彼らの逃げ場のない絶望を思うと、胸が痛くなる。
苦悩というのは他人と比較できるものではないのに、全く関係のない人間が自分のものさしで「そんな些細なこと」と彼らの痛みをあざ笑う。
身勝手だなあ、と思う。
本当にいじめの内容が些細かどうかなんて大した問題じゃあないのだ。
自分が味わったものでもない他人の苦しみを身勝手に「そんなこと」と切ってすてる、その想像力の欠如と無意識の悪意に心底ゾッとする。
私のことなんて何も知らないくせに。
歯を食いしばって、この言葉が言えない子がどれだけいるだろう。
親切ぶって事情を聞き出しておいて馬鹿にするくらいなら、無関心でいてくれた方がマシだ。
いじめは傍観しているのもいじめているのと一緒というけど、私はそうは思わない。
だって関係ないじゃない。
閉鎖的な環境に置かれている、十代そこそこの子供が、身一つで集団から、助けても利益のない人間を助けるだなんて。冷静に考えたらどんなにとんでもないことか理解できるだろうに。
だいたい一クラスが30人とちょっとだから、30対1。
この数字がわかりますか?
太平洋戦争の際の日米の兵力差と同程度ですよ。それに年端もいかぬ子供が立ち向かえないからといって加害者と同列?
馬鹿馬鹿しい。
何の力もないのに助けてくれようとする奴は「化物」みたいな精神力の持ち主なんだよ。
集団心理に侵されずに自らの意思で中立を保つのだって、立派な戦いだと思うのだけれどね。傍観者だって戦っている、と私は思う。
そしていじめっ子。
いじめられる方にも理由があるというけど、私はそれは大きな大間違いで「いじめる方にも何かしらの原因がある」だと思っている。
いじめっ子を擁護するわけではないし、どんな理由があろうと他人様に理不尽な精神的・肉体的暴力を加えた時点で同情の余地はないけれど。
それでも、やはり何かが欠けていなければ常軌を逸した
いじめはできないのではないか。
家庭環境が劣悪なのかもしれないし、誰からも愛されない孤独から加虐行為に走っているのかもしれない。
両親から正しい人の心を教えてもらえなかったのかもしれないし、或いは生まれながらに精神的な障害を抱えているのかもしれない。
この世の大多数がいじめっ子をまともじゃない、と思う。
つまりいじめっ子はまともじゃないのだ。
彼らを蝕んでいるものは何だろうと考えるけど、やはり私にはわからない。
いじめられっ子の相談相手と傍観者といじめっ子、それぞれの立場を考えてみたけど全く気持ちがわからない。
これじゃあいじめられっ子の痛みなんて私には理解できないなあ、と思う。
私にわかるのは私の痛みだけだし、結局私が戦ってきたのは私の痛みとだけだったのだ。