スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

将来の夢

自分の将来の夢で思い出せるのは、「お花屋さん」と答えていた幼稚園の頃の記憶です。あの頃どうしてお花屋さんになりたいと言ったのかは覚えていません。「ケーキ屋さん」と答えたような記憶もあり、こちらは単純にケーキが食べたかったんだろうな、なんて思っています。

娘も、毎年誕生日になると「大きくなったら、なにになりたい?」と聞かれます。その度に自分でまだピンと来ていないのか、私が「●●は?」と聞いたものをそのまま答えたりしていて。やっぱり難しいんだろうな、なんて考えていました。

けれどついこの間、娘が初めて自分から、「やっぱり大きくなったら警察官になる」なんて言い出しました。驚きました。特にそういった話をしていたわけではなく、突然そんなことを言いだしたものですから。
しかも警察官と聞いて思い当たったのが最近遊んでいるゲーム。警察官の主人公を操作して事件を解決していくべく進RPGなのですが、まさかそこから「警察官になりたい」まで繋がるとは思いもしませんでした。

もっともっと大きくなってもまだ警察官になりたいと言っているのか、はたまた全く違うものに興味を示しているのか。未来は未知数なのでわからず楽しみですが、同時にきっと娘が初めて自分からなりたい、と思った職業でもあるわけで。いつか大きくなった娘に、「将来は警察官になりたい」なんて言ってたんだよ、と話してみたいと思いました。

そして、娘は私にも大きくなったらなにになりたいか、を聞いてきたのですが。はてさて、これから先の人生でどうなりたいかというのはまた難しいものだな、と考えてしまいますね。着実に成長してきたという自負はありますが、これからさらにどういう自分になっていきたいのか。できれば、成長し続けられる自分でありたいなと思います。

時間は確かに進んでる

娘が生まれてからというもの、よく写真を撮るようになったと思います。

昔の私は写真にいい思い出がなく、またどうせ残したところで意味がないと思っていた、はず。中学生から、自分の携帯を持つようになった高校生になっても『写真を撮る』ということに縁がありませんでした。誰かと写真を撮る、というのもとても苦手。またそうして映った自分の写真をもらうのも、なんとも言えない気持ちになって苦手でした。

それはたぶん、自分が嫌いだったからなんだと思います。少なくとも大学生の初めの頃まで「私は私が嫌い。だから(ダメな自分を嫌いだと言える自分が)好き」というくらいひねくれていたものです。

けれど大学で過ごすうちにいろいろ変わったのだろうと思います。逸見さんを好きになってお付き合いするようになったのはもちろん、友人たちにも恵まれましたし、いつの間にかひねくれた考えは薄れていったように感じます。だから、大学の卒業式は自分でカメラを持っていって、勇気を出して、離れ離れになってしまうたくさんの人たちと写真を撮ってもらえたんだろうと思います。大好きな人たちと映っている写真って、見直すととても懐かしい気持ちになるので好きです。

それから社会人になり、結婚する頃まではそれほど写真も撮っていませんが…やはり娘が生まれてからというもの、写真が格段に増えました。そして私はようやくアルバムに残すようにもなりました。

娘は存外写真に撮られることが好きなようで、カメラを向けると笑顔でピースしてくれます。それがとても可愛くて、同時にとても幸せだと思います。写真の中でたまに自分が写ってしまったり、動画の中で自分の声が入っているのはやっぱり複雑なのですが…(笑)。アルバムに残して、たまに見返して。ちょっとだけ思い出に浸ることにも幸せを感じられるようになったのは、私の中ではとても大きな進歩です。

まだ二月、とは思いますが、そろそろ新年度の話も出てくるようになりました。春はきっとあっという間にきてしまう。そうすると娘はまたひとつ学年が上がるわけで、あっという間に過ぎる月日の中、ほんの少しでも残しておけるものがあるのなら、と思います。

大人になること

当時、成人と呼ばれる二十歳を過ぎてからも大人になった実感はないままでした。結局今まで、大人になるってなんだろう、ということに明確な答えを出せていなかったと思います。そうかも? と思うことがあっても、確信にまで至らないといいますか。

