悩んでは忘れて
悩んでは忘れてを繰り返す日々

忘れられるくらいなら悩んでないって言われるだろうけど
何度もこの同じことを思い出しては辛くなって
でも頑張らなきゃいけないってなるけど
そのためには自分ひとりではなにもできなくて
誰かを頼りたいけど頼れる人もいなく
いつも頼ってると申し訳なくなって
結局なにもできなくなってを繰り返して

いい加減この年なんだし
親から離れるべきだと思う
これはほんと前からずーっと思ってるけど
そのために親を頼ろうとしてる自分がいて


結局一人じゃなにもできないんだってこれの無限ループ


挙げ句には
そもそも頑張ったって誰もほめてもくれないし
結局自分ひとりでどうにかしなきゃいけなくてって
それを繰り返しては自分の中で折り合いつけたり
閉じこもったり


早く結婚したいって思ってる理由は
自分の支えとなる家族が欲しいから
誰かのためなら絶対に頑張れるって思ってる
自分のために頑張るって言うのがいまいちよくわからないというか
できなくて
サッカーはたしかに自分が好きで自分の趣味でやってた
でもサッカーをする中で自分のやり方って言うのは
チームのみんなで勝つために色々考えたり
アシストできることを積極的にやったり
結局自分は主役じゃないけど
その手助けとかあんまり気づいてもらえないけど
それでもアシストしたらありがとうとか、ナイスって言ってくれるその立ち位置が好きだった


社会に出ると自分の責任とか
自分でやらなきゃいけないことっていうのは当たり前に増えて
それができないとは思わないし
ちょっと違うけど学生の時先輩になって後輩がいるなかで自分がやらなきゃいけないこととか
色々理解はしてるつもり
それでもやっぱ
誰かと協力してって形でやりたいのが事実
そりゃあ一人で真剣になってやることもあるけど
トータルでみて全員でやってるって形にしたい

とにかく
他人からすれば甘えてる一人でやらなきゃいけないって言われるんだけど

俺からすればそれは理解してる
それでも協力できることはして
手伝えることは手伝うって形でやっていきたい

いつもそれだけじゃあだめだよって言う人がいるけど
そういう人は俺の話ちゃんと聞いてないんだなって思う
親と同じだって
そうは言ってない
あくまで理想はこう、現実はこうだからなるだけ近付けたいって言ってるのに
理想の部分だけ聞いて
実行することの内容は全然聞いてない


そういう大人になりたくないって思う
その見本はって言ったら親が出てるくる
だからって育ててもらったことを感謝してないわけじゃない
親がいなきゃここまで生きてこれなかったし
サッカーだって出来なかった
そんなのはわかってる
でも俺はそれが当たり前の親になりたい
子供がそんなこといちいち気にして生きていくんじゃなくて
自然にありがとうって思ってくれて
自分は自分のやりたいこと精一杯できるようにしてあげたい

そういう話が通じなくて何度悲しいと思ったことかわからない
いままで付き合った人だって真剣に結婚できたらいいなって思いながら
仕事安定させるためにって勉強したり
他の人に認められるようにサッカー頑張ってみたり
自分なりに尽くしてきて、自分が正しいと思うようにやってきたのに

あまり認めてもらった実感がない
ばぁちゃんはいつも認めてくれるし
俺がこうやってなにかと誰かのためにって思えるようになったのも
ばぁちゃんがおれのためにいつもなにかしてくれたから

だからそれを自分の子供にしてあげたい
そうやって育てる自分の子供を
ばぁちゃんにひ孫として見せてあげたいって思ってる

そういうと今度は彼女が自分が一番じゃないとか言ったりして
そのために結婚する人を一番にして
みんなそれぞれに大切でみんなが一番だってしてるのに
理解してもらえなくてって
なんか何かに尽くそうとすると
なにかがなくなって
結局なにもしなくなるとなにもなくなってしまって


こうやって思ったことブログに書いても何書いてるかよくわかんないし
思った通り思いつくままに書いてるけど
話がそれてるし


すごい難しい
それでもなにかのために頑張りたい
だからって自分の好きなことするなとかゲームダメだとかそういうことじゃない
なにを話してもそういうことじゃないって思うことが多い
価値観の違いを和解させるトークスキルがないんだなって思うけど


いったいどうなんだろ



こうやって悩んでわけわかんなくなって
めんどくさくなって忘れて
これの繰り返し


できるものなら早く結婚したいし
結婚できなくても理解してくれる彼女が欲しい
ちゃんと理由もあるしこうやって理由をつけてるのに
現実主義な人たちは
いつも否定ばかりするくせに
はっきり理由をつけて説明すれば
何言ってるかわかんない
理解してもらおうと必死に訴えてるのに
そもそも俺の意見なんて聞いてなくて
自分の価値観で間違ってるって思ったら
それ以上でもそれ以下でもない

だから話す意味がない・・


もうなんか無限ループ


悩みっぱなしです



わからないならわからないってはっきり言って
聞いてくれるだけでもいいんです



どうしてそれができないんだろう



よく誰も知らない誰もいないところに行きたいって思う


鬱傾向のある人の典型的な例らしいけど
それくらい全部リセットしたくなることだってあるだろ


どうして理解してもらえないんだろう

誰かに期待するのが間違いなのか

外に向かって話すときは自分もそうやって言うし
誰かを頼ったって無駄って言うけど
それでも家族とか近い存在の誰かを頼りたいものでしょう
誰だってそういうとこで支えがあるはず


それがどうして他人になると理解の対象にならないんだろう



だから無限ルー(ry



結論:誰か俺のこの話についてくるか聞いてるれる人をください


そういうと自分はわかんないから聞かないって言うけど
じぶんはわからないからっていうのはわからないんじゃなく
わかろうとしてないんです
わかろうとするならわからなくても理解しようと質問とか出てくるはず
何を聞いていいかもわからないなら
そうやって言えばいい

まいったなぁ
もっと気楽に生きていきたいわ