著者のウォルター・マーチは「地獄の黙示録」や「ゴースト/ニューヨークの幻」の編集技師としても活躍している。
その長年の映画編集経験から映画編集について自説をまとめたもの。またアナログからデジタルの変遷を語ったものでもある。

最近、映画についても勉強を始めたいなと思っていたが、何から始めるかで迷っていた。できるだけシュルレアリスムとの関連で糸口を探していたがピンとはこない。
そこに、友人が示唆を与えてくれて「シュルレアリスムのコラージュと映画におけるモンタージュは同じなのでは」と閃いた。(デジタル編集が主流になった現在では気づきにくいが、フィルム編集はまさにコラージュと同じで物理的に切り貼りする)
そして「編集」という糸口をみつけた。

映画というと監督や俳優ばかりが気になりがちで、編集という作業過程を忘れてしまう(編集がうまいと特に思う)。
著者も語るように、同じ素材でも編集者が違うと全く違った映像ができるのであり、映画全体を左右する重要な作業である。

本文に引用されているジョン・ヒューストンの言葉に「思考に最も近い芸術が映画だ」とある。
映画を鑑賞していると、あるショットやカットの意図が気になることがある。例えば、なぜコレが映っているんだろうとか、どうしてこの角度から俳優を映すのだろうとか、カットが多いなとか。
そんなこと考えたって無駄だと思われるかもしれないが、これは不毛ではないと思いたい。
本書によると、ある1シーンで25個のショットを撮ったとして(監督が撮影するショットは平均して25程度)、そのショットひとつだけでなくコンビネーションを考えると、15のあとにゼロが24個並ぶほどに選択肢がある。編集者はこの天文学的数字からベストのものを選び出す。
つまり、編集という作業が介在していれば間違いなくそこに意図があるのだ。
この作業は思考なくして不可能だろう。そしてその選択がベストなものであればあるほど、その1シーンは観客の思考とも同調するのである。(こうして編集作業を忘れてしまう。もしかしたら、名シーンのあの俳優の涙は目薬によるものかもしれないのだ!)

ところどころの職業的な分析は頭にはいらなかったが、映画編集の思想が垣間見れておもしろかった。



話題:読書日記