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阪神・淡路大震災に想う

寝つきが悪く、浅い眠りの中で、(夢だと思うが)何度も人のうめき声のような叫びを聞いて早朝に目が覚めてしまった。

今日は阪神・淡路大震災が起きた記念日だ。

様々なことが蘇ってきた。あの日の朝は横浜へ通勤する車の中でニッポン放送を聞いていた。

「神戸で地震があった模様です。」、「ちょうど神戸の実家に帰省中のアナウンサーのレポートによると、サイレンも聞こえていないし、大したことはないようです。」という調子の報道だったので、あまり気にしないで会社に到着したら、テレビであの高速道路が倒れている衝撃のシーンが生中継されていた。

神戸市長田区。震災で大勢の人が亡くなった地域だ。あの場所には想い出がある。なぜか、今日は遠い記憶がくっきりと思い出されてきた。

今からもう何十年も前のこと、私は大学の先輩、同期生とあの地区の海岸沿いの川崎重工の工場に夏休みに船舶ボイラー等の設計・製造の研修に行き、海員閣という同社の宿泊施設に泊まった。

近くの商店街に「丸十」という薩摩島津藩の家紋をマークにした喫茶店があり、国生さゆりさんに似た女性のウエイトレスに先輩がぞっこんになり、毎日連れていかれた。

夕方は近所の子供たち(小中学生)と縄跳びなどで遊んだ。福岡に帰ってからのこと。手紙が舞い込んだ。

「私は遊んでもらった中学生です。お友達の方から住所を教えてもらいました。あなたを好きなんですが、私は朝鮮人だから日本人を好きになってはいけないと母が言うので1回だけの手紙にします。」という唐突に思える「ませた」内容のものだった。確か田中〇〇子という名前だった。

あの人たちもあそこに住み続けていたら、震災に遭遇されたことだろう。ご無事だったことを祈る。

ジャカルタ銃撃事件

インドネシアの首都ジャカルタでイスラム国の手先らしい犯人による銃撃事件が発生したというニュースが流れている。

今から20年以上前になるが、私が駐在していた時にも日本赤軍派による日本大使館党にロケット砲攻撃事件があった。

海外は甘くみていてはいけない。日本みたいに呑気に考えていてはダメだ。常に危機管理意識を持って備えておく必要がある。当時は、私も他の日本人も、すぐ目前のビルに行くにも、徒歩でなく運転手付きの車で移動するほど注意しながら生活していた。

そして、大事なのは海外では何かが起きたら、個々の日本人は、日本人というグループで観られるということだ。「私は良い日本人です。」という台詞(セリフ)は通用しない。あの日本赤軍派事件の直後は日本人は誰でも捜査対象にされたように思う。

その国の歴史、宗教、法律、国民性、慣習の日本(人)との違いを学んでおき、頭に叩き込んで行動しておくことが必要だ。

世界中でイスラム教徒絡みのテロが頻発している。日本でも新幹線、人の多い場所でのテロが、近いうちに発生しないかと心配している。

拉致寸前の記憶

今朝の大阪(東部)は、いつもの穏やかな天候とは打って変わり、生温かい風が雨とともに吹きつけています。

北朝鮮による拉致被害の問題は、最近はあまり話題にも上っていないようになってきた感じがしますが、他人事ではないと実感する記憶が思い出されます。

1975年〜1980年頃に私の家内の、子供が生まれて30歳になろうとする年代の実体験です。当時は神奈川県に住んでいました。

@家内と子供(赤ん坊)だけが居る家に、住宅の訪問販売員を装った目付きの険しい男が2人来て、トイレを貸せと言って、足先で扉をこじ開け無理に上がり込もうとしました。

「無理に入るなら警察を呼びますよ。」と言ったら扉をこじ開けようとする力が緩んだので押し返して扉を閉めた。

A外出しようとしたら、家の前に待ち構えていたように男が1人居て、「○○大学の正門はどこですか?」と訊ねるのです。

「この道をまっすぐ降りていったら左手にありますよ。すぐ分かります。」と答えたのですが、「車に同乗して案内してくれ。」と車に引きづり込みそうにするのです。同乗の男たちが3人もいました。眼が釣りあがった顔だったそうです。危険と感じた家内は必死の力を出して逃げました。

 

B病院に行ったら、1人の男が「よう、久しぶり。」と馴れなれしく声をかけてきました。全く見覚えの無い男でした。「診察終えたら待っているよ。久しぶりにドライブでもしよう。」としつこく付きまとうのです。

家内は年配の看護士さんに助けを求めました。看護士さんの「知らない人だと言っているじゃないですか、あまりしつこいなら警察を呼びますよ。」という言葉に目付きのするどい男は退散していきました。

C近所の女性から「いいアルバイトがあるよ。」と、この頃、声をかけられることが多かった。温泉場のパーテイホステスの仕事だった。


ただのストーカーかなと思っていたが、拉致のさかんな年代だったこと、プロ的な手口かなと思えること、あの手この手を使っているように思えることから、的を絞った拉致事件未遂だったかなと思う。

 

拉致事件は本当にあったんだと実感する出来事だった。日本政府の対応は極めて手ぬるいと思う。本気で対応してくれない政府に対する被害者の家族の怒りは増しているだろう。

消費税がどうこうよりこういう問題に先に対応すべきではないだろうか。この問題に関して、北朝鮮と仲良しだったはずの社民党の福島瑞穂さんはどうして何もしないの。

五郎丸の思い出

最近話題のラクビー選手のことではないが、五郎丸という言葉を聞けば思い出すことがある。

@福岡に住んでいた頃、郊外に五郎丸という地名があるのを聞いたことがある。下宿のおばあちゃんの知人が住んでいたような。。

A小田原市の早川港には五郎丸という船宿があって、よく釣りに行っていたものだ。複数の釣り船を持っていたが、兄弟の船長たちが熱心に相模湾の釣りを楽しませてくれた。アジを主体に、シーズンにはカツオも釣れた。いい船宿だった。懐かしい。

B一度だけだが、久里浜港にあった五郎丸という釣り船に乗ったことがある。確か会社の釣り仲間の釣り大会をやった。私はボウズだった。

地下鉄サリン事件

TVで地下鉄サリン事件が起こる数ヶ月前には警察庁はオームがサリンを製造していることを知っていたが、何らかの事情で上九一色村のオーム施設への捜索が取りやめになっていたと報道していた。もし、先手を打って捜査していたら、大惨事はさけられたかもしれない。

誰が捜査をやめさせたのだろう。どんな力が働いたのか?

実は私の息子は、あの事件から偶然に助かった。当時、池袋に住んでいて、六本木の事務所に毎日通っていたが、あの日は事務所へ行く時間が連絡がありズレて午前10時頃出社予定に変更になったために遭遇しなくてすんだ。何と、いつも乗っていた地下鉄は事件にあった池袋発の電車で発車時刻も同じ、しかも一番後のサリンが撒かれた車両だった。

人間の運とは不思議なものだ。

もしあの日、いつもの出勤だったらと考えるとぞっとする。

最近、警察がもっと早く手を打っていたなら、あの事件は避けられたのにと悔やまれる話が多い。警察関係者にはもっと頑張ってほしい。

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湖南さんのプロフィール
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