シュールレアリストの映画監督ルイス・ブニュエルの三作目。
スペインの最貧地方の生活を描いたドキュメンタリー映画。
上映当初は、政情不安定であったフランコ政権により上映禁止となり、ブニュエルは指名手配までされることになる。

一見、貧困に苦しむ地方の実態を捉えて、その悲惨さを暴こうとする同情的な映画にみえる。
それは、監督としての処女作であるアンダルシアの犬とは全く違い、観客に目的を誘発させるように仕組まれているように映る。
しかし、アンダルシアの犬が夢の超現実性を示そうとしたのと同様に、この映画においても超現実的なものの記録であり、それの記録映像作品としてあるのではないだろうか。
それは医学写真が科学的な方法であり、印象によらず客観的に解釈する方法であるのと同じであり、ブニュエルはそれを映像で実践する。

ナレーションに従った映像が映し出されるのには、計算された構成や編集はみえるが、それは主情による超現実性を示す。これはブルトンのナジャにもみられる。

創造されたものよりも、ありのままのものに衝撃がある。なぜならそこに神話はなく、その無限の存在を認めるのには苦労が伴うからである。(シュールレアリスムの目的はこれの証明ではなかったか。)
そして、この映画を上映禁止にしたフランコ政権が、それの超現実性を実証する。

つまり、彼が示したかったのは悲劇というより、その悲劇の超現実性ではないだろうか。



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