だいぶ前、父親と話をしたことがあります。私は人生勝ち組だよ、と。周りの人に恵まれて、環境に恵まれて、それでいて、恵まれたそれらをきちんと受け取れる自分でいた。周りの力が全てではない、自分の力が全てではない。恵まれたことも確かだし、私がやってきたことも確かだと自負がある。それで今、ここにいる時点で私は勝ち組なのだ、と。
その時の父親はちょっとだけ驚いたように笑いながら「その年でそう言えるのは大したもんだ」と言われました。まだまだ父親に勝てた気はしませんが、それでもそんな父親にそう言わせたあの時の出来事はよく覚えています。

それから、義務と権利について。誰しもに義務があり、権利を持っている。だから権利を振りかざせばそれは、誰かの権利とぶつかるだろうね、と。また誰かにそうすべきだという義務を押し付けるなら、同じように誰かからも自分がすべき義務を押し付けられるだろうね、という話。
自分の権利にしか興味のない人はたくさんいるでしょう。それでも私は、そうでない人たちと共に生きていきたいと思います。だって私は、私の権利を尊重してほしいから。だから誰かの権利を尊重したい。私の義務を追い立てられたくはないから、誰かの義務も追い立てたくはない。
それでも譲ってばかりではいられないものです。だから人は折り合いをつけていくのでしょう。お互いに義務と権利を持っている。だから、互いに譲歩し、互いに折れて、互いに享受するのでしょう。それがきっと、誰かと生きていくということだから。

私は改めて、それが社会なのだと感じました。社会の中で生きるということは、そう仕組みの中で生きていくのはそういうものだと。たぶん、当たり前のことなんでしょう。それでも今になってようやく、その当たり前の事実が身に染みたような感覚がありました。
だから、ようやく私は自分が大人になったな、なんて感じたのです。もっとも、こんなことを言うと父親には「もう大人なんだぞ」なんて怒られてしまうんですが。
さらに私は、そういうことがわかる人たちと共に生きているのだな、という実体験も多くあります。そう思っているのは私だけではない、と思えることがどれだけ幸せな環境なのか。そういう人たちと同じ社会に生きていることがありがたく、それでいて、今私が生きているこの場所にたどり着けたことを誇らしくも感じました。

今日はそう成長や、幸福を実感できた嬉しい日でした。明日も良い日を過ごしていきたいです。

たまに思い出すこと

それがこのブログの存在ですね。昔はもっとこまめに日記というなのブログを更新する作業をしていたのですが、今はそんな余力もなく。家事に、仕事に、家庭に趣味にと大忙しで、ブログを書こうだなんて久々に思いました。

結局、やはり病気は山あり谷あり。調子が良くなったと思ったら、しばらくして症状が悪くなったり。去年だったか、あまりに調子がおかしいと相談して受診したら、そのまま入院なんて騒ぎにもなりました。それがきっかけで早い段階で自分の調子を整えるように意識するようになっています。

関係して、仕事もだいぶ調整している状態です。悔しい部分もあるのですが、できることをやればいい、と言っていただけるのでありがたく思っています。だからと、限られた時間は全力で業務に取り組んでいるつもりです。今はそれで、自分としてもいい調子に仕事ができているなと感じます。

娘は日々元気ですが、私や主人の言動を見て育っているのがよくわかります。子供は親を見て育つ、というのは本当だと頻繁に実感しますね。たまに生意気なところもありますが、それでも可愛い娘の成長というのはしみじみ幸せな気持ちになります。親になってわかることもあるのだな、なんて感じることも多いです。

趣味もずっと楽しめていて幸せですね。ここ数年くらいずっと同じ作品が大好きで仕方なくて、ファンレターもこまめに送ってみたり。それでいて趣味を楽しませていただいていたりと、私は変わらず私のままだなぁ、なんて思います。

今日は朝から晴れ間が見えていたので、これ幸いと、サボっていた家の掃除と洗濯に取り掛かっていました。色々と干し終え、あとは乾くのを待つばかり。今までは、気が滅入ってきたりすると気分転換に思いっきり掃除をしたものですが、今日もそういう理由でしょうか。いずれにせよ色々とさっぱりしたので、また色んなことに全力で取り組めそうです。

