「…あれ?」
ゴムベラを片手にロディマスが首を傾げる。視線の先にあるのはステンレス製のボウルにへばりついた“元“チョコレート。火加減を誤り、底が黒く焦げついたそれをゴムベラの柄でガンガンと叩きこそげ落とそうとするが、ガチガチに固まったそれは、容易に落ちそうになかった。
「うーん…」
唸りながらとりあえずボウルを下ろし、ガスコンロに火をつける。そして
「待たれよ。ロディマス殿」
たまりかねたドリフトがロディマスを制し、ガスコンロの火を消した。頭上に?を浮かべるロディマスに冷や汗が出るのを感じながら、ドリフトが口を開く。
「湯を張って重曹を溶かし、一時間程置いておけば焦げ付きが剥がれ易くなるはずにござる」
「…どこにある?」
「右の引き出しの一番下」
もとはと言えばドリフトは、夜半に小腹がすいた為、何か軽食でも…と船のキッチンにやってきたのだった。そこで大量のチョコレートを抱えたロディマスと鉢合わせ、彼が手料理など珍しい事もあるものだ。と好奇心と共に微笑ましい気持ちで作業を見守っていたのだが、このままでは確実に被害が出る…具体的には、ウルトラマグナスが腹痛でリペアルームに担ぎ込まれるであろう嫌な予感に、とうとう待ったをかけてしまった。
「なあドリフト」
「なんでござるか」
「これなんとかして食べれないかな」
「…それは無理と言うものにござる」
油分とカカオが分離し、テラテラとした光沢を放つコレは既に、甘苦く焦げ付いた匂いのする“名状しがたいチョコレートのようなもの“と化している。
「はあ…」
思わず漏れたため息に、ロディマスがシュンとなる。その子犬が耳をと尻尾を垂れさせているような姿に、ドリフトが幾ばくかの憐れみを感じたのは確かだが、それを差し引いてもコレは無い。絶対無い。
ドリフトは頭部に軽い疼痛を覚えながら、さてこの状況にどうやって埒を明けるべきかと、今度は心中でひっそりため息をついた。
* * *
「そもそも如何なる理由があって手作りチョコを?」
いったいどこから用意したのか(そしてどうやって着付けたのか)割烹着を装備したドリフトが、ざくざくと手際よく板チョコを刻みながら問いかける。
ロディマスはと言えば、彼の向かいでドライフルーツとナッツをこれまたざくざくと…まな板の上からこぼしながら刻んでいた。
「何故も何も、明日はバレンタインだからさ」
バレンタイン?と不思議そうな顔をするドリフトにロディマスは少々驚きながらも(彼は比較的地球人の風習や文化に興味がある方だったから)ふむ、と少し考えて、なるべく分かりやすいように説明を試みる。
「バレンタインっていうのは地球の祭日さ、自分の愛する人…妻や夫、あるいは恋人に贈り物をする日なんだ。想い人に愛の告白をするっていうパターンもある。もうちょっと気軽に友達や家族でプレゼントを贈る事もあるみたいだけど、基本的には恋人同士の日だよ」
「成る程、それでウルトラマグナスへ」
言う前に相手を言い当てられ、気恥ずかしいようなむず痒いような…いややっぱり嬉しいな。彼の目から自分達は、ちゃんと恋人同士に見えるのか。
「君も、パーセプターに何かプレゼントしたらどうだい、材料なら提供するよ」
意趣返しに彼の恋人の名を口にすれば、その目元がふと柔らかくなる。
「……ふふ、それは良き考えにござる。ならば有り難く頂戴するとしよう」
はにかむような微笑みと共に、チョコを刻むスピードが少し早くなった。コホンとひとつ咳払いをして、彼は手元に集中しだしたけれど、その顔には何時もとは違う穏やかさがあって、頭の中を覗かなくたって、彼がパーセプターの事を考えてるってすぐにわかった。
「喜んでくれるといいな」
「そうでござるな」
* * *
彼は不機嫌だった。
