生存確認
 モズ氷(dcst)
 2021/2/17 03:14

外は猛暑だが、様々な機材が常時動いている室内は冷房が効き過ぎる程に効いていて、人の身には寧ろ寒い。こんなほぼ裸みたいな格好での写真撮影に適した温度では決してなく、くしゃみと震えを堪えるのが実に大変だった。
何百回何千回のシャッター音と、その度のいいよかわいいよを耳タコになる程聞かされて、漸く解放された頃には随分と冷えてしまっていた。そりゃあ、撮影が止まればその都度温かいものを飲み、厚い上着を着てはいたけれど。それだけではカバーし切れない。

「お疲れ様、氷月」
「ええ、司クンも」

控え室に戻り、備え付けられたポットの湯で粉の緑茶を淹れてくれた司クンが、労いの言葉をかけてくれる。受け取った紙コップは、冷たくなった指先をじんわりと暖めてくれた。
私と司クンは運命共同体。人目を引く容姿を武器に金を稼ぐ。見た目が良く声も良いと言われる私達が、この道で金を得ようとするのはある種必然だったのかも知れない。

「こんな下品な服を、よくもまぁ。…そもそも服ですか、これ」

下着とさえ言えない様な、紐とリボンだけで作られたなにか。それだけを身に纏い、筋肉の盛り上がったふたつの体を寄せ合って、カメラの前に立つ。次のシングルのジャケットらしいが、随分とふざけている。こんな気色の悪い企画、誰が考えて誰が通したんだか。
レコーディングは既に終えているから、勿論曲の雰囲気は知っている。この露出狂さながらの衣装と、何ひとつ結び付く様なものではなかったと思うが。
覚えている歌詞を頭の中で反芻してみる。リボンだの紐だの、ビキニだのサテンだのピンクだの、ただの一度だって出て来ない。

「隠しているのに、こぼれてしまうの、僕の胸の大切なトコロ」

「!」

化粧前の鏡を睨んだままの思考に、突然第三者の声が割り込む。鏡越しに視線を遣ると、にやにや笑いが癇に障る男がドアの横に立っていた。

「モズ君…」
「お疲れ様、氷月、司。今日もかわいかったよ」

モズ君は私達のマネージャーだ。担当タレントのモチベーションを保つ為に、常に褒める事を忘れない。…やりたくてやっている者が相手なら効果的なのだろうが、私達相手にそれをしても然程意味がないのは、彼自身も解っている。単なるポーズだ。私は無反応で、司クンも苦笑を返すだけ。いつもの遣り取りに、馬鹿馬鹿しいと思いつつも緊張していた肩から、力が抜けたのが解る。

「歌詞と衣装、ばっちりマッチしてるね。流石俺」
「は?」
「俺顔広いからねぇ」
「君が元凶ですか」

部屋に入って来た時、歌詞を朗読しながらだったのが謎だった。口許をにやけさせたまま、阿呆丸出しの格好をした私達を天頂部から爪先まで舐める様に見て、わざわざ引っ掛かる一言を。
作詞家でもデザイナーでもないいちマネージャーに、歌詞も衣装も作る力がある訳がない。それでも、この男が自分の力だと言うならそうなのだ。自分で言う通り、この男は顔が広い。どの界隈のどの人物にも、繋ぎを作れと言われれば直ぐにその場を用意する。何をどうしてそうなるのかは、私の様な芸能界の端っこにいる吹けば消えるマッチの火程度の小物アイドルには解り様もないが。兎に角、この業界においてモズ君にやれなかった事は、私が知る限りはひとつもない。
ならば。この紐とリボンだけで作られたなにかを、私と司クンが身に付けなければならないのは、モズ君の所為に他ならないのだ。

「なに、元凶って。似合ってんじゃん、何か不満?」
「こんな下品な服が似合うと言われて、私が喜ぶなんてまさか思っていないでしょう」
「相方はそこそこ嬉しそうだけど」
「司クンはまた別です。…私とは肝の据わり方が違う」

私と司クンはそれぞれ金に困る理由がある。身内でもない以上勿論その理由は全く違うもので、その為に犠牲にしていいものも当然違う。私は、屈辱を屈辱として受け止めるプライドは捨てられないが、司クンはそうではない、というだけ。どちらが強いとか弱いとかではなく、方向性が違うだけだ。
嘲りとしか捉えられない物言いと視線を投げ掛けられて、捨てられないプライドを刺激される。解っていてやっているのだから尚更気に食わない。性的搾取を目的に私達に金を使う馬鹿なファン達に、馬鹿だと蔑みながらも媚びるしか出来ない私達を、…私を。この男は常に嘲笑っている。
本当に、気に食わない。
もし人殺しが罪にならない世界なら、間違いなく殺しているだろうと思うくらいには。

「いくらお金が欲しいからって、こんなバカみたいな格好しちゃって」

伸ばされた手が、胸で揺れるリボンの先を摘まむ。つるりとした感触のそれは、ほんの少し力を込めて引かれるだけで、結び目がほどけて只の細長い布になった。
ぽっかりと空いた三角形の真ん中で、男にあっても意味のないものがつんと尖って存在を主張している。
…寒いからだ。リボンが擦れていたからだ。ただそれだけなのに、再び近付いて来る指先を避ける事が出来ない。

「あっ…!」
「…ほんとバカだよね、氷月って」

軽い音を立てて、紙コップが床に転がる。
残っていた緑茶が司クンに掛からなかっただろうか。そんな心配は、剥き出しの腰をきつく抱き寄せる腕の所為で、直ぐに思考の端から消えた。

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