白銀ノ語リ


紅ニ染マル白
2015年8月18日 10:50





窓に吊るしていた風鈴が生温い風に吹かれて僅かに揺れる。風通しを良くする為に開け放たれた室内に風鈴の涼やかな音が響いた。しかし、残念ながら風鈴の音だけではこの茹だるような暑さは紛れない。
ここ数日続く猛暑に加え、外からは蝉の鳴き声が聞こえてきてよりいっそう暑さに拍車をかける。
クーラーがない万事屋の中は常に蒸し風呂状態だ。万事屋に唯一ある冷房器具は古い扇風機だけだが、高温の室内で使用する扇風機ほど無意味なものはない。
拭っても止めどなく流れる汗。冷凍庫に保存していたアイスはもうすでに全部食べてしまった。氷すらない。
扇風機の前を陣取って幾ら団扇を扇いでも涼しくはならない。寧ろ暑くなる一方だ。

「…銀ちゃん…私、もうダメよ…そろそろお花畑が見えてきそうネ」
「お花畑か…ここより涼しそうだな…俺も一緒に連れてってくれよ…なんなら川も渡っちゃおうぜ…」
「川…いいアルな…スクロールしていいアルか」
「いいんじゃねェの?俺も今なら泳げる気がする…バタフライで川渡れる気がする」
「銀さん!神楽ちゃん!戻ってきてください!バタフライどころかあの世にフライアウェイですよっ!」

新八が割烹着姿で昼食の素麺が置かれたお盆を運びながらツッコミを入れる。
居間の入口付近で仰向けに寝転がっている定晴を踏まないように気を付けながら中に入ってくる新八。
新八の声を聞いてついさっきまで暑さにやられ床に突っ伏していた神楽が飛び起きる。
目を輝かせてテーブルの前に座る神楽とは対照的に銀時は扇風機の前からは動こうとせず、いつも以上に死んだ目でテーブルに置かれた素麺を眺めている。

「銀さん、素麺食べないんですか?」
「あー…食欲ないんでパス」
「夏バテですか?朝も食べてないじゃないですか」
「さっきイチゴ牛乳飲んだから大丈夫だって」
「イチゴ牛乳は主食になりませんからっ!……少しでも良いから食べてくださいよ」
「ぱっつぁん分かってねェな…俺の主食はなァ、昔からイチゴ牛乳と糖分って決まってんだよ!」
「糖尿病寸前のオッサンが何言ってるんですか」
「つーわけで、イチゴ牛乳買ってくる」
「あ、ちょっと銀さん!素麺は!?」
「いらねー神楽にでもやっとけ」

重い腰を浮かして漸く扇風機の前から立った銀時は腰に木刀を差し、財布を引っ付かんでさっさと出ていってしまった。
何時も以上に気だるさが見える銀時の背を新八は溜息混じりに見送った。
一切手をつけられないままテーブルに置き去りにされた素麺。それを神楽がじっと見詰めていた。

「……神楽ちゃん食べる?」
「うぅん」

首を横に振る神楽。
余りものどころか時には他人のものまで盗って食べようとする大食いの彼女が遠慮するなんて珍しい。もしかして彼女も夏バテなのだろうか。
神楽ちゃん大丈夫?と心配する新八に対し、神楽は鬱陶しそうな表情を浮かべて「何、心配してるアルか」と新八の頭を殴る。

「これは銀ちゃんの分アル…帰ってきたら食べさせれば良いネ」
「神楽ちゃん…もしかして銀さんのこと心配して…」
「幾ら銀ちゃんがマダオでも倒れられたら困るネ」
「そうだね…じゃあ、ラップして冷凍庫に入れておこうか」

神楽の言葉に小さく笑いながら新八は銀時の分の素麺を台所に持っていく。
銀時もスーパーで涼んでくれば幾らか元気を取り戻すだろう。そうしたら少しでも良いからこの素麺を食べてもらおう。
素麺にラップをして冷凍庫にしまった後、定晴にドッグフードをあげて神楽と一緒に素麺を啜った。






*   *   *






昼食を食べたくなくて逃げるように万事屋から出てきた銀時は炎天下のもとフラフラと歩きながら後悔していた。
外が、太陽の下が、こんなにも暑かったなんて思ってもみなかった。
拭ってもダラダラと流れる汗。前に進む度にグラグラと揺れる視界。
これ、スーパーに辿り着く前に倒れるんじゃね?
兎に角、一度日陰に入ったほうが良いかもしれない。
大通りから外れ路地裏に入ると直射日光を浴びない分、幾らか暑さはマシになった気がする。ただ湿気が多いのかじめっとして空気が重い。
取り合えずこのまま近くのスーパーまで向かおう。
相変わらずフラフラと覚束無い足取りで歩いていると不意に複数の人の気配を感じた。
ただのゴロツキか?それともヤクザか?いや、攘夷浪士かもしれない。
木刀に手を掛け、周囲を警戒する。
数は十、二十ってところか。それくらいならこの木刀ひとつで始末できるだろう。
一つの気配が動いた。
木刀をつかむ手に力を入れ、目の前の影を見据える。

