お久しぶりです。
2か月以上も書くことができませんでした。
忙しかったというよりは、
私の心に余裕がなかったからです。
追記に祖父が亡くなった話を書きます。
そのままの気持ちなので読んでも
気分のいいものではありません。
ご注意ください。
6月15日に闘病していた祖父が逝きました。
私は連休を取って母と二人で祖父に会いに行ったその日に逝きました。
祖母と母と叔母と私に看取られて、ゆっくりと穏やかに息を引き取りました。
人が亡くなる瞬間、というのに初めて立ち会ったのですが、何だか私には現実味がなくて、祖母や母、叔母が必死に祖父を繋ぎ止めようと声をかけていたのに、私も何か言葉をかけたいのにうまく声にも言葉にもならなくて呼吸はだんだん消えていってそれでも私は手を握ってただ涙を流すことしかできなくて
呼吸が止まって、心臓が止まって
時間が止まった体がまだ温かいのが
なんだか矛盾していて
うまく受け止めることが出来なかった。
母の実家は十勝地方です。
私たちの今の住まいは札幌なので、
一度家に戻って喪服用意しなきゃとか
仕事休む連絡しなきゃとか
通夜葬式いつになるだろうとか
何日仕事休めるだろうとか
受け止められない現実のはずなのにどこか現実的に考えてる自分が厭だった。
翌日の早朝、札幌へ戻って、数日分の自分の荷物やゆずの荷物の用意をして夕方には祖父の元へ戻った。
半日離れていた身体は冷たくなってたけど、柔らかさは残したままだった。
通夜葬儀は滞りなく終わり出棺。
あんなに大きな人だったのにこんなに小さくなるものなのかとなんかよく理解できなかったけどただ悲しくて涙が止まらなかった。
先日四十九日法要が終わって納骨が終わりました。
何となく、やっと自分の中でも一区切りできたような気がします。
これ書きながら泣きそうで鼻の奥がツンツン痛いんですけどね。
お盆休みは2日しかないですが、金曜、土曜と連休をもらえたので初盆ですし、お墓参りへ行ってきます。
言いたいことも伝えられずに大好きな人と別れるのはとても辛く悲しいことです。
でもいざその瞬間を迎えると、人って案外何もできないものなのかもしれません。
だからこそ普段からありがとうだとかごめんねだとか言葉を伝えることは大切なんですね。
祖父に対して悔いが残りました。
あんなに可愛がってくれたのに、その愛情に対してありがとうと、言葉じゃなくて態度でもいいからもっと表現することができたんじゃないか、そういう悔いが残りました。
だから一日一日を大切に、言葉でも態度でも相手に伝わるように、プラスの感情は伝えなくてはいけないとそう思います。
好きな人に好きって伝えるのも、上手くいえないごめんねも、ちょっとしたことのありがとうも、生きて元気な時に言えるのが一番だとやっと理解したのかもしれません。