桜/Janne Da Arc

そして大学受験が終わった頃、ようやく裕も携帯を購入し、簡単に連絡を取れるようにはなりました。しかし、当たり前で自業自得とは思いますが彼の「友人」と付き合っているので、どこかギクシャクしていて。そんな中、彼氏の渉と、裕と、また共通の友人のカラオケに誘われ、私も参加しました。約束していた『卒業アルバム』を持って。寄せ書き、を書いてくれると。
だけど、逢ってもなんだがぎこちなくて。
うまく「私」でいられない。
だけど、やっぱり私たちには「本」がありました。
本屋で、2時間も3時間も喋っていました。
もうお互いの事には触れず、一定距離で。
寄せ書き、は書いてもらえないと思っていたのですが、
彼氏が先に帰宅した後、書いてくれました。
だからこそ、素直に嬉しかった。
彼の字、彼の言葉が残っているという事実が。


「いろいろ書きたいことはあるんだけど。
まあ、思い出がセピアっぽくなった頃に
またちゃんと書くから、沢山スペースあけとくように!笑 裕」


嬉しかった、だけどこれを見る度に
当時の私と同じ事を想う。


『いつか思い出にされるんだなあ』


きっと、どんなにスペースをあけていても
裕が書いてくれる日はこないと思う。


当時の日記というのは赤裸々すぎて、気持ちがストレートすぎる。
第一、手書きの日記は誰かに見せるものではないからいいのだけど。
見返すたびに苦しくなる。


『私達の関係っていうのは、
 やっぱり過去の通過点で
 これ以上はどうしようもないのかな。
 ただ過去があるから、
 普通に会って前に進んでるって
 自覚出来るのかな。とか考えてみたり。
 ただ、愛すのを今辞めても、
 裕だけはまたいつか愛すだろうな。
 私はいつも、答えを求めすぎた。
 答えが出なくてもいいんじゃないかな、
 って思いだした。
 答えが出ないものを求めるから、
 悩むのかな。って。
 出ないのなら、出さなければいい。
 裕を‘愛す’かどうかは、
 きっと答え出ない。』

 

これが私が出して、
構築された「恋愛論」だと思う。
「恋愛には答えはない。」


彼は、2009年春。
日本の西の端から、東京へ旅だち。
私はその場に立ちつくしました。


きっと彼は「遠距離」では
私を大切に出来ないから、というだろう。
遠距離でも、近くでも。
もう裕が愛してくれてる、という事実だけが
真実だけが欲しいのに。