「―――漸く見つけました」

銀時の前に現れた影が声を発する。同時に複数の影が出現して銀時を囲む。
腰帯から木刀を抜いて構える銀時に警戒して周囲の影も自らの腰に差している刀をつかむ。しかし、目前の影だけは腰の得物に手を掛けず、それどころか周囲の影に対して制止を掛けた。

「武器から手を離しなさい。…私たちは闘うために来たわけじゃない。ただ話をしに来ただけなのです」

リーダーと思われる影の一声で周囲の影たちが刀の柄から手を離す。
銀時だけは警戒を緩めず、木刀の切っ先を目前の影に向けた。

「テメェら何者だ?俺に何の用だ」
「ああ、申し遅れてすみませんでした。…私は坂井智広と申します」

一歩前に出た影の姿が露になる。
艶やかな黒髪を首の後ろで一つに束ね、銀時を見詰める大きな瞳は赤色、そしてその腰には立派な刀が差してあった。いかにも好青年に見える彼だが、格好からして浪人だろう。
坂井と名乗った青年が銀時に向かってニコリと笑う。

「坂田銀時さんで間違いないですよね?」
「………」

沈黙を肯定と捉えた坂井が話を続ける。

「私たちは貴方を誘いに来たのです」
「誘い…?なんだ、そんな物騒な成りで合コンでもすんのか?」
「合コンよりも素敵なことですよ。きっと、賑やかなお祭りになることでしょう」
「へェ、そりゃあどんな祭りだよ」
「将軍の首を飾る祭りですよ」

この廃刀令の時代に得物を差している時点で薄々気づいていたがやはりこいつら攘夷浪士か。
このままこいつらに関わっているときっと面倒なことになる。逃げた方がいいか。

「白夜叉である貴方ならきっと将軍の首をとれるでしょう」
「それ、いつの話?俺ァはもう攘夷活動はしてねェ、ただの一般人だ。将軍の首をとりたきゃ、他の奴を当たれ」
「私の誘いを断ると?」
「そう聞こえなかったんならはっきり言ってやるぜ。俺ァは将軍の首をとる気なんてさらさらねぇよ」
「………そうですか…」

では、と坂井がスッと手を上げる。
銀時を囲んでいた影たちがおもむろに刀を抜いた。薄暗い路地裏で怪しく煌めく鈍色。
話をしに来ただけじゃなかったのかよ、とツッコミを入れる銀時に坂井は「最初はそのつもりだったんですがね」と困ったように笑う。
刀を構えた影の一つが銀時に向かって突っ込んできた。咄嗟に刀を木刀で受けとめ、思い切り弾く。
グニャリと歪む視界。一瞬足から力が抜けて体勢を崩しかけるが何とか踏み留まって次の攻撃を受け流す。
既に息が上がっている銀時を坂井は不思議そうに見ていた。

「おや、もしかして具合でも悪かったんですか?」
「はァ?んなわけねェだろ!どんどんかかってこいよ!全員ぶっ倒してやんよ!」

木刀の先で襲い掛かってきた影の腹を突く。地面に倒れ咳き込んでいる影の首根っこをつかんで更に向かってきた影たちに向かってそれを放り投げた。
尋常ではない汗が流れ頬を伝ってポタポタと落ちた汗が地面に黒い染みを作る。動く度に目の前が揺れて気持ちが悪い。不味い、こんなことになるんだったら無理してでも飯を食べるべきだった。
万事屋を出ていく時に垣間見えた子供たちの顔が脳裏に浮かぶ。
今度こそ足から力が抜けその場に崩れる銀時。チャンスと言わんばかりに影たちが一斉に向かってきた。

「―――そこで何をしている」

降り下ろされかけた刀がピタリと止まる。
影たちは顔を見合わせ、見物をしていた坂井に目を向ける。
坂井も不味いと悟ったのか地面に倒れ喘いでいる銀時を置いて路地裏の闇へと去っていった。
少しして坂井たちが姿を消した反対側の影から見慣れた男と見覚えのある白い物体が姿を現した。

「銀時!?」

見慣れた男―――桂小太郎が驚いた顔をして此方に駆け寄ってくるのを最後に銀時は意識を手放した。









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