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よいお年を

・更新

>>今年最後の更新は、まさかのパロでございました。最近、本当に、パロにばかり手を出している状況です。

今回の話は、純粋に、たったワンシーンを書くためだけにつくりはじめたはずのものでした。

長い睫毛がゆるりと持ち上がり、そこから覗く、翡翠の眼。

たったそれだけ。それが書きたかっただけなのです。しかし母の零した一言により、ここまで話が広がってしまいました。

「流れるような動作で、瞼をもたげる描写が活かせるネタってないかなあ」

「ペディキュアを塗る高杉とかいいんじゃない」

「なんと……!」

実話です。

そうこうしているうちに、以前からリベンジしたかったマニキュアネタをやるんだったら、この際やってみたいネタを全部突っ込んでみてはどうか、と思い立ってしまい、こんな結果を呼んだわけであります。

浮世離れ、マニキュア、擡げる瞼から覗く眼、刺青、ピアス、美容師。

今回は随分とそういった設定ばかりを詰め込んで、萌えそっち退けのような内容になってしまいました。それでいて久しぶりに描写に力を入れてしまったからか、どうにも時間がかかりすぎてしまい、日ごろの自分の怠惰さが浮き彫りになりました。

だが後悔はしていない(希望)

年の暮れによい経験ができました。これらの設定は、またいずれ各々にリベンジを吹っかけるつもりです。特に刺青と、ピアスと、美容師にはやり残したことがちらほらありますので…!

ちなみに、高杉の師である彫り師は、言うまでもないかもしれませんが、辰馬でした。


・振り返ってみる

>>記憶力の乏しさと言えば残念なくらいに磨きがかかっておりますので、うまくそれらを思い返すことができないのですけれども、今年1月からのあれこれについて、少しばかり考えてみました。

1月7日に仕事を辞め、14日には再就職、という初っ端から随分と笑えない滑り出しだった今年ですが、そういえば3月ごろまでは字チャ会なるものを主催で開いたりしておりました。

金の玉が分割されたり、銀高で肌色でモザイクな聖書をつくってみたりと、どうにも下ネタばかりではありましたが、今ではとてもよい思い出となっています ね

そのころに丁度、某Kさんや某Kさん(どちらもイニシャルが同じ罠)と8時間前後の長時間お電話をさせていただいたりだとかして。どちらもスカイプ導入前だったわたしにとっては、思い返すたび新鮮でなりません。

4月と言えば高杉だったり紅桜だったり、ひたすら高杉があれしていて、5月にかけて、面白いくらいに諭吉が消えていきました。

仕事の都合で4回しか見にいけませんでしたが、4回という私的に通常では有り得ないこの数字を「しか」と表すほどに、愛される映画であったということですね。本当はもっとスクリーンで彼らを拝みたかったのですけれども。

そうして5月に漸くスカイプをはじめたわたしは、どうにも面白いくらいに紅桜イプだの、あおげば不参加組みのぎりぎりイプだのと、大勢でのイプに参加させていただく機会が多く、銀高充しすぎて恐ろしいくらいの日々を過ごしました。

8月と言えば高杉の誕生日であるとか、晋作様の誕生日であるとか、そういったものでひたすらケーキを食べておりました。GTO(銀魂で立ち上がれオフ会)なんて素敵な企画で神々とカラオケオールしてみたりもしました。

(そういえば途中、オンラインから全力で逃亡を図ったこともあったような気がしますが、何だかそれもよい思い出です)

11月には行けるかどうかと不安だった、毎年恒例の晋作様のお墓参りにも行くことが叶いました。

後半からは特に、銀高の方と個人的にイプにてお話する機会がたくさんあって、それぞれの考えやら妄想やらに触れさせていただけて、しあわせでもあり勉強にもなりました。

本当に、いい加減にしろと言われても可笑しくないくらいに、銀高のために尽くしたような一年でした。いちは=銀八のイメージが若干定着しつつあった感じがとてもうれしかったりします。

今年も一年、たいへんお世話になりました。来年もどうぞ、サイト共々よろしくお願いいたします。世界によい銀高が溢れますように。
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眠いったらない

