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未来は現在の結果

話題:生きる意味

5月もあと3日で終わっちゃいますね。
4日後は6月だぜ。
2012年ももう半分経過しようとしてる。
テレビで今年の上半期○○ランキングとかの特集が組まれる季節になるんだ。
びっくりだよね。
2012年になってから何ひとつ成し遂げてないのに…。
就活も卒論も何一つ進んでないのに…。
もう私のこの先の人生どうなっちまうんだろうか…。
たすけてかみさまあー!!!

就活も志望度が高かったとある企業の筆記通って感動してたのに無情にも二次選考の一次面接であっさり落とされましたしね…。
筆記といえども私的には選考通ったのが初めてで余計嬉しかったぶん喪失感が半端ないわ。

それ以前もあんまり就活しっかりやってなかったけど、それ以上にやる気なくなってる。
説明会も申込みは一応するものの、当日に近づいたら面倒になったり、そんなに興味ないのに説明会行っても意味ねーなとか思って結局キャンセルして行かないしね。
自分が屑すぎてワロエナイ。
自分のことが情けなさすぎて絶望的な気分になる。

とりあえず火曜日に学校行ったらパソコンルーム行って、プレエントリー企業増やそうかな…。
あと就活のことばっかりが脳内を占拠してるけど卒論のこともそろそろ本当に真面目に考えなきゃ卒業すらやばくなっちゃうなー。
4回生ってやること多すぎるだろ。
就活が始まってない2・3回生のゼミで卒論書かせときゃいいのに…。

あーあ、楽しくない、楽しくないよ。
毎日が楽しくない。
生きてんのが楽しくない。
でも、生きるけどね。
こういうブログ書いたあとに死んだら「死ぬ直前にこのようなブログを更新しており、将来に対しての不安から自殺を図ったと思われます」とか騒がれかねないしね!!!
あたしはとりあえず生きるぞー!
いつか来たる現在の結果を見るためにも生きる!

***

話題:死にたいと思うことは悪い事ですか?

0時過ぎからさっきまで母親と酒飲んでました。
母と酒飲んでる時は大体人生についての話や自殺についての話をすることが多いです。
まあ、母娘ともに陰気くさいので二人で飲んでるときはへヴィーな会話をしてます。
特に先日、就職活動がうまくいかなくて自殺する大学生がここ数年で急増しているというニュースが巷を騒がせていて、今現在まさに私自身が一応就活生なのでそのような話題になったわけなんですが…。

この話題書きを書くにあたって先に言っておきたいのは、私は今までの人生のなかで本気で自殺しようと考えたことは一度もありません。
ですが、自殺を絶対にいけないことだとも考えていません。
むしろ一般的に自殺が悪いことであるという考え方にあまり納得がいっていないのです。
しかし自殺を真剣に考えたこともないようなやつがこの話題についてつらつらと意見を述べること自体がおこがましいのは承知の上で私の意見を書いていきたいと思っています。

話を戻しまして“自殺”というものの捉え方について今までも何度か母と話したことはあったんだけれども、毎回双方相容れないんですよね。

私は、自殺は人生における選択肢のひとつであって、別にその選択肢を選ぶかどうかは個人の自由であり、自殺という道を選んだ人を責めていい人間なんていないと考えてます。
実際に私自身が、高校受験や大学受験などの人生における大きな勝負所で、その重圧から逃れたいがために「もし今回の受験で失敗したとしても、最悪の場合人間なんてのは死ねばすべて消えてなくなって無かったことになるんだから、今はとりあえずやれるだけのことはやって本当にどうしようもなくなれば死んでしまえばいいんだ」という精神で受験勉強に励んでいました。
どこかで逃げ道として自殺という選択肢を自分自身に提示していないと、私の軟弱すぎる心では精神的に受験の重圧に耐えながらの勉強ができなかったからです。
このような経験をしているので、私の中で自殺というものは、進学、就職と同じように人生における進路の選択肢のひとつのような感覚に近いものがあります。

