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催眠少女 2

2

 心の自由。

 つまりそれは、心が何にも縛られていないこと。

『正確に言えば、それも自由ではないんだけれどね』

 彼女はそうも言っていたが、それは結局、ひとえに自由という言葉が持つ圧倒的自由さが理由なのだと思う。

 自由という言葉は自由過ぎる。

 そんな言葉遊びにかまけて理解を放棄してしまう。それが本当の自由。圧倒的自由。

『いつか行けたらいいね』

 一人で納得するように呟いた彼女とは、その交差点で別れる。そしていつも通りの一人の道。
 四月のこの道は少し薄暗く人気がなく、周りに立ち並ぶ古びたアパートの影がどこかここではないもののような気がしないでもない。
 晴れ渡る空は絵の具の水差しをぶちまけたように真っ赤で、僕が妄想した他愛のない幻想を笑いながら照らしてる気がした。

 ……勿論、それも妄想なんだけれど。

「先輩っ!」

 そんな時、後ろから元気な声が響いた。

「あ、日々乃ちゃん」

 そこには僕の後輩の霜月日々乃が学校指定の鞄の他に黒いエナメルバッグを持って立っていて。制服とそのバッグとの組み合わせはいつ見ても違和感を感じてしまう。

「どうしたの? 今日は練習無かったの?」
「今日は一般の新入部員が入って来たんで、簡単なレクレーションで終わったんですよ」

 日々乃ちゃんは中高一貫のこの学校で、陸上競技のエースとして、他の一年生よりも早くから部活に参加している。いつもなら七時くらいまで練習してから帰宅するのだけど、今日はそういった理由で練習はあまり無かったみたいだ。

「まぁ、やつらも明日から鬼のしごきを受けるんですけどね!」

 満面の笑顔で言う日々乃ちゃん。なんというか、僕より先輩の風格が出てる気がする。

「楽しそうだね」
「ちょっと悪魔的な楽しさです!」

 ちょっと悪魔的、という言葉に相応しくない快活な笑みを浮かべて日々乃ちゃんは歩きだす。僕も彼女の隣を同じ速度で歩く。

「そういえば先輩はカル研無いんじゃないんですか? もしかしてお買い物の途中だったりしました?」
「いや、冬葵の用事に付き合ってだけだよ。 買い物は家に帰ってからするさ」

 冬葵、その名字を聞くと日々乃ちゃんはちょっと興味深気な視線を向けてくる。

「冬葵先輩ですかー。私あの先輩苦手です……。いえ、もちろん嫌いじゃないんですが……」
「あいつのこと得意だなんて言う奴なんていないと思うから安心していいと思うよ」

 誰とでも仲良くなれるタイプである日々乃ちゃんなのだけれども、冬葵のクールというかシュールというか、そう言った性質はやりづらいらしかった。
 ちなみに余談だが、冬葵は日々乃ちゃんのことを結構好いているが、自分はどうも嫌われている、とたまに呟いている。なんとも奇妙な関係だ。

「とにかくっ! お買い物の話ですよお買い物!」

 冬葵の話題でさっきまでちょっと困ったような顔をしていた日々乃ちゃんだったが、僕に向かって思い出したかのようにそう言うと手をぽんと叩いた。

「うん? お買い物がどうかしたの?」
「先輩! 仕送りが二日間ほど遅れるんです! 我が家は!」

 倒置法だった。

「それは初耳だ」
「という訳で、今日と明日ご飯を恵んでください!」
「おおう。ストレートだ」

 ド直球だった。

「貯金とかしてないの?」
「……してたんですけど、高校進学の時にちょっと高めのスパイク買ってしまったんです」

 ああ、そういえば数週間前辺りに新品のスパイクを披露してもらった覚えがある。
 日々乃ちゃんは申し訳なさそうに手を合わせる。

「だ、ダメですか……?」

 上目遣いで見つめるショートカットの少女。僕はこれを振り払って一人でご飯を食べるほど鬼畜な人間では無いはずだ。

「いや、いいよ。今日と明日の二日間だね?」
「は、はい! ありがとうございます!!」

 僕の言葉を聞いた瞬間、日々乃ちゃんの表情が明るくなった。パァッという効果音が聞こえてきそうだ。

「そのかわり、料理は手伝ってね?」
「はいっ! この霜月日々乃! 先輩とのご飯ためならどんなお仕事だってします!」

 満面の笑顔で宣言する彼女につられて僕の口元も緩む。
 残りの帰り道は先ほどよりずっと足が軽くなった気がした。

催眠少女 1

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 高校二年生というものは、とにかく自由だという印象を持っていた。
 実際それは正しい。自覚を伴っているかいないかの違いはあれども、高校二年目というのは何はともあれ自由だ。
 けれども、自由って?
 自由。自由。……自由。
 そんな倫理の授業で習うようなことを、普通は意識しない。意識することすら意識に上がらない。

