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27

27歳になりました。
もう立派な大人。少しずつ自分が内面も外面も変わってきていると実感している。
ここ最近の私はある本を読んで、「自己受容」というキーワードが頭から離れない。
今まで沢山の恋愛をして、今また始めようとしている恋。
今までしてきた恋はほとんど100%楽しくもあり幸せなこともあったにも関わらず、最後は私が傷つくか、相手を傷つけるか、または両方かで終わる。
それはなぜなのか、どうして奥さんや彼女持ち、フリーでも元カノを追う人、あるいは自分を好きではない人ばかり好きになるのか。それ以外の人と付き合うと私は気持ちが冷めて振ってしまう。
愛し愛される恋愛ができない理由は、明らかに私に原因があるとしか思えない。

今回また恋愛を始めるにあたって、自分と向き合い分析しようと、過去の恋愛をノートにまとめている最中。

好きな人

わたしの好きな人は一昨日初めて会った人。人を助ける仕事、2つ上、顔がタイプ、すごくかっこいい、横顔が大好き。性格も好き。肌が綺麗。腹筋が割れている。カメラとキャンプが趣味。少し離れたところに住んでいる。昨日初めてセックスする。まだ、付き合ってない。

恋をしました。何が起こっても常にハッピーな自分。今なだけ。ハッピーなのはわたしだけ。この多幸感は長続きしないことは知っている。唐突に終わってしまうかもしれない。それでも、何度もないこの多幸感を味わい未来に期待し、相手を信じてしまう。愚かだから。

無題

私は自分という存在に満足している

お返事

昨日書いた記事で、イトコとの性行為は近親相姦ではない、というお言葉をたくさんいただきました。
それについて、私の見解を述べます。
私自身が、従兄弟と性行為をすことは近親相姦に「近い」行為だなという認識です。こんなこと言ったら不快に思われる方もいると思いますが、実際に血は繋がっているからしょうがないのではと思っている節があります。
でも、不思議と他人や身近な人が従兄弟同士の結婚や恋愛をしているのをみても近親相姦だとは微塵も思ってません。当人同士が純粋に愛し合っているならなんの問題もありませんし、偏見も全くありません。法律の隔たりも何もないですし。
ただ、私は純粋に相手のことを好きなだけではなく、たくさんの感情が混じり複雑な不明瞭な関係だからこそ罪悪感を持っています。
不倫な上に近親相姦みたいなもんで、後ろめたいな、親に口が裂けても言えないな、という感情が常にあります。
その罪悪感からあのように表現をしました。それを理解してくれとは微塵も思いません、不適切な表現だとは思います。だからといって訂正するのも逃げてるみたいなので、そのままにしておきます。
不快に思われた方には申し訳なく思います。
従兄弟同士で結婚した人のことを近親相姦とは思ってませんよ。私自身の行為に限定して近親相姦みたいで、より世間的に問題がある行動を取っているなと感じているだけです。