カルデアの善き人々―塔―28

「タワー」
ぽん、と、サンソンが彼の手にそっと自らの手を乗せた。

「人が耐えられる痛みも、苦しみも、その限度は人によって違うものだ。誰かにとって耐えられた痛みに耐えられないことも、誰かにとって苦しくてしかたがないことが苦しくないことも、ある。だから、今、君がどうしようもなく苦しいことが、『それを苦しく感じるのは他者に比べて君の心が弱いせいだ』なんて、そんなことは証明しようもない戯言にすぎないよ」

「………サンソン、さ……………」
ぼたぼたっ、と、大粒の滴が溢れ落ちる。
なんてこった、こんな年になってまで人前で泣くなんて。そんな風に頭を抱える自分がどこかにいる。
サンソンは困ったように笑いながら反対の手を彼の背中に回し、ぽすぽすとあやすように背中を叩いた。
「確かに、女史がそんなことを言ったのは、このカルデアで君が最初だったかもしれない。けれど、だからといって君が他の職員の方々と違って弱いだなんて、そんなことはないし、言えることでもないと僕は思う。だから、君がそんな風に抱え込む必要もないと、そう思うよ。辛いことは、辛いんだ。そう感じることは、おかしなことではないんだ。まず君は、それを受け入れるといいんじゃないだろうか」
ぐさぐさと、サンソンの言葉が心に刺さって染み渡る。
あぁ、こんなに都合のいい言葉を与えられていいのだろうか。嬉しいような、甘えてしまうから嬉しくないような、微妙な気持ちが彼の心を満たす。
彼は涙でぐちゃぐちゃになった顔を袖でぬぐいながら顔をあげる。
「…………う、うぅ〜〜…………あ、甘やかさないでくださいよぅ…」
「何を言ってるんだ君は、過度な強がりは身体に毒だよ」
「だって、そうはいったって、そうじゃないですか」
「いや、ごめん、何がそうなのかよく分からないよ…」
「あはは………」
ずず、と、鼻をすする。泣くとやたらと鼻もつまるから、あまり好きじゃないなと思いながら、彼はいくぶん気持ちが楽になっているのに気がついた。
なんだ、ずいぶん現金だな、と、彼は自嘲気味に笑う。だけれど、サンソンの言葉は存外間違いではないのかもしれない。
「……辛いことを、辛いと認める、ですか。なんか…辛いと感じてる時点で、認めてることになるのかなって、思ってたんですけど」
「うん」
「ただ、皆大変なのに、俺が辛いなんて言ってられない、って思ってたから、それは確かに、否定なのかもしれないなって、今思いました」
「………そうか」
「……でも、今、とりあえずそうなんだなって、思ったら、なんかちょっとすっとしました」
「…!そうか、それはよかった」
サンソンは静かに相槌を打ちながら彼の話を聞いていたが、そう言った彼の言葉に、ぱぁ、と顔を明るくさせ、どこか嬉しそうにはにかんだ。

辛いものは、辛い。
苦しいものは、苦しい。

そうなのだと受け入れるだけで、なんだか理由のつかないもやもやが胸につっかかっていたのが、少し楽になったように感じられた。
「…あっ、そうだ、ドクターに伝えないと。というか皆に騒がせたこと謝らないと…」
そうして落ち着くと、知らず目をそらしていた現実に目が向いてくる。ひとまず、閉じ籠って探し回らせてしまったことを謝らなければ。
「あ、それだけれど、君があそこにいたことはもう伝えてある」
「あ゛っそうなんですか!?」
そう思った直後にサンソンがそんなことを言うものだから、彼は漫画の表現のようにがくりと上体を滑らせてしまった。
そもそもよく考えたら、サンソンの言うとおりカルデアは広くない、あの時間まで誰にも見つからないはずがない。それでも一人でいられたということは、誰かの介添えがあったことは火を見るより明らかだ。そしてそれができるのは、どう考えても最初に見つけたサンソンのはずだ。
「すすす、すみません…ほんと何から何まで……」
「いやいや、気にしないでくれ、本当に。ただの僕のお節介だから…」
「いやでもほんと、毛布かけてもらったりとかほんと、ご迷惑お掛けしました…」
「やや…困ったな、ありがたく気持ちは受け取っておくことにしようかな。まぁ、それで少し一人にしてあげてくれないかと。ダ・ヴィンチ女史も来て、君には仕事は気にせず、数日休んでほしい、と。それを最初に伝えるべきだったね、すまない」
「いやいやいや、ありがとうございます…」
唐突に深夜の一部屋で、ペコペコと一人の男と英霊が頭を下げあう奇妙な景色が繰り広げられることになった。