のしのしと、床を踏み抜いてしまうのではないかと危惧してしまうような歩き方は、普段の理知的で厳格な姿からは想像もつかない。その如何にも頼りがいのある大柄な体躯も、今ばかりは近寄りがたい原因でしかなかった。
「うわっ!」
「っ!…すまない、大丈夫か」
挙げ句、向こうから歩いて来たパーセプターに気付かず、肩を思い切りぶつけてしまった。尻餅をつき掛けた彼をとっさに支え、慌てて非礼を詫びる。
「ああ、おかげさまで大したことは無い。しかし君ともあろう者が、いったいどうしたんだ?」
もしかしてまたロディマスかい?その的確すぎる言葉に、またとは何だとウルトラマグナスは思わず苦笑するが、実際ロディマスが理由なのだからあまり笑えない。自然眉間のシワが深くなり、ため息を漏らしていた。
「何か、重大事でもあるのか?」
渋面を作って黙り込むマグナスを見て、パーセプターが僅かに居住まいを正す。
「いや、船の運航に滞りは無い」
「…差し出がましいようだが、とても滞りないという顔には見えないぞ」
その表情は変わらずとも、声に含まれる気遣わしげな雰囲気に気付かぬほどマグナスは鈍くない。重大事どころか私事でパーセプターを心配させてしまったのを胸中で恥じつつ、隠すほどでも無いと不機嫌の理由を話す事にした。
「いや、ついさっきロディマスに訳も解らず追い返されてしまってな」
「え?」
「ちょっとした報告があって…まあ別段急ぎの案件ではなかったのだが、早目に越した事はないとロディマスを探していたんだ。反応を探したらキッチンにいたから、夜食でもつまんでいるのかと思ったんだが、妙に帰りが遅くてな、様子を見に行ったんだ。中を覗けば案の定ドリフトと何か調理をしていて、一声かけようとした瞬間、ロディマスが取り乱した様子でこちらに向かって来たと思ったら、「わーっ!、まだ秘密なんだ!」と言いながら扉の外に追い出されてしまって、おまけに鍵まで掛けられてしまってな…全く、突拍子も無い行動には慣れたつもりだったんだが…」
そこまで言葉を続けた所で、ふとウルトラマグナスはパーセプターの様子がおかしい事に気付いた。
彼の反応が無い。
「パーセプター?」
どうしたのかと背を屈めてパーセプターの顔を覗き込み……ギョッとして思わず後退った。
完全に目が据わっている。
それどころか、怒気というか不機嫌が視認出来るのではないかというほど、彼の体から滲み出ており、先の自分の数十倍は近寄りがたい空気を纏っていた。
「そうか…ドリフトとロディマスが…」
そのかすかな呟きにマグナスははっと思い出す。一部の口さがない者、というかゴシップ好きが立てた噂の中に「ロディマスとドリフトが付き合っているらしい」というものがあるのを。
勿論その噂はガセであり(それに万一ロディマスに手を出そうものなら容赦なく船から叩き出してやる)当のドリフトは根も葉もないそれに顔をしかめていたが、どうやらパーセプターはそうではなかったらしい。
「二人で料理をしていただけだぞ」
いらぬ火種を撒いてしまった事に、マグナスは冷や汗を流し、慌てて弁護するが、果たして彼の耳に届いているのだろうか。
「何も、問題ないようだな」
「あ…ああ…」
歴戦の勇であるマグナスすら怯ませるに充分な負のオーラを背負いながら、パーセプターはくるりと背を向け、スタスタと…いやのしのしと、それこそ床を踏み抜きそうな勢いで歩いて去って行く。
それを眺めながらマグナスは、あとで彼に2・3日程休みを作ってやろう、そうしよう。と心中でドリフトに謝り倒した。
* * *
イライラする。
ムカムカする。
気の遠くなる年月を経て、やっと戦と関係のない研究を好きにしているはずなのに、全く集中出来ない。
じりじりと胸中を焦がすのは白い機体。
悋気を起こしている自覚はあった。
そしてそれが杞憂であろう事も。
