まず、あたしが病気になった経緯でも書こうか・・・・・。
いやまぁ、今まで起こった出来事をつらつら書いていこう。
さて、どこからいくか。
まず比較的裕福な家庭で育ちました。
特に食うにも困らず、習い事したりなんだり。
でも金銭的には裕福でも、内情はそうでもない。
幼い時の記憶はほぼ残ってないけれど、1つ確かな記憶があります。
『おとーさんってしょっちゅう出張行ってるなー』
家にいないわけではないけど、物心ついたころからしょっちゅう出張に行ってました。
どこ行ってんだ?と長い間不思議に思ってました。
まぁ、勘がいい人にゃもうお分かりでしょう。
あの野郎浮気してやがった。
ゲフンッ、失礼。
父親はなんと、出張と言いながら愛人の所に行ってたそうな。
まぁ本当に出張な時もあったんでしょうが、正直出張の数が多すぎてよくわからん。
で、そんなクソ野r、父親の浮気を、母親は随時前から知っていたらしい。
小さい頃(小学生くらい?)から、
「お父さんはねー、よそに女の人がいるのよー(^^)」
『?どうゆうことかよくわかんないんだけど・・・・・』
「お父さんはねー、浮気してるの(^^)」
そんな軽い感じで母親は浮気を子供に暴露しとりました。
今思えば・・・・・うん、色々オカシイ。
しかし正直あたしは信じちゃいませんでした。
まずノリが軽すぎる。
それに、浮気とか非日常じゃないっすか。
その時のあたしは、浮気という行為は知っていても、それが自分の日常には関わってこない他人事だと思ってたから。
でもバリバリ日常に絡んできた。
高校生くらいになるとまぁ、色々暗黒面を知る時期ですよ。
思春期やら反抗期やらでストレスかなり溜まってたなぁ・・・・・。
まず煙草に手を出しましたテヘペロ☆
かと言って、外見はふっつーの高校生ですよ。
ぐれてないぐれてない。
・・・・・まぁ煙草に一番最初に手を出したのは中学生の時だけど←
本格的に喫煙者になったのは高校生から。
そしてその頃から自傷癖もついた☆
・・・・・え?軽い?
あたしにとって自傷癖は大したことじゃ無かったというか、ストレス解消の一部だったから。
カッターで自分の手首やら腕やら切って、その痛みと血でホッとしてた。
きっかけなんて覚えてねーけど、その時からきっと病気の片鱗はあったんだろうなぁ・・・・・。
今でも覚えてる親からの言葉がある。
そんな事しても死ねないよ
・・・・・まぁ、今でもふっつーに苛つく言葉。
普通自傷してる我が子にそーゆーこと言うか?言わねーよ!!
と、まぁあたしは更にATフィールドを全開にしました。
そこら辺の、所謂思春期と呼ばれる時期は、本当頭ん中ドス黒かった。
全人類滅べばいい。
どいつもこいつも死ねばいい。
あぁ、いつか親なんて殺してやる。
みんなみんなだいきらい。
みんなみんなしねばいい。
ガチでそう思ってた時期もありましたよええ。
でもまぁ・・・・・思春期だもん☆
で、まぁそんなドス黒いある種の中2思考だったあたしが卒業するあたりだったか・・・・・卒業してからかなぁ?
本格的に家庭がぶっ壊れていきました。
あたしが大人になったら離婚しましょうみたいな話出てたらしい。
まぁ、その頃にはもう、親の関係が冷めてんだろうなって薄々は解ってたけども、まっさか離婚するほどとは思ってなかった。
それで親は離婚しました。
ってぇーだけなら、よかったのにね。
ここから話は更にこじれてぶっ壊れた。
離婚するしないでもめるもめる。
親父は愛人がいたし、母親に嫌気がさしてたから離婚したくてたまらんかったらしい。
母親は親父を渡したくなかったし、愛人が憎たらしくてしょうがなかったらしい。
まぁ、アバズレ扱いしてたし、相当憎かったんだろうなぁ。
でも母親はさぁ、子供みたいな人でね、それになんてーか、ヒステリック?
