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何でも、かんでも(書いています。)少し昔の九州弁です。「何でも関電」、関西電力さんのキャッチ・フレーズと間違えないでね。
母が93歳で亡くなって今日で1年が経った。
危篤の知らせで家内と2人、福岡県南部の故郷の町に駆け付けた。4日は持たないだろうと予想していたが、母は心臓は丈夫だったせいか、2周間以上持ち堪えて、私たちはホテルに長らく滞在することになった。心電図が0になっても母の心臓はかすかな鼓動を刻みながら生命反応を保ち、医師の臨終宣言まで41分かかった。
生前の母の希望に沿って、立派な斎場で通夜、告別式を行ったが、母の友人、知人は既に亡くなっているか、介護施設入居の状態であり、親族も遠方が多いので、結局は出席者が20人にも満たない静かな家族葬となった。
寂しい葬儀になりそうだったので、息子に歌を歌ってもらった。
doa はるかぜ
はるかぜに ねがいを乗せて
上記の部分の歌詞が人を送るのにぴったりだと思うが、この歌を作った息子本人は、本当はこの歌を葬儀で歌うのは避けたがっているようだ。(この曲の発売直後懇意にしていたある大物歌手の方が亡くなられたことも影響しているようだ。)
母はぱっと居なくなったが、長年故郷を離れて暮らしている私には、今もなお母は故郷に生きているような気がしてならない。贅沢をプレゼントしてやることも出来なかった息子としては後ろめたい気持ちも沸いてくる。