Title:「ありがとう」を、舞台に残して
着付けを習おうか考え中、Mariです。
和服好きです。華やかで綺麗ですよね。
しばらくぶりとなりますが、皆さんお元気でしょうか。
私は少々風邪気味ですが元気です^^
さて、先日役者出演させていただいた公演が無事終わりました。
約3ヵ月に及ぶ公演期間は長いようであっという間でした。
まだ終わって欲しくない。千秋楽の日にそう思えるほど楽しかった公演でした。
元いた劇団でも何度か役者はさせていただきましたが、今までにないほど演出にも共演者にも、そしてスタッフにも恵まれていたと思います。ブランクがあるとはいえ拙い私の演技に最後まで向き合ってくれた。どうすれば演技が良くなるか、シーンが、作品が良くなるかを一緒に考えてくれた。みんなの真剣さを知っていたから、時に厳しいことを言われても特にストレスにならなかった。得たものは大きく、役者として、演劇人として学ぶことの多い時間でした。周りから「一番伸びた役者」だと評されたことが何より嬉しかった。演出に「三ヵ月で本当に変わったよ。別人みたい」だと言われた時には「参加して良かったな」と素直に思えました。
私自身、僅かながら変化を感じています。
上手くは言えませんが、不思議なものです。
色々思う事は追記に回しますね。
今回の公演で気付いたことの一つは、自分が「表現者」としてではなく「媒介者」として舞台に立っていたのだなということ。今回出演させていただいた作品は脚本が本当に良くできていて各シーン、台詞や動作の演出イメージも明確だった。共演していた役者の中には舞台経験が豊富な人達もいたし、実際彼らは客受けが良く人気のある役者であったが、作品や登場人物(キャラクター)を壊すようなアドリブや動作は演出に容赦なく叩き潰されていた。
「それは、役者の自我(エゴ)だ。客に媚びる必要はない。舞台に立つなら自我は捨てなきゃならない」
まあ私の場合、アドリブは得意ではないですし、演出の指示を身体に浸み込ませるだけで手一杯でしたが…
実際今回も観劇アンケートには彼らの名前が多く登場していました。それでいいのだと思います。私の演技がお客様の印象には残らなかったとしても、裏を返せばそれは悪目立ちもしていなかったということ。つまり、役としての私が作品世界にちゃんと馴染んでいたし、生きていたということなのではないでしょうか。だとしたら、それで充分だと思います。演出の描いた作品が、役が自分の身体を通して歪み少なくお客様に届いたのなら。私という役者は今回、作品世界と観客を結ぶ媒介者だった。別にそれは私が演出の操り人形だったというわけではなくて、脚本の意図を観客に伝えるという役者としての一つの仕事を果たせたのではないかと思うのです。
役者というのは経験を積めば積むほど上手くなるものだと思っていました。
でも、これを機に必ずしもそうではないのかもしれないと思いました。
4年間居続けた劇団で重ねた役者経験による成長より、きっとこの3か月の稽古による成長のほうが大きいと感じているからです。要は稽古の密度と演技のコツのようなものを体得できたかどうかなのかもしれません。この公演は私にとって「気付き」が多かったのでしょうね、きっと。
脚本には色々と書き込みました。今までにないほど脚本に向き合いました。
そして自分のことを認めてくれる人達と共に芝居が作れたこと、本当に嬉しく思います。
つらつらと思うままに書きましたが、お客様の評価は勿論、共演者・スタッフから評価いただけたことは収穫であり、体調を大きく崩すことなく公演をやり切ったことは役者として、また私個人としても自信につながった。そんな公演でした。
体力的にも役者をすることはもうないと思いますが、今はただ、幸せです。
この公演に、彼・彼女らとの出会いに、感謝を。
1.22 加筆修正
2015-1-20 17:06