正直、父親も母親も、どっちもどっちだと思ってた。
勝手にすりゃあいい。
あたしには関係ない。
そう思ってた。
でもさぁ、関係ないわけないよなぁ。
切っても切れないんだよ。
今だから、そう思うんだと思いますがね。
まぁつまり、あたしはどっちにも味方しなかった。
兄貴もいるけど、兄貴も似たような感じで我関せずだったなぁ。
そんなドロドロな中、専門学校に行ってたんだけど。
母親は随分、追い詰められてたらしい。
あたしが味方してやってたら、違ってたと思う。
娘に味方になってもらえてれば、何か変わってたんじゃないのかな。
色々な事が重なって、精神的に追い詰められてたお母さんは、自殺未遂を起こしました。
いやぁ、ほんと、吃驚だよね。
・・・・・書いてて、ちょっと苦しくなってきた。
はー・・・・・。
ま、自殺未遂、だから、死ななかった。
精神科通ってたんだけど、そこで貰った薬100錠以上飲んだんだと。
昏睡状態になって肺炎併発して、死にかけた。
ベッドに横になって意識朦朧としてて、あたしに向かって、
ごめんね、
ごめんね、
って言うんだよ。
まぁ、ボロボロ黙って泣いてたからね、あたし。
朦朧とした意識でもわかったのね。
あたしが黙ってたのは、何も言えなかったから。
怒りとか、罪悪感とか、悲しみとか、憎しみとか、失望とか、絶望とか、色々な感情ごちゃ混ぜでなーんも言えなかった。
落ち着いてからは文句言ったけど。
そんなこんなでお母さんは生還したわけだけど、まぁその前後でも何回かやらかしてたけど、それはかなりグッサリきた。
だから、優しくしようと思ってたはずなんだよ。
支えようと思ってたはずなんだ。
憎たらしくてたまらなかったけど、あの時確かにあたしはお母さんに生きて欲しいとおもって、支えようって、おもってたはずなんだ。
正直、もうあんたその時の事思い出せないんだけどね。
それより衝撃的な事あって。
あぁ、ちなみに親父はあたしが20あたりの頃に愛人と暮らし始めてたよ!
ほんとクソ野郎だよね!(^^)
自殺未遂から、2ヶ月くらいしてからかなぁ。
お母さん死んじゃった。
自殺だったのか、衰弱死なのか、未だに解んないんだけどね。
自然死じゃなかったから当然警察やらなんやらでわちゃわちゃして、任意で司法解剖もしたはずなんだけどさぁ、結局親父、結果教えてくんねーんだわー。
どうして知りたいんだっつーんだよ?
どうしてもこうしてもない、ただ知りたかった。
まぁ、そーんな事あって。
あたしもぶっ壊れた。
一時期落ち着いてた自傷癖は悪化して手首は見るも無惨、到底見せらんねー有り様だったわー。
お母さんの死体が視界に刻みこまれたみたいに常に思考にちらついて、
お母さんに対する罪悪感と、冷たい死体への恐怖とか、まぁ、そういった負の感情で埋め尽くされて、夜眠れないわ手首は切りたいわ死にたいわ。
そんな状態だったから、学校にも段々行けなくなった。
というか徐々に悪化した。
お母さん死んだばっかの頃は忙しくって、落ち着いてくるにつれ記憶が鮮明に蘇ってどんどんどんどん苦しくなった。
耐えられなくなって病院行った。
で、学校辞めた☆
学校の事もその時のあたしにはストレスだったんだよねー・・・・・。
いや、その時は確か、全てに申し訳なさを感じてたかな・・・・・。
何もかも全部、自分が悪いと思ってた。
まぁ、学校止めて、暫く死んだ魚みたいな目で虚ろに生きてたわけですよ。
ただ突然何もかも面白く思えて、全部笑えてきたりして、楽しくて楽しくて楽しくて、
そうだ飛び降りよう!!!あははは!!!
って、なったりしてたけど。
・・・・・怖いよな、うん。
医者に言わせりゃ躁状態らしいけど。
まぁ、そーんな感じで、その時ピークだったなー・・・・・。
これでも大分端折ったんだけど、随分長くなったなぁ。
と、こうゆう感じであたしは今生きてます。
あの時程酷くないけど、未だに病気なう。
でも自傷癖は抑えられてる。
今は手首超キレイよあっはっは!
・・・・・まぁしょっちゅう切りたくなるんだけど←
さて、まぁ、こんな感じです。
果たしてこれを真面目に全部読む人はいるのか(笑)
ふー、つっかれたー!!←