って、とっても大事な言葉だと思うんです!というのは手抜きをしたい言い訳でしょうか。

私の病気の関係で一足早く保育園に通っていた娘ですが、この度無事に年少さんになりました。いやはや、月日が経つのは早いものだ…。
初めて保育園に通うようになる子達は皆、やっぱり朝のお別れで泣いてしまうんですね。保育園に慣れるまでしばらくは、午前中で保育園はおしまいです。みんな新しい環境に慣れようと頑張っているなぁ、と微笑ましくなります。
娘は未満児さんの頃から保育園に通っていたものですから、同じく未満児さんクラスで一緒だったお友達と一緒にお昼を食べ、夕方まで保育園で遊んでいます。私もなんだかんだと病状が落ち着いた関係で働くようになったので、保育園にはお世話になりっぱなしです。担任の先生が変わったり、長時間保育の先生も変わったりと新しい環境。人見知り、場所見知りする娘がどうなるかと少し不安でしたが、思いの外元気にやってるようで安心しています。

娘もいるし、持病もあるしとパートタイムで仕事を探していたのですが、運よく今の会社に雇っていただけることになりました。面接の段階で娘のことも持病のこともお伝えして、無理のないようにと言っていただけたので本当にありがたい限りです。働き始めて少し経ちますが、なんだかんだと働きぶりを評価していただいているようでさらにありがたい。前職での経験がとても活きていて、改めて私を育ててくれた前の職場にも感謝の気持ちが湧きました。

旦那は去年度末からずっと忙しいようで、少し心配です。無理はしないでほしいけれども、なかなか会社全体が忙しければどうにもなりづらいところですし。たまに愚痴を零すのを聞くくらいしかできていませんが、久々に気晴らしに行ったみたいなので少しでもリフレッシュできればいいなぁ、と思います。

昔はなんだか、きちんとしなければいけない、ということに追われていた気がします。いわゆる理想とされる姿でなければ許されないような、強迫観念があったと思うのです。それは例えば社会の一員としての在り方だったり、職場での仕事振りだったり、妻として、母としての家族の中での在り方だったり。
けれど、案外私は私のままでどうにかなっているんだなぁ、と思いました。それは、これまでの自分がそう強迫観念に追われていたからこそ身についたものや経験のおかげかもしれないですが。
世の中が求めるようなお母さんにはなっていないと思いますが、娘とはなんだかんだと仲良く、時には喧嘩もしながら楽しい親子になれていると思います。献身的な妻にはなれていないと思いますが、旦那が私を許してくれるから、旦那を許せる私でありたいと、そうやって互いに許し合えるような夫婦にはなれていると思います。バリキャリとは程遠いですが、自分がこれまでの経験で培ったものを業務に活かし、娘のことや持病のことを考慮していただけるくらいには会社に貢献できる人材になりたいと思いますし、少なくともその姿勢は評価していただいているようです。

当たり前のことを当たり前にできる、ということは難しいことなのだと学びました。だから、昔の私が思う『当たり前』に正しい姿を求めた故に、今の私はそれほど気負わずとも『当たり前』ができているのかもしれない、と思います。
これからも自分の在り方を自問自答し続けることはもちろんですが、家に、仕事に、自分のことにとてんてこ舞いになってしまうので、もう少し肩の力を抜いていけたらなぁ、と思います。