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「生きながら死を受け入れた夜」


明日がないと思って生きるというのは、今を天意(あい)する事と一緒なのかもしれない。




例えばわたしが今、眠りに落ちるとともに死ぬとしたら。


夜にそう考えた時。

わたしは涙が溢れて止まりませんでした。




やりきれなかったこと、たくさんある。でも全てそれでいい。

自分のだめなとこも、あれが言えなかったとか、こうすればよかったとかも、

全部それでいい。


わたしは一生懸命生きていたし、

少なくとも毎日食べ物が食べれて、
家族がいて、
理解しあえる仲間や友人がいて、

この上なく立派でしあわせな人生だった。


生まれ直すこともない、これで本當(ほんとう)に終わり。



そう心の中で言った時、一瞬でも自分の全てを許せたような氣がしたのです。

罪悪感から、できない自分を責め続けてきたんだと、そのときにはっきり氣づきました。



不思議なことに死を受け入れると言うのは、後悔も苦しみもなく、

あったのは、ただ安堵と、感謝でした。



本當(ほんとう)に死ぬ!ってなった時は、分かりませんけど(笑)


少なくともそういう世界を體験(たいけん)してみた時、感じたことはそれだったのです。


ひょっとしたら悟りというのは、一種の死なのかもしれません。




生かして頂いて、ありがとう。

(*^^*)
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