わかっているのに押さえられない、心だけが空回りして、曖昧模糊とした重苦しさだけが胸の中に溜まっていく。
今のドリフトの立場を鑑みれば、共有する時間の多い彼らが仲良くなるのも不思議は無いし、仲良くするのになんら不都合な事は無い。
かつてに比べて、客観的に見ても彼の仕事量は増えている。不慣れな事も多いだろう。現に最近の彼は何時も忙しそうにしている。要領よく仕事をこなし、上手い具合に時間を作れるようになるには、まだ経験が必要なのだろう。
そう、何も悪い事なんて、無い。
彼は何も悪くない。
何百何十回も、自身に言い聞かせるように同じ答えを繰り返す。でも
「ドリフト」
私がこんなに苦々しい思いをしているのは、絶対に彼のせいだ。
鬱屈した気持ちのまま、だらだらと時ばかりが過ぎていき、とうとうパーセプターは今夜の作業を断念した。どうせ何に急かされる訳でもない、もう寝てしまおう。
扉の表示を就寝中に切り替え、鍵を掛けて部屋の灯りを消して寝台に倒れ込む。毛布を掴んでひっかぶり、身体を丸めれば、スプリングがぎしと鈍い音を立てた。
「ドリフトの馬鹿」
寝台が何時もより広く、寒々しく感じるのもきっと、彼のせいだ。
* * *
彼は喜んでくれるかな。
きっと喜んでくれるはずだ。
「おーい、ウルトラマグナス。扉を開けてくれ」
コンコンコンコンコンコン…ロディマスがひたすら扉をノックし続けていると。数十秒程してプシュ、と軽い音がして扉が開いた。
「お邪魔させてもらうぞ」
「…おたくは就寝中の表示が見えなかったのか?」
元気溌剌といった様子のロディマスとは対照的に、寝ている所を叩き起こされたウルトラマグナスは少々気怠げだ。
「人を追い出したり飛び込んで来たり、いったい何なんだ」
「あー、うん。まあ立ち話も何だし取り敢えず中に入れてくれ!」
それはそうだが、それはあんたじゃなく部屋の主が言うべき台詞だろう。と思いながらも、勝手知ったるとばかりに収納式のテーブルと椅子を引っ張り出す朱色に、マグナスはまあいいか…と諦め、もとい許容する事にして、自身も部屋に戻った。
「それで?何の用だ」
「うん…えーとさ…」
根が闊達で、はきはきと喋る質のロディマスが珍しく言いよどむ姿に、マグナスが怪訝な顔をする。うつむき加減の表情は少し不安げで…それでいて何か楽しい事があるのを待ちきれない、そんな雰囲気に、どうするべきか少し迷う。
「…マグナス」
ロディマスがゆっくり息を吐きながら瞳を閉じ、そして意を決したように目を見開いてマグナスを見上げる。一拍置いてマグナスの目の前に突き出されたのは、何とも可愛らしいピンク色の包装紙でラッピングされた箱だった。ご丁寧にオレンジ色のリボンまで掛けられている。思いもよらぬそれに柄にもなくきょとんとしていると「ん!」と箱を近づけられ、受け取れという意味だと解釈し、それを手に取る。
「コレは…」
気づけば箱からはふわりと甘い香りが漂っていて、なかみは菓子であろうと推測出来た。
「ウルトラマグナス!」
先とは打って変わって弾むような声で、ロディマスが名前を呼ぶ。マグナスが再度顔を向けると、そこには満面の笑みで彩られたロディマスがいた。
「俺はあんたが大好きだ。愛してる!」
数秒の思考停止の後、気づけばマグナスは愛しい愛しい恋人を腕の中に抱きしめていた。言いたい事は幾つかあったが、それよりも今優先すべきは言葉でなかった。
「ロディマス」
開き掛けた唇に自身の唇を押し当て、ちゅ、ちゅ、と二・三度軽くはむように口付ける。触れ合う唇が緩く孤を描くのを感じながら舌を差し入れると、ロディマスも積極的に舌を差し出し、絡めたり吸い付いたりと、二人は情事の時のように濃い口付けを交わした。
「ふふっ」
「何だ」
「バレンタインっていいなって」
バレンタイン…そうか、成る程な。