「兄ちゃん、起きろ!」




俺が10歳の時に事故で亡くなった、1歳下の弟の声が聞こえる。


「兄ちゃん起きろ、学校遅刻するぞ。」


『うるさい、あと3分寝かせろ。』


「兄ちゃん、起きないと…。」




「死んじゃうぞ!!」




ハッ、とした。


『寝てた??』


あり得ない、あの恐怖と緊張感の中で。


『眠らされた??』


横の叔父を見る。


寝ている。


急いで起こす。


叔父が飛び起きる。


腕時計を見る、5時半。


辺りはほとんど闇になりかけている。


冷汗が流れる。


「おい、聴こえるか?」


「え?」


「声…歌?」


神経を集中させて耳をすますと、右前方数メートル?の茂みから、声が聞こえる。


だんだんこっちに近づいて来る。


民謡の様な歌い回し、何言ってるかは分からないが不気味で高い声。


恐怖感で頭がどうにかなりそうだった。


声を聞いただけで世の中の、何もかもが嫌になってくる。


「いいか!足元だけを照らせ!!」


叔父が叫び、俺はヤツが出てこようとする、茂みの下方を懐中電灯で照らした。


足が見えた。


毛一つ無く、異様に白い。


体全体をくねらせながら、近づいてくる。


その歌のなんと不気味な事!!


一瞬、思考が途切れた。


「あぁぁっ!!」


「ひっ!!」


ヤツが腰を落とし、四つんばいになり、足を照らす懐中電灯の明かりの位置に顔を持ってきた。


直視してしまった。


昼間と同じ感情が襲ってきた。


『死にたい死にたい死にたい!』

『こんな顔を見るくらいなら、死んだ方がマシ!!』


叔父もペットボトルをひっくり返し、号泣している。


落ちたライトがヤツの体を照らす。


意味の分からないおぞましい歌を歌いながら、四つんばいで生まれたての子馬の様な動きで近づいてくる。


右手には錆びた鎌。


よっぽど舌でも噛んで死のうか、と思ったその時。


プルルルルッ


叔父の携帯が鳴った。


号泣していた叔父は、何故か放心状態の様になり、ダウンのポケットから携帯を取り出し、見る。


『こんな時に何してんだ…もうすぐ死ぬのに…。』


と思い、薄闇の中、呆然と叔父を見つめていた。


まだ携帯は鳴っている。


プルルッ


叔父は携帯を見つめたまま。


ヤツが俺の方に来た。


恐怖で失禁していた。


『死ぬ。』


その時、叔父が凄まじい咆哮をあげて地面に落ちた懐中電灯を取り上げ、素早く俺の元にかけより、俺のペットボトルを手に取った。


「こっちを見るなよ!!ヤツの顔を照らすから目を瞑れ!!」


俺は夢中で地面を転がり、グラサンもずり落ち、頭をかかえて目をつぶった。




ここからは後で叔父に聞いた話。


まずヤツの顔を照らし、視線の外で位置を見る。


少々汚い話だが、俺のペットボトルに口をつけ、しょんべんを口に含み、ライトでヤツの顔を照らしたまま、しゃがんでヤツの顔にしょんべんを吹きかけた瞬間、目を瞑る。


霧の様に吹く。


ヤツの馬の嘶きの様な悲鳴が聞こえた。


さらに口に含み、吹く、吹く。


ヤツの目に、目に。


さっきのとはまた一段と高い、ヤツの悲鳴が聞こえる。


『だが、まだそこにいる!!』


焦った叔父はズボンも下着も脱ぎ、自分の股間をライトで照らしたらしい。


恐らく、ヤツはそれを見たのだろう。


言葉は分からないが、凄まじい呪詛の様な恨みの言葉を吐き、くるっと背中を向けたのだ。


俺は、そこから顔を上げていた。


叔父のライトがヤツの背中を照らす。


何が恐ろしかったかと言うと、ヤツは退散する時までも不気味な歌を歌い、体をくねらせ、ゆっくりゆっくりと移動していた。


それこそ杖をついた、高齢の老人の歩行速度の如く。


俺たちは、ヤツが見えなくなるまでじっとライトで背中を照らし見つめていた。


いつ振り返るか分からない恐怖に耐えながら…。