ジジイが入院してるわけだけど。
心配はしてる。
良くなっていくことに安堵もしてる。
けど、腹が立つ。
ムカムカする。
嫌悪感が拭えない。
だから嫌な態度をする。
元気な姿を見て、安堵するのと一緒にどうしようもないくらい苛つく。
入院病棟は、嫌いだ。
救急なんて、もっと嫌だ。
パトカーも救急車も、心がズタズタにされる気分になる。
入院病棟に足を踏み入れて、最初に感じたのは憂鬱だった。
ジジイの具合が悪ィから?
大騒ぎしたくせにケロッとしてるから苛つく?
後になって、冷静になって、考えてたら。
答えは単純にトラウマだった。
お母さんの事を思い出して、ズタズタの心が浮き上がったんだよ。
救急車で運ばれた。
病棟に運ばれた。
緊急入院した。
薬品の匂いがした。
管に繋がれたお母さんを見た。
何本も管が繋がって、呼吸さえ支えられないと満足に出来なくて。
目を閉じて死にかけたお母さんがいた。
目を開けて、呂律の回らない言葉で、何かを朦朧とした意識で言ってた。
謝られた。
もうしないって言ってた。
ごめんね、って、言ってた。
なのに、それから直ぐに、消えていった。
入院してたお母さんは家に戻って直ぐに死んだ。
酷かったの。惨かった。
匂いが嫌。
雰囲気が空気が音が嫌。
だから辛辣な言葉しか出ないなんて言い訳だろう。
でも、今思えば、思い出したくなかったから、悪態ついて誤魔化したんだ。
でも全部思い出して、気持ちが悪くて吐き気がした。
お母さん苦しそうだった。
この人どうしてこんなに平然としてるの?
お母さんはあんな酷い有様だったのに。
理不尽だろうな。
でも耐えられない。
お母さんお母さん、生きて欲しかった。
今更だよね。
こんな思いしてる人が、何人いるんだろう。
きっとたくさんいるし、もっと酷い有様を見て傷だらけになって苦しんでる人もたくさんいるんだろうけど。
でもね、あたしは、あたしが1番苦しい。
手首を掻き切りたいくらいに。
心と同じくらい肉をズタズタに引き裂いて、血を流したい。
それをストップ出来るようになったことが、嫌だ。
忘れたくない忘れたい。
死にたくない生きたい消えたい。
どう思ってるんだろう。
なんて思ってるの。
お母さんは。
怒ってる?
憎んでる?
嘲笑ってる?
そんな人だったろうか。
優しくて可愛かったちょっとかなりヒステリー持ちの子供っぽい綺麗な人だった。
どう、思ってるんだろう。
誰にも解らない答えを、教えてほしい。
強烈な死に様故なのか、
あたしの薄情な感性なのか、
思い出せない。
思い出せなくなってきた。
あの人は私をどんな声で呼んでいただろうか。
あの人の声はどんな声だっただろうか。
どんな風に語り掛けられたのか。
覚えているのは、手を繋いだ時の温もりだけだ。
そして苛烈な、死に様。
死臭に、死斑。
硬い身体に、冷え切った、氷のような感触。
動かない絶望感。
存在が絶望。
失意と絶望と罪悪感。
死の宣告を告げられたような、死ななければならないと朧気に、けどしっかりと、使命感のような自殺願望。
視界に入れた瞬間に自分は死ななければならないんだと思った。
その瞬間が強烈だからか、穏やかであった頃は遠く薄れて、声が、思い出せない。
私の名前を呼んでいたのに、俺は頑なに拒絶して、あたしは無関心を貫いた。
僕は現実を見ないようにして、私は泣いてばかりだった。
私の不幸に泣いてた。
私の為に私は泣いてた。
結果的に見れば、泣き喚いて縋り付くのはあの人であって当たり前で、私は泣くのを我慢して、あの人を支えて、俺は守って、あたしは元気を与えて、僕は慰めなきゃならなかった。
その全てを怠った結果がコレだ。
その全てを怠った結果が絶望だ。