風通しの良い自宅に一人でいる時間は贅沢で、落ち着くなと思います。それから友人にもらったフレーバーティー、水出しできるのですごくいいです。昨晩ボトルに茶葉と砂糖と水を入れて冷蔵庫にいれておいたのですが、いい感じの仕上がり。そういえば私、昔から紅茶系というかそういうお茶が好きだったんだよな、なんて思います。

なんだか生き急いでいるような、と感じることが増えました。だから今日みたいな、ゆるりとした日もたまにはあるといいのかもしれないと思います。お茶がおいしくて、風が気持ち良くて、静かな時間。今日も平和です。

てきとう、てきど。

って、とっても大事な言葉だと思うんです!というのは手抜きをしたい言い訳でしょうか。

私の病気の関係で一足早く保育園に通っていた娘ですが、この度無事に年少さんになりました。いやはや、月日が経つのは早いものだ…。
初めて保育園に通うようになる子達は皆、やっぱり朝のお別れで泣いてしまうんですね。保育園に慣れるまでしばらくは、午前中で保育園はおしまいです。みんな新しい環境に慣れようと頑張っているなぁ、と微笑ましくなります。
娘は未満児さんの頃から保育園に通っていたものですから、同じく未満児さんクラスで一緒だったお友達と一緒にお昼を食べ、夕方まで保育園で遊んでいます。私もなんだかんだと病状が落ち着いた関係で働くようになったので、保育園にはお世話になりっぱなしです。担任の先生が変わったり、長時間保育の先生も変わったりと新しい環境。人見知り、場所見知りする娘がどうなるかと少し不安でしたが、思いの外元気にやってるようで安心しています。

娘もいるし、持病もあるしとパートタイムで仕事を探していたのですが、運よく今の会社に雇っていただけることになりました。面接の段階で娘のことも持病のこともお伝えして、無理のないようにと言っていただけたので本当にありがたい限りです。働き始めて少し経ちますが、なんだかんだと働きぶりを評価していただいているようでさらにありがたい。前職での経験がとても活きていて、改めて私を育ててくれた前の職場にも感謝の気持ちが湧きました。

旦那は去年度末からずっと忙しいようで、少し心配です。無理はしないでほしいけれども、なかなか会社全体が忙しければどうにもなりづらいところですし。たまに愚痴を零すのを聞くくらいしかできていませんが、久々に気晴らしに行ったみたいなので少しでもリフレッシュできればいいなぁ、と思います。

昔はなんだか、きちんとしなければいけない、ということに追われていた気がします。いわゆる理想とされる姿でなければ許されないような、強迫観念があったと思うのです。それは例えば社会の一員としての在り方だったり、職場での仕事振りだったり、妻として、母としての家族の中での在り方だったり。
けれど、案外私は私のままでどうにかなっているんだなぁ、と思いました。それは、これまでの自分がそう強迫観念に追われていたからこそ身についたものや経験のおかげかもしれないですが。
世の中が求めるようなお母さんにはなっていないと思いますが、娘とはなんだかんだと仲良く、時には喧嘩もしながら楽しい親子になれていると思います。献身的な妻にはなれていないと思いますが、旦那が私を許してくれるから、旦那を許せる私でありたいと、そうやって互いに許し合えるような夫婦にはなれていると思います。バリキャリとは程遠いですが、自分がこれまでの経験で培ったものを業務に活かし、娘のことや持病のことを考慮していただけるくらいには会社に貢献できる人材になりたいと思いますし、少なくともその姿勢は評価していただいているようです。

当たり前のことを当たり前にできる、ということは難しいことなのだと学びました。だから、昔の私が思う『当たり前』に正しい姿を求めた故に、今の私はそれほど気負わずとも『当たり前』ができているのかもしれない、と思います。
これからも自分の在り方を自問自答し続けることはもちろんですが、家に、仕事に、自分のことにとてんてこ舞いになってしまうので、もう少し肩の力を抜いていけたらなぁ、と思います。
←prev next
Calendar
<< 2024.04 >>
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30