小保方晴子博士の件でどうしても我慢ならなくなり、日記を書くことにした。

つくづくうんだけれども、なぜ小保方博士がここまで優遇されているのかといえば彼女が「彼女」だからに違いないんじゃなかろうか。
つまり、愛らしい服装とキャラクターを好む女性らしさと無邪気さ。
無骨で、ともすれば冷たい印象の理学や遺伝子学からはかけはなれた、暖かい人物像。
研究に没頭すると睡眠さえろくにとらない徹底した完璧主義。
それでいて、お祖母さまからいただいた割烹着を愛用するという伝統を大事にする心。

魅力的、ですよね?
人それぞれ感じ方は違うでしょうけど、少なくとも私から見れば小保方博士はとても魅力的。
ブスとか言う人もいるけど、個人的には愛嬌があるお顔をなさっていると思うし。

話を戻すけど、彼女は魅力という切り札で今まで生き抜いてきたんじゃないかなあと思う。
正しく言えば「能力を最大限派手に見せる、魅せる力」というか。

だから云わば特技という「魅力で勝負」のAO試験に合格し早稲田の門を通ることが出来たし、外部の大学ともつつがなくコネクションを作り、それを維持できている。
それはそれで大変素晴らしいことだと思う。
どんな機関にだって看板や緩衝材となり、全体の利益をどこからかもってくる人材のひとりやふたり必ずいてるものですしねぇ。

でも、それとこれとは話は別。
小保方博士は剽窃という絶対に許されないことをしたのに、それを批判する方が逆に狭量だったり細かいことにこだわる人間だと叩かれる風潮があるのは何なのでしょうか。
正直、気持ち悪い。

男性が彼女を批判すれば「小保方さんが女性だから嫉妬しているんだろう」
女性が彼女を批判すれば「小保方さんが才媛だから妬んでいるんだろう」
権威が彼女を批判すれば「小保方さんが偉大な発見をしたから悔しいんだろう」

なんですか、それ?

「STAP細胞が事実であれば、論文の剽窃や写真の盗用・加工なんて問題じゃない」
「たとえコピペでも、世にSTAP細胞を認めさせるきっかけとなるなら必要悪だ」
とまで仰られる方もいる。
てめーは馬鹿か。

なぜSTAP細胞が認められたかと云えば論文の説得力があったから。
なぜ説得力があったかと云えば証拠があったから。
なぜ証拠があったかと云えば―捏造されたから。

STAP細胞が本当に存在さえしていれば、すべてが許されるの?
アリバイの立証が出来ない容疑者は、証拠の捏造をしても、それが露見しても無罪となるの?

一度でも論文を書いたことがある人なら分かると思うけど、ちょっと気合の入ったテーマで書くと論文作成は数年単位の作業なんだよ。
論文は筆者の時間と思想と、血の滲むような努力でできている。

他人の時間を、想いを、努力を、食い物にしやがって。
だれかの成果を我がものにして博士号をとっただなんて、博士号を剥奪されて当たり前なのに(これはどんな三流大学でも卒論作成時のガイダンスで口酸っぱくして言われるはず)いまだに野放しにされているなんて。

たかがパクリで、という人は論文で苦労したことがないのだと思う。
もし私が私の論文をパクられて、パクリ先の人間がそれで研究費獲得したり出世したら。
そりゃもう{検閲により削除}ねこのクソ女、と思うことでしょう。

過激な事を言うようですが、私は小保方さんが博士号を剥奪されるべき、理学の分野から追放されるべきと思っています。
もはやこれは単なる「可愛い嘘」「ちょっとした見栄っ張り」では済まされない領域の大事件なのですから。