「お前、なにそれ。余計な仕事増やすなや。」
第一声。
よく響くいい声だな、なんてぼんやり思った。
美形はあれか、爪先から声質まで全てが完璧かチクショウ羨ましいばかりですな、へえへえ。
関西訛りもステータスに思えてくる。
…違う、そうじゃない。神谷泉こと俺よ。
俺はもっと違うとこに着目すべきだと一人突っ込みを入れた。
「はあ…。」
口を開いたは良いものの喉から出たのは間抜けな自分の声。
モップ片手に眉間にじわじわシワを入れて。
目の前の人物、転校生の吉川静樹君は俺を睨み付けた。
ワオ、男前に睨まれちゃクラスの女子に悪いわね。
教室に二人きりである意味良かったかもしれない。
「えーと、吉川?」
「…それ、なに。」
ナニと言われましても。
言っている意味が分からない、俺は何かしたのだろうか。
特別何かした覚えは無いし、ましてや初めて今喋ったんですけれども。
分からないとばかりに首を傾げれば吉川はまた鋭い眼孔を俺に向けた。
「なに…何も感じとらんの?厄介。間抜け面もここまでやと愛嬌すら覚えてくる。」
何だとこんにゃろう。前半は分からないが後半は悪口だよな?悪口だよね?
いくら転校生と言えども苛ついてきたぞ。
電波なのか?と言葉を発しようとした瞬間。
ガッと頬が形を変えていきなりの痛み。
吉川が握りしめたモップを床に投げつけ、俺に向かって一撃を喰らわせた。
頬を張る音が教室に響く。
一瞬のフリーズの後にじわりと痛みを生んでいく。
思わずよろければ吉川の細っこい手が俺の腕を掴んできた。
「痛っえ!何すんだよ!」
「こうでもせんと、いけへんからや。」
「はい?なに…」
瞬間、耳元でノイズが交わった。
男と女が、嗄れた年寄とまだあどけなさを持つ幼子が一度に喋っているような、そんな、そんな、感覚 で。
「なんで死なないの なんで死なないの なんで死なないの の の のののの なん、の、なんで、し、し しし死ししし死」
「ひっ!?」
ぞわりと背後に冷たい感覚。
肌が一気に粟立つような底無しの気味の悪さ。
嫌悪感が一瞬にして全身を包み、頭がぐらぐらする。
咄嗟に振り向きそうになった頭を吉川が押さえつけた。
「振り向くな。」
「で、でも…な、なに?これ何?」
泣き出しそうな程にパニックに陥り呼吸も落ち着かない。
ばくばくと心音だけが体を苛む。
「ナーデなん、で、アァァア゛アナーデナーデナーデアアア゛ナーんデナ゛、な、」
背後に感じる気配に吐き気を覚えた。
腹の底から一気に喉元へ駆け上がる不快感に胃が捩じ切れそうだ。
拳に力を込め一気にぐっと押し留めるが、それでも止め切れない吐瀉物だの胃酸だのが口内へ流れ込んだ。
分からない分からない、分かりたくない。
目頭が熱い、鼻が痛い。喉が張り付く。
でもそれなんか目じゃないぐらいに恐い。
「お前、追われやすいんやな。」
「な、なっに?何、なん…だよ、これっ!」
歯がカチカチと小五月蝿く震える。
舌が縺れて、唇が震えて、うまく喋れない。
情けない声が教室に無慈悲に響いたが、俺の背後は止まらない。
こわい、こわい、
「何って幽霊やん」
真顔で吉川は、そう告げた。
なに、って、ユう霊やン?
一番聞きたくない単語を聞いてしまった。
ひゅっ、と喉元で気管の狭まる嫌な音がする。
「ゥ゛ゥウウウウアア゛ァァァ」
聞こえない程の小さな反響音が次第に大きくなり耳元で五月蝿く耐え難いノイズを生む。かと思えば次第に小さくなり、また大きくなる。行ったり来たりを繰り返すその現象に一気に体が苛まれ狂ってしまいそうになる。
自我を無くせるのなら、どれだけ良かっただろう。
脂汗が染み出て顎を伝って、吉川の左腕に垂れた。
「吉か、わ…?」
吉川の整った顔が近づく。
今までに無い優しい温和な表情で俺の背後をじっと見詰めていた。
「なあ、ねえちゃん?君な、もう死んでるんやで?」
凛と、した声。
幼子をあやすような口調なのに、絶対に反抗は許さないとでも言うような気迫のある声に俺は思わず生唾を飲んだ。
「こいつはただの無関係な人間やで。やからな?早く上に行きなさい。」
な?と吉川が目を細める。
慈悲が込められているのかいないのか、それは吉川にしか分からないが、それでも不思議と安心するような声音で吉川は喋り続けていた。
俺は吉川に抱き締められるような体勢の中、「死にたくない」という言葉だけがぐるぐると頭の中を縦横無尽に駆け巡っていた。
そして、吉川の声が耳元で鳴る。
「………ま、これでいいか。」
一息ついたと言う様な吉川に続き、先程の体験が嘘ではないと、夢ではないと、がっくり肩を落とす俺。
いや、このがっくりは勿論がっかりじゃなく、だるさと言うか恐怖と言うか。何物にも例え難い複雑怪奇なものだった。
幽霊を否定もしないが、そういったものには出会ったことは無く心霊現象を体験したのも今日が初めてだ。
足腰ががくがく震え衣擦れの音とともにずるりと思いっ切り尻餅をついた。
「ぅ、……はぁあ〜……。」
「何や、情けない奴やな。」
「はあ!?……っ、」
違和感。
あれ?なんだろ、……体が重い。
四肢が先端から麻痺して、正座の後の様なあのピリッとした痛みを感じると同時にぐるりと視線が宙を映して、そのまま次第に視界がブラックアウトしていく。
あれ?あれれ、何で俺、こんなに汗かいてんだろ。
呼吸も、乱れて。あっ、心拍数、早。
はは、わっけ分かんねー。
何故か呑気にそんな事ばかり考えて。
「お……、…!」
あー畜生。綺麗な顔してんな。