・仕事納め

>>世間では今日というところも多いようで、それがたまらなくうらやましいわたしは三十日が仕事納めだったりします。

銀高が冬休みにいちゃついてるというのに、働かなければならない現実に、もう社会人なんて爆発すればいいのにと思います。

冬休みに明けのテストをつくる先生と、その後ろでくつろぐ高杉くんなんてかわいい。


「先生、抱いてくんねえの」

「終わってからね」

「あとどれくらい」

「どれくらいって、まだ半分くらいしか」

「やだ」

「これ終わらないとさすがにまずいから、もうすこし」

「待てない、せんせ」

「ああ、もう、だったら先にひとりでやってな」

「……いいの」

「いいよ」

「わかった、じゃあ、そこできいてて」

「え、ちょ、高杉?」

「……ん、っ」

「わ、わ、待ちなさい、ちょっと……!」


そんな銀高うらやましい。カウントダウンなんて面倒臭いって、テレビそっちのけでセックスするようなふたりがすきです。

四年目突入

・お祝い

>>ありがとうございました。どんなジャンルやCPに手を出そうと安心して戻ってこられる、銀高はもはや帰るべき場所だなあと思います。

銀高に生かされてここまで来ました。どうしてだかもはや記憶にないのですが、銀高に手を出したあの日の自分の選択は正しかった。

四年とは早いものですね。

ぎんたか

・ネタ

>>銀高の方とお話しているときが一番ネタが降ってくるなあ、とつくづく思います。

言葉であったり会話であったり、設定であったり。とんとん、と階段を駆け上がるような調子でネタを並べてしまえる。あの瞬間が一番たのしいです。

そんなこんなで、ケーキプレイだの高杉くんの自慰を視姦する先生だの、死にたがり小説家坂田だのを吐き出したりしました。

パロならネタは尽きないけれど、どれも長編になってしまうのが手を出せない最大の理由です。書き上げるだけの時間も集中力も見当たらない罠。


・銀高サイト

>>そういえば明日で開設して丸四年になります。きちんと始動したのは五月なのですが、歳月は本当に瞬く間に過ぎていく。追いてかれやしないかといつだってびくびくしてる。

銀高も以前に比べてずっと人気になって、サイトもたくさんできて、そろそろ引退じゃないのと思う機会も多々あります。

けれど差し当たって「こんな状態になったら銀高を止める」という明確な気持ちを見出だしていますので、そのときがくるまではこの世界にお邪魔させていただきたいと思います。

サイトをつくった四年前の今日、あのテンションが懐かしいなあ。若かったなあ。

めりくりでやんす

・ここ数日

>>ひたすらに1日1〜2つのペースでケーキを食べつづけておりました。それも今日で最後かなと。

クリスマスだからと言ってもお構いなしな方々が次々とやってくる職場でてんてこ舞いでした。

だがしかし妄想はひたすら繰り広げておりまして、どんな風に銀八先生が自慰するのかについてを掘り下げまくりました。

クリスマスと言えば、我が家にはわたしが小学生のころまではサンタさんがきていて、筆記体の手紙を置いてったり、去り際にちゃっかり捧げ物のチョコバーを持って帰ってくれたり、なぜだかプレゼントの包装がジャスコの袋だったりして、何かとお茶目なサンタさんでした。

我が家では一階でのパーティー中、二階から物音が聞こえたら、それがサンタさんが来た合図でした。

兄弟各々がおもちゃバットやステッキなんかを持って足音を立てずに二階にあがるのですが、そのときはもう窓は開け放たれていて誰もいない。部屋の各勉強机にはプレゼントが置いてあって。

言うまでもなくサンタさんは親の仕業で、まんまと騙されていたわけですが、不思議なもので、たしかに物音は二階から聞こえていたのです。

ごとん、と聞こえたらそれが合図。家族は皆一階でパーティーをしているのだから音がするはずはないのですが、確かにそれは聞こえていたのです、毎年、必ず。親は一度も聞こえたことがないと言っておりました。

今でもサンタさんはきてくれていたんだなあと思うときがあります。いい子にしていたかなんて、分かりはしないですけれども。


・銀高

>>クリスマスで同級生銀高が思いの外ツボでした。

酒とツマミと、坂田のためにケーキを買って、炬燵でだらだらテレビを見ながら飲んだくれるようなあれです。そんなふうに何かしら記念日をすごす銀高も青春してていいなあなんて。

銀高書きたいなあ、銀高。
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