「でもそれって凄く可哀想。自由を意識すれば、自由を思考すれば、きっと今までだって充分過ぎる程に自由だってことに気付けるのに」

 時は放課後。僕の向かいの席でガリガリとノートに文字を綴っていた少女は顔を上げずに呟く。

「一人言のつもりだったんだけど。反応するとは思わなかった」
「一人言なら一人ですればいいよ。今は二人言の時間だよ」
「顔を上げずに言われても会話してる気にならないと思わない?」
「どうだろう? 君はいつも私の顔を見て話すから分からないや」
「……さいですか」

 ノートを捲る音が聞こえる。装飾という概念とは無縁であるシャープペンシルが紙の上を踊る。

「今日研究会無いんだっけ?」
「火、木は休みだよ。っていうか、君も会員なんだからそろそろ覚えようよ」

 呆れた様子を隠そうともせずにため息をつく彼女。僕だってちょっと忘れてただけなのに。

「ところで今思ったけどさ」
「うん」
「私の目の前でこれ見よがしにいきなり語り出しておいて、一人言っていうのはどうかなーって」
「蒸し返すのかよ。それを」

 ほっとけよ。つまらなかったんだよ。暇なんだよ。

「ああ、うん。それで自由だっけ? 私は自由について二通りの種類があると思うの」

 相も変わらず顔を上げずに、僕のターンは終了したと言わんばかりに彼女は言葉を続ける。

「一つ。これは今まで君の話していた概念に近いのかな? 時間的、空間的、物質的な自由」
「ふむ」
「高校二年生が自由なのは、大まかに言うならば『余裕』があるからでしょ?」
「まぁ、そうだろうね」

 高校生になって一年目は余裕が無い。初めて尽くしの生活に心労や疲労が耐えないだろう。高校三年生になれば、受験や就職やらで一年目とは別の心労や疲労に悩まされるだろう。

「世間一般ではこんな感じだよね。僕も積極的に否定しようとは思わないんだけど」
「それは当たり前だよ。私達はまだ高校二年生になったばかりなんだもの。いきなり否定から入るなんて、それはちょっと良くない人だと思うよ」
「それもそうだ」

 偏見が目を曇らせる。ありきたりだがその通り。

「私としては偏見というフィルターだって、役立つ時はあるし、そもそも偏見という言葉の捉え方によっては、この世界で『それ』無しで生きてる人なんていない、なんて思うわけなんだけれどね」
「なんか前も聞いたことある話だね」
「そりゃあ、前も言った話だもの」

 そう返事を返した後、ようやく作業が終了したのかノートを少し乱暴に閉じる。

「終わったー!」

 んー、と伸びをする彼女。ちなみに僕はこの作業が何のための作業であるかは知らない。
 何のためであるか聞くつもりも別になかったけれども、僕の視線を察したのか、最初から話すつもりだったのか、彼女は帰り支度をしながら話す。

「ああ。うん。新作だよ。新作」
「……そか」
「期待に沿える用に頑張るよ」

 そこで僕と彼女は久しぶりに目を合わせた。
 肩まで届くダークブラウンのストレートを揺らし、彼女はちょっとだけ楽しそうに笑った。

「じゃあ帰ろっか」

 帰り支度が済んで学校指定の茶色の鞄を持ち上げた彼女に僕が言う。時刻は午後五時を少し過ぎた辺りだった。

「うん。それはいいんだけど」
「いいんだけど?」
「ほら、さっき私が二通りの自由があるって話したでしょ?」
「話してたね」
「君にはもう一つが何だか分かる?」
「ああ、それね」

 僕達は話しながら教室を出る。彼女が閉めた戸が斜陽の赤い光を断絶する。

「心の自由、でしょ?」

催眠少女 0

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 僕が「催眠術士」を自称する少女に出会ったのは高校生活最初の年の春だった。
 つまり、随分と長い間を過ごしたような気がしたのはただの僕の感傷に過ぎず、そして彼女だったらきっとそれを「無意識自己催眠」と言う言葉で済ませるのだろうと思う。
 一年。人との付き合いの長さを示す尺度としてのこの単位は、酷く曖昧で主観的な気がする。
 曖昧で主観的な尺度。客観性という眼鏡をかけない時間。
 有意義か否か、ならばそれは否。
 ……けれども、結局僕はこうしないと生きられないのだ。
 水や光が無い植物が枯れてしまうように。僕は幽月の言葉が無ければ死んでしまうだろう。
 それは「必要」だった。必要になってしまった。ただそれだけのこと。


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