しかし私の母は「子どもが親より先に死ぬことほど親不孝なことはない」という意見や、「自殺をする人間は残された人の悲しみのことを考えていない自分勝手な人間だ」というようなこと主張します。
母親の意見も分からなくはないですし、実際私自身もそう思っていたこともありました。
ですが、これは私の想像でしかないのですが、自殺するという結論にたどりつくまでに、その人は他人には計り知れないほどの苦しみを味わってきているのだと思います。
そして、その苦しみから逃れたいために自殺という選択肢を選んだのだと思います。
自殺という選択をするまでにおそらく本当にさまざまな葛藤があっただろうとも思います。
それこそ、親のことや、周りの人間のことも考えたと思います。
しかし、自分が自殺まで考えるほど苦しいと感じる人生を、他人が悲しむからという理由で生き続けるというのも悲しいような気がします。
そのような理由では、生きる動機が他人のためというようなものなってしまっているような気がしてならないのです。
自分が生きていたいから生きるのではなく、他者が悲しむから仕方なく生きるというような虚しいものになっているような気がします。
まあ、何年か経過して結果として自殺しなかったほうが良かったという人生になるかもしれませんが…。
しかしだからと言って一概に自殺を悪いものとして捉えることができないのです。

自殺という選択肢を選び、苦しみから逃れて救われるという見方はだめなのか。
苦しみから逃れることがそんなにいけないことだとは、私には思えません。
少なくとも私は、例えば誰かが自殺をしたとして、そのことを他の誰かが自殺はダメだのなんだのと評価するのはおかしいと思います。
他の誰かが、その人が自ら自殺という選択をして命を絶ったことを否定するのは、その自殺した人の人生自体を全否定するということになるんじゃないかと感じるからです。

長々と書いたけど今の私が抱いてる自殺への考えは全てここに吐き出したんじゃないかな。
私自身は死ぬの恐いから自殺はしないだろうけど…。

幸福は常に努力する生活の中にのみあるのだ

話題:ひとりごと

昨日友だちがツイッターで内定もらったってツイートしてました。
私の身近な友だちで内定出た子はその子が第一号かな…。
リプライでおめでとうと言っておきました。
そのあとその子から電話かかってきてちょっとだけ喋ってたら、なんと内定二つも貰ってたことを知らされました。
もはや別次元の人間様たちの話だと思いました。

一緒にウダウダ就活いやだと嘆きあってたから仲間意識があったぶん、余計に喪失感みたいなものを感じました。
選考状況とか何も聞いてなかったのにいきなり内定もらったって聞いたからびっくりしたわ。
でも私が就活の話を日常的にするのを嫌がってたから彼女は私に気を使ってぎりぎりまで言わなかったようです。

まあ、それはいいんだけどね。

それ以上に、焦燥感にかられだしました。
これと言ってやりたい仕事もないから就活にもいまいち気が入んなくて、なんとなーくやってるから内定はおろか、選考も見事なほどに進まねーし…。
「やりたい仕事が見つからない」なんて、ただの大人になりきれてないガキのわがままな言い訳にしかならないんだろうけどね。

内定が出たというその友だちに一応ツイッターや電話では「おめでとう」とは言ったものの、正直直接会っても普段通りに遊べるのか自信ないわ。
別に妬ましいとかではなくて、単純に二人で遊んでる時に、ふと「あ〜、この子はもう将来の道がはっきりとあるんだなあ」と思って、まだ何も見通しが立ってない自分の将来が心配になって心の底から楽しく遊べないような気がしてならない。
人の幸せを純粋に喜んであげられない自分の小ささも嫌だしね。

冷静に考えればその友だちと私とでは就活に対する頑張りもおそらくだいぶ違うだろうから、この結果は当然の結果なんだろうな…。
でも就職活動を頑張るということが未だにいまいち分からない私です。
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