限りなく自業自得な不幸に浸って、歩く事も考える事も放棄した。
必死に死に様から目を背けてたら、死に様だけ残って愛すべき記憶が、大切にすべきだった記憶が薄れた。
何から何まで自業自得で、何から何まで己が引き寄せた絶望だった。
あの人はどんな声で私を呼んでいただろうか。
どんな喋り方だった。
何が好きだった。
薄れた記憶に、また絶望する。
薄情だ。
記憶は劣化するばかりだ。
思い出すのは死体になったあの人ばかり。
だから、私達も消えればいいと思ったの。
消してしまったなら、帳尻を合わせないと。
代償を払わないと。
生命を消滅させなけりゃならない。
そう思ってばかりだったのに。
今のあたしは生きることばかり。
傍から見れば好ましいんだろう。
でも僕達はどんどん絶望していく。
どうして生きようと思えるの。
どうして生きようと思ってしまったの。
僕達は彼女を殺したのに。
俺とあたしは前を向く。
考えて、歩いて、光に向かう。
それが赦されるわけがないだろうと私も僕も咆哮を上げる。
死ね、消えろ、止めろ、そんな資格はないんだ。
解ってるのに何してるの。
俺等はそれを振り切る。
僕達を見て。
俺等を見ろ。
生きよう。
死ななきゃ。
そうこう考えてる時点で己の事しか考えてない。
結果記憶はまた劣化していく。
どうせお前等だって死ねないんだ。
どうせ僕達も生きたいんだ。
矛盾してるのが常であり、矛盾してるから生きてる。
あの人は矛盾した思いが消えてしまったのだろうか。
アレは殺した自覚があるのだろうか。
アレらは殺したと自覚してるんだろうか。
みんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな殺人者だ。
あの人を独りに追い込み死なせた殺人者だ。
みんな、あたしも、アレらも。
アレに記憶は残ってるだろうか。
悪辣な言葉しか吐かないアレに。
母は護るべきだった。
私は助けるべきだった。
アレは母を見捨てないべきだった。
独りにしないべきだった。
人殺しの、くだらない独り言。
君が死んでしまうことばかり考える。
もしも死んでしまったら、ひとりぼっち。
だから君を、君と母犬の骨を、ずっと身につけていたいんだ。
そばにいて欲しいんだ。
傲慢で利己的。
それでも、形だけでいい、魂は安らかに眠って欲しい、それでも、形だけでも、身につけて、忘れたくない。
今を大切にしたい。
でも、過去と未来がしがらみに、雁字搦めに私を縛る。
だから、ねぇ、君がもし往ってしまったら、骨を石にして、身に付けさせて。
魂は天に、形だけ、お願いだから。
愛してる。
だから。
独りにしないで。
ごめんね。
泣いた。
なんか泣いた。
意味もなく泣いた。
頭ん中色々なことが巡って思い出して悲しくなって苦しくなって息も詰まって、泣いたけど、何も晴れない。
仕事あんのよ、だから眠りたい。
でも眠れない。
泣き喚きたい。
切りたい。
でも駄目だ。
跡隠すのも一苦労なんだよね。
それにこないだ切るようなもの捨てたから何もない。
助けてなんて言えない。
だってほら、相手の重荷になるじゃないか。
あの子も面倒でつめたいんだ。
出来損ないだから。
頑張らないから。
やれば出来るのにやらないから。
見捨てたいけど見捨てられないんだ。
そんな事考える時点で今鬱なんだ。
ああ苦しい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい泣きたい。
笑顔つくれるかな。
げんきだせるかな。
かあさん、みぃ、あいたいよ。
ごめんね。
誰かに助けてっていいたいのに、相手が離れるのが怖くていえない。
おくびょうもの。