっぱりあの『高杉』じゃないのかな」
神威の目の前の大男、阿伏兎の小言も意に介さずに、神威は先ほど平らげたハンバーグセットの皿に残ったデミグラスソースを人差し指ですくいぺろりと舐めた。
「なんでそう思う」
「うーん、勘?」
にこっ、と笑った顔は人好きするような印象を他人に与える。阿伏兎はため息をついた。
「アンタの勘が悪くないのは知ってるがな、そんなもんで上は動いちゃあくれねぇよ」
「動かなくていいよ。俺一人でやるから」
「アンタが動くと面倒事にしかならねぇんだよ!…ったく、少しは自分のトラブルメーカー体質を自覚してくれ」
「俺がトラブルを起こしてるみたいな言い方だね、失礼だなあ」
「その通りだろうが」
阿伏兎は、となりの母子がこちらの話に気づいていないことを確認しながら次の言葉を口にした。
「それより、志村が持ち逃げした『アレ』はどうなった」
「ああ、」
阿伏兎の隣の母子を警戒する視線に気づいた神威も、ちらりと横目でそちらを見遣る。子供は大きなチョコレートパフェに夢中になっていて、母親はそれを慈しむような表情で見つめている。俺も食べたいなあ、あとで注文しよう、などと思いながら、神威は阿伏兎との会話を続ける。
「もう一度あのアパートに行って探してみたけどそれらしいものはなかったよ。志村は売人だけど、自分ではやってなかったみたいだし、俺らが踏み込む前にどっかで売りさばいて金にしちゃったんじゃないかなあ」
「そうか……そうだとしたら厄介だな。素人に売りさばいたんならともかく、どっかの組織に売られちまったんじゃあ頭の面目丸潰れだ」
「ねえそれより、やっぱり俺はあの男が気になるなあ」
神威はもう一度、同じ疑問を口にした。神威にとっては、盗まれた麻薬も、逃げた売人もどうでもよかった。もっと興味をそそるものが、今の神威にはある。
あの日、志村の妻と娘を殺した日。警官として現場に戻ってきたときに事情を聞いた隣人の男。表札には『高杉』とあった。それは神威が知るある殺し屋と同じ名前だった。
「偶然じゃねぇのか。高杉なんて苗字珍しくもねぇだろう。それに殺し屋なんて職業で本名を名乗るヤツがいるのか?」
「わからないよー。殺し屋なんて並みの神経してたらできないもの」
阿伏兎は神威が人を殺すところを何度も見てきた。血の海の中で最後の命乞いをする相手を、容赦なく撃ったこともある。そんなとき神威は決まって、あの楽しそうな笑顔をしているのを思い出した。こんな世界にいる以上、「人を殺してはいけません。人の命は尊いものです」などとのたまうつもりもないが、確かに根っからの殺し屋である神威の神経は自分にはわからない。
「しかしな、それは完全にお前の興味だろう。ヤツが本当にあの高杉だったとしても、俺らには何の関係もない」
「わかってる。だからこれは俺が独自で調査する」
「そりゃあ勝手だがな。例えそいつがアンタのいう殺し屋だとしてどうする?」
「そうだね、ダンスにでも誘ってみようかな。……殺し合いの」
「奴は組織にゃ関わりがねぇし、殺す理由もねぇ。アンタが殺すのは勝手だが、その尻拭いをするのが俺だってことを忘れてもらっちゃ困る。それにアンタにはもう一つ仕事があるだろう」
「ああ、あの子供のこと?」
志村のアパートの部屋を襲撃したときに、二人いると聞いていたはずの子供は一人だけだった。あの時、子供があの場にいたとしたら、殺さなくてはならない。
「調べてるんだけどねえ、志村は子供に学校すら行かせてなかったらしいから、情報が少ないんだよね。もうあの辺にいないことは確かだと思うけど……その辺で野垂れ死にしてるのかな。そうだったら殺す手間が省けていい」
正直、子供には興味がなかった。子供は弱い。弱いものを殺したところで何の達成感も得られない。強い者を殺してその屍を見下ろしてこそ、神威の自尊心は満たされるのだ。
「だけど死体すら出てきてないってことは、大方どこぞのお人好しが匿ってるんだろうさ。そいつも馬鹿だよね、そんな子供に関わってたらどうせ自分も殺されるのに」