平成最後なので、せっかくだから今日のことについてブログ書く。
なんたって平成最後の日だから、何したって特別なんだから。
テレビでは平成を“振り返る”なんて言っているけど、私にとって平成は人生だ。
比喩でもなんでもなく、平成に生まれて平成で育った。
そりゃあもう育ちきった。私という人格は既に、どうしようもないくらに完成している。

まあそんなことはどうでも良いのだ。
今日は、その平成最後の日をどうすごしたのかをただブログに書き込みに来たんだ。
ただの特別な日記だ。

平成最後の日にしたこと。
その1、部屋の掃除。
普通だなぁ。なんて普通なんだろう!
素晴らしき哉、普通。
部屋が荒れに荒れていたのだ。
幸か不幸か実家暮らしなので、自室で過ごすのは基本的に寝るときのみ。仕事なんてしてると特に。
だから、最悪ベッドまでの道とベッドの上が開いていればいい。
まさに今朝までその“最悪”の状態だったのだ。
典型的な整理整頓が苦手な人間なので、ひとたび部屋が荒れ始めるとなんかもう全てがどうでも良くなって荒らし続けてしまう。
あんまりにも酷いから、掃除した。平成最後だし。
衣替えもした、もうすぐ五月だし 洋服がタンスの容量を越えている。
衣替えをしたら、どうやら私は冬が来る前にちゃんとした衣替えをしていなかったらしく、着てない冬服が大量に出てきた。
ので、棄てた。
機能として着れる/着れないではなく、私が 着る/着ないで選んだ。
断捨離だ、平成最後だし。
だから今夜は、夢に洋服のおばけが出るかもしれない。オレタチ マダ キラレル ナゼ ステタ


平成最後の日にしたこと。
その2、キャストドールのヘッドに睫毛を植えた。
マニアックな趣味の話で申し訳ない(誰に対してだろうか)が、植えた。人生で初めて植えた。
平成最後の日に初めてのことができるなんて幸せだなぁ。今日は睫毛記念日だあ。
何個か前のブログで球体間接人形を買ったとあるが、あれから三年経ち、二体目に海外のドールを買ってしまった。
初めてのことだったのでこれもまたドキドキワクワクだったのだが、それはまた別の話で。今日は今日のことを話しにきたんだ。

この海外キャストドール、ヘッドメイク(顔に眉毛やら化粧をしてもらう)はしてもらったのだが、睫毛は描くのみで生えてなかった。
人にとって睫毛は大切だ。
その昔、医療関係に勤めていた母が「睫毛がない人の顔って不思議、変な感じ」と言っていた。それくらい睫毛は大切。些細だけど、人の印象を大きく左右する。
そんな睫毛を植えた。
やり方は至ってシンプルで、100円ショップで購入した人用の付け睫毛を切ってボンドで貼り付けるのみ!!
ドール用のつけ睫毛も世の中には存在するが、そんなにこだわらなければ人用で十分なんじゃなかろうか?
既に持っていたキャストドール君はあらかじめ睫毛が生えていたが、その睫毛だって私は三年目にして「ああ君の睫毛ってそんな形してたのね」と思った位なので 大して気にしなくていいとおもう。
ただ、人用の付け睫毛だと人形の顔に対して長さがけっこうあるのでだいぶ眼の穴の奥のほうに植えた。
“ピンセットで”なんてハウツー本には書かれていたけど、ピンセットだと眼の周りを傷だらけにしそうだったので、ある程度アイホールに睫毛を突っ込んだら、内側から指で押し付けてくっつけた。

つまり、平成最初で最後の経験から言いたいことは、ドールに睫毛植えるのはけっこう簡単だからビビってる人が居たら ぜんぜん大丈夫!怖くないよ!!てことです。

私は自分の生身の身体の方にはつけ睫毛を着けたことないので、つまり余ったつけ睫毛など持っていたってどうしようもないので、近くに居たピカチュウのソフビ人形にも少し植えた。お気の毒様ピカチュウ。
ぼのぼの に出てくるショー姉ちゃんみたいになった。
ぶっちゃけ、キャストドールのアイホールに植えるよりソフビに植える方が大変だ。



そんな感じの平成最後の日だった。
如何せん、平成生まれの人間はみんなそうなのだけど、平成の世しか生きてないので 平成が人生の全てなので、平成が終わったときに自分が終わるのではないという気がしている。
この感覚、年度末で仕事を辞めるときに似ている。
四月からのカレンダーが真っ白で、私はもう死ぬんだと思った。
でも四月になっても生きてたし、今ものうのうと生きてる。

だからきっと、平成が終わっても私は生きてるんだろうなぁ