「まだ寝ないの? 明日は実地訓練があるから朝早いのに」


 布団にくるまった雷蔵が話しかけてくる。
 暗闇に支配された空には、無数の星が自身の存在を示そうと躍起になって輝いている。現在はそのような刻限だ。

 今夜は不思議と目が冴えてしまっていて寝つけなかった。そういう夜は押し込めていた考えや、いらない事ばかりが頭を駆け巡る。

 就寝しようと灯りを消して布団に入ってから、一睡もできず、色々と一人で考えていたところに雷蔵は声をかけてきた。
 彼の声音に眠そうな色は無い。もしかすると、雷蔵も私同様に起きていたのかもしれない。

 あの事を、雷蔵に聞く良い機会だろうか。
 それは先ほどまで考えていた中の一つの問いであり、雷蔵と出会ってから長い間、気にかかりながらも聞けなかった問いだ。


「雷蔵……、君に聞きたい事があるんだけど、聞いてもいいかな」

「ん? 改まって何だい」


 息を軽く吸い込んだ私は、ずっと、ずっとずっと気になってはいたけれど、深くは聞けなかった疑問を口にする。


「僕が君の顔を常の生活で借りていることを、どう思っているのか聞きたいんだ」


 告げ終わると、雷蔵は少し拍子抜けしたような顔をして布団に突っ伏した。
 薄く開けたままの戸から入る月明かりが、舞い散る埃を照らし出している。


「え、今さら? 僕の顔でいいなら好きに使って構わないよって、前々から言っているじゃないか」

「それはそうなんだけど……普通はさ、自分の顔を日常的に使われたら嫌だろう?
 一瞬借りるだけでも嫌がる人は多い。それなのに雷蔵は何故許可してくれるのか、ずっと不思議でさ」

「成るほど、そういうことね」


 雷蔵は軽く息を吐き出し、布団から体を起こした。


「そういや、詳しく言ったことはなかったね」


 私は掛布団の端を握りしめ視線を落とした。何を言われるのか分からず、否定的な言葉しか想像できなくて、怖かったのだ。
 すると俯いていた私の肩に温もりが置かれる。温かい手の持ち主を仰ぎ見ると、彼は真剣な目をしていた。


「これは僕の考えだから、違っていたらごめんね。
 君は他人の仮面をかぶることで、自分を出すだろう? 今の君は、自分の顔でいる時より、誰かの顔でいる時の方が自分の素でいられるだろう?

 三郎は面を通すことで、本音から少し遠ざかるけれど、真実を話してくれていると思うんだ。
 それでね、たくさんの面の中でも“不破雷蔵”の顔でいる時が一番本音に近い、つまり素に近いんじゃないかなって思って。
 だから僕は、僕の顔で生活されていても怒らないよ」


 一気に言い終えた雷蔵は、一呼吸してから気恥ずかしそうに鼻をかいた。


「それにね、三郎は僕の顔でいる時が一番気に入ってくれているようで、とても、嬉しいんだよね。
 あとついでに言っておく。君の素顔は見てみたいけれど、君の心がありのままの素でいられる方が大事だから、無理に見ようとは思わないよ」


 ああもう、雷蔵、君って奴は、本当に。


「君は私に優しすぎるよ」

「そうかもしれない。でも好きでやっていることだからね。三郎が大好きだから」


 ごくごく当たり前の話をするみたいに、ただ呼吸するだけのように、照れもしないで、雷蔵は笑ってそう言った。


「雷蔵」

「なにさ、三郎」

「いつも迷惑かけてごめん」

「違うでしょ」

「いつも、ありがとう」

「それでよし。他に言いたいことがあれば受け付けるけど」


 雷蔵はごめんね、も、ありがとう、にも笑顔で返してくれた。

 この笑顔に何度救われただろう。私もそんな雷蔵みたいになりたいと、何度思っただろう。 気づけば、雷蔵の貌でいる時間が長くなり、普段から彼の貌でいるようになった。

 懸想する相手の真似をするなんて、我ながら幼稚だと思う。
 そんなひねくれた好意表現を受けとめてくれる雷蔵。ひねくれた形でしか自己を表に出せない私を許してくれる雷蔵。


「……だいすき、です」

「うん、知ってるよ。
だって――」


 雷蔵が笑うのなら、君の顔に化けている私も、そんな風に笑わざるをえないじゃないか。

 照れ隠しにそう言ったら、じゃあ三郎のためにもっともっと笑わないといけないね、と君は満面の笑みを浮かべた。




 不破雷蔵が笑えば、鉢屋三郎も笑う。

 不破雷蔵が泣けば、鉢屋三郎も泣く。



 不破雷蔵の顔が笑えば、鉢屋三郎の顔も笑える。

 不破雷蔵の顔が泣けば、鉢屋三郎の顔も泣ける。



「だって――不破雷蔵あるところに、鉢屋三郎あり、だろう?」


 雷蔵、君と共に、鉢屋三郎は、何時までも在りたい。