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癒しの本質

「癒し」を看板に掲げたイベントに来たお客さんたちが全く癒しじゃなかった(病んだ人達ばかりだった)ってのを聞いて、


「そりゃそうよね、だって『癒し』って聞いたらみんな『癒されにくる』やん」

と思ったわたし。


心身共に健康な人はそもそも癒されたいなんて思わんし興味もないでしょう。




昔はわたしも引きこもり専門セラピストになりたいと思ってましたが、

今はちがくて。

何故かって言うと「引きこもり専門セラピスト」って「世の中に引きこもりがいること前提」で成り立つものだから。


病氣の人がいないと医者という職業が成り立たんように。




引きこもりのいる社会なんてわたしは望まないから。

ただただ楽しく生きるだけ。

それには前提条件がない、と存在として証明するだけ。



ふっつーの人生送ってきた人も、しあわせな人生送ってきた人も、悲劇的に生きてきた人も、

何があったとしても関係ない!



病氣だろーが性格が暗かろうが、全く関係ない!


被害者も加害者も、本質的には一緒なように、

皆平等にただの『症状』なんです。

被害者でいる人は被害者でいたいだけ。加害者も同じ。



わたしだって引きこもりたかったから、引きこもってただけ。


わたしにとって、社会に出る、外に出るということは、

失敗し、誰かの冷たい目にさらされ、

「わたしはやっぱりダメなんだ」

という確認を、わざわざしに行くことに等しかったからです。


そういった意味で全ては平等なんです。


引きこもりも、なんら特別なことじゃない。




だからわたしは、

べきもねばもなく、

ただただ地球にある色んなたくさんなものを受け取って、

世界に表現するだけです。


うれしー!
たのしー!
かなしー!


って。笑


ああ、生きるって楽しい(*´∇`*)

ブレイクスルーの瞬間

存在しているだけでみんな誰かをしあわせにしている。
これに一人として例外はない。
だから無理する必要ってほんとない。(何度でもいうけど)


もちろん無理して苦しんで、頑張って乗り越えるのも素晴らしいことと思う。
だから、逆に「頑張ったことにしか価値はないのか?」と聞かれたら
わたしはそうは思わない。

頑張らないで手に入れたものも、傷ついて頑張って手に入れたものも、どちらも宝には違いない。
それをどのようにして、どんな角度で見るか?
それはその人の心や魂に聞けばいい。
自分の中で一番しっくりくる答えを、
迷いながらでも、喜びながらでも、苦しんでいながらでも、探せばいい。
そうして日常の色んな宝に氣づいていきたいです。



うん、これね。ゲームしてて気づいたことなんですねw
ほんと、氣づきって何してても下りてくるんですよ。
ブレイクスルーって、ふっつうの日常過ごしてても起こるんですよ。
なんだったら普通に買い物してても思う時あるし。


世界に起こることの全てを、わたしはまるっと受け入れて生きてたい。
怒ったり悲しんだり時には苦しんで喚いたりもしながら。
もちろん、それ以上に楽しんで笑って、喜びも感じながら。

「かぐや姫の物語」の世界なんですよこれ。ほんともう人生コレしかないんですよ!




随分前に書いてもらったものですが、ほんとこれってわたしの使命だよなぁとしみじみ思います。なんでわかったん??ってくらい。
書家さんってすげえ。

世界を平和にする簡単な方法

人の「仕組み」みたいなものがたまらなく好きです。

わたしは、人はとっても大きな力を持っていると、そう思っていて。

「この世界は不幸ばかりだ」
と思うとそうなるし
「わたしの人生損ばっかりだ」
と思うとほんとにそうなる。
すべてに影響するんです。
これは言葉や、行動というよりも(もちろんそれもありますが)
「生き方」です。


芯から「この世界は平和だ」「わたしはしあわせだ」とそういう風に生きていれば、
それは水面に落ちる一滴の水のように、波紋を広げいろんな人に影響し、全世界に伝わっていきます。


「わたしはしあわせになってはいけない」と前のわたしはどこかで思っていました。
だからいつも寂しかったし、どんな状況でも問題を見つけることが上手でした。
それは多くの人を心配させたし、天意(あい)する人に寂しい思いをさせてきたと、そう思います。


だけど「しあわせになってもいいんだ」と思えてから。

世界が変わりました。

色んな人一人一人の中に「素晴らしいその人自身の本質」をみるようにしました。

そうしたら、色んな「しあわせ」の証拠が集まりだしたのです。
綺麗なさくらを見てはしあわせになり、美味しいご飯を食べては癒され、
友達と会話しながら「わたしは信頼されてるなあ」と心満たされる。


ご飯を食べる量も減ったし、そうやって喜んでいると、周りの対応も自然と変わってくるのです。
特に子どもと関わったとき、ちゃんとコミュニケーションをするようになりました。
特に子どもは敏感ですからこちらの状態を察するのか、言葉も増えて、なんだか嬉しそうに接してくれるのです。
「やっぱり、わたしは、存在で人をしあわせにするんだ」
とますますそこの自信を深めていきました。

わざわざ褒めようと頑張らなくても。優しくあろう、怒らないでおこうと頑張らなくても(ようは子どものことが心配なんだよね)、
ただの普段の何氣ない会話で。挨拶で。態度で。
それは伝染するんだと。

一人一人がそうなれば世界平和なんて簡単じゃありません?(笑)

自分がしあわせになればいいだけだから、誰をわざわざ助ける必要もない。喜びのままに行動するだけ。

その結果カウンセラーやセラピストになった方もいるでしょう。

伝えることが好きでたまらなくて、人の話を聞くのが好きでたまらない。

きっとそんな人なんだろうと、そう思います。(わたしもそうだったり。セラピストになったわけではないけどw)

この記事見てそんなことを書きたくなりました。心屋さんすげえなと。半端ねえなと。
ameblo.jp

仕組みを知って、色んな人の世界を知る。

そんなことがたまらなく好きです。

まだまだだけど、こういう風にいつも生きていたいと、そう感じます。(いろんな人のブログを見つつ)
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