ふい〜




最近「ああ....この人が男でなく女子だったらな....」とちょいちょい思います、させふじです

今週末から週2稽古がんばるぞ〜。本番まで出来るだけ参加したい所存


おのれの役について悶々としておりました

先日稽古の後、劇団の主宰さん含め何人かで晩御飯を食べに行ったのだが

自分の役の方向性がイマイチ見えていなかったので、主宰さんに「私の役ってこうこうこういう事なんですかね??」とあれこれ質問

「こういう方向性もしくはこんな方向性かな」という主宰さんの返答に納得した部分もありつつ、しかしどうにもしっくり来ない

さてどういう方向性でいけばよいかふらふらしております

今回の私の役はわりと傍観者的な立ち位置で

どんな人物なのか、というかそもそも人間なのか、性別はあるのかすらもご想像にお任せ〜的な感じ

なのである程度自分の好きな風に作り込めるのだけど、表にあまり出してもいけないし、どう表現したらよいかな〜、と悶々としている

その時放った何気ない台詞には一体何が込められているのだろう。もしくは特に意味は無いのだろうか

考えようによっては、私と似ているような気もするし、そうでもないような気もする

変わらない表情の奥で、何を思い、何を感じているのだろう


本番の日が知り合いの劇団さん複数と被っててあかん。オワタ

座標




考えても仕方ないことだしいつかは必ずその日がやってくると分かっているけれど、頭に過る度に少しだけ不安定になる。拠り所が無いというか支えが無いというか。他の人に話したり甘えたりしたところで満たせるものでも紛らわせられるものでもないのでこればっかりは己との闘い。むしろ紛らわせようとしてはいけないのだと思う。し、紛らわせたくない。逃げ出したのも離れると決めたのも私。いつか来るその日の為に心の準備だけはしておかないと

人生いつ何処で誰に何が起きるかなんて本当に欠片も分からなくて、目の前の人や身近な人達が明日には忽然と消えてしまうかもしれない等と縁起の悪い事この上無いがひっそり考える。私の知っている人では無くなってしまうかもしれないし、私のことを忘れてしまうかもしれない。声を聴くことも出来なくなるかもしれない。誰にだって、私にだって、必ず訪れる。いつ死んでも未練は無いしむしろ死にたがりだけど、先に死ぬのだけは避けたい。見送ることは彼らの子として残されている数少ない務めだろう

死は悲しむべきものじゃない、とある小説の一文。でもやっぱり悲しいよね。亡くなった瞬間、もうその人は過去にすり変わってしまう。新しい記憶は二度と作れない。死んでしまったらそこで終わりなんだよ


というか全然お話変わるのですが、新規購読者様ありがとうございます。なんかすいません、こんなダラッダラした内容ですいません。でも何か考えてるようで何も考えてない万年脳内お花畑なので、めんどくさくなったらバッツリ購読外してやってくださいね

サルヴァドール




ふおお、新規購読者様ありがとうございますんすん。まるで中身の無いことばっかり書いてますがまったりよろしくお願いします。うざったくなったらそっと購読外してやってください

とあるグループLINEが冗談でなく一日2〜300件ほど通知くるのだけどもはや流れを追えない。携帯死ぬから通知Offにはしてるんだが、アイコンに通知の数字表示されるだけでLINE開く気失せる。アプリそのものを消したくて仕方ないでおじゃる

喉が痛い〜。朝も昼も夜もマスクマンしてるのにすぐ痛くなる。喉が痛くなるともれなく身体もだるくなるのでお布団でごろんごろんしてる。ふとんになりたい。こたつにもなりたい

台詞がほんとに入らなくてやばい。皆で台本読んだ時の録音を聴きながら目で台本を追うというスピードラーニング方式を取っているのだけど、話が進まないシーンが結構あってその辺りがまるで覚えられない

台本もキャストも決まりで小道具やら衣装やら探してたんですが、いやはややはりメルカリ様は偉大です。明日には届きそうな気がする。サイズ合うとよいな〜

プロフ画が変わっておりますが、密林様で注文して無事に届きましたタランチュラぬいぐるみを被っております。帽子ではありません。ぬいぐるみです。小道具で使うのよ。小道具と衣装とでお金すっからか〜ん

こころはだし




台本の最終稿が本日上がり、超特急で台詞入れねば、衣装に小道具に揃えねばと心が忙しなくなってきた

けれども悪いものじゃない。真摯に、真摯に


あ〜やっぱり変えられないな、ひっそり思った

誰を好きになっても、誰と付き合っても、ずっと大切なまま

全部忘れたい。けれど、忘れたくない。失くしたくない

踏み込みすぎてしまわないように、離れた場所からたま〜に見守っていたい

だらだら




東京で暮らし始めてから、今年で8年目になる

それまで田舎も田舎な地域で暮らしており、都会になんて出たことの無かった身としては、始めは自分のような田舎者が果たして馴染めるのだろうかと不安もあった

が、何より感動したのは他人との距離感。大学自体少し特殊だったので面倒な干渉をしてくる人も居たには居たけれど、突っぱねようと思えば突っぱねられるという事実は何より素晴らしかった。ここでは誰もが他人同士、個と個が互いに望んで初めて関係が出来上がっていくのがとても気楽だった。自己満足の為に私の気持ちを曲げようとする人も、大した理由も無く私の存在そのものを否定する人も居ない

連休があれば度々実家に帰っていたが、いつしか地元の空気が合わなくなっていた。10数年も住んでいて何とも無かった筈なのに、たまに帰ると身体が合わない。くしゃみに鼻水に目の痒みにと何が原因か分からないが夜も眠れないようなアレルギー反応を起こすようになっていた。町の何処に居ても。東京に戻ってくるとピタリと治まる。未だに変わらない

東京には感謝してもし切れない。少なくとももう二度と地元では暮らせないし暮らしたくない

とはいえ地元が嫌いな訳でもなく、山々に田んぼに畑にと長閑な風景が広がるばかりの景色は思い出すたび懐かしい。単線、街灯の無い夜道、蛙の合唱、そこそこ星の見える夜空、近所からお裾分けされた土付きの野菜達

中学時代までの同級生達は、その殆どが未だに地元で暮らしているらしい。結婚し、子どもを授かった人達も少なくない。もう会うことも無いし、連絡を取ることもないけれど。彼らは今、日々何を思い、何を感じてあそこで生活しているのだろう。会えば話すことも無く戸惑ってしまいそうなので訊く機会も無いが

不思議と、地元に色々なものを置き去りにしてきた、という感覚はほぼ無い。元々持っていなかったものばかりだったんだろうな。するりと私だけ東京に抜け出してきただけ。挙げるとすればやはり両親くらいなものか

今の住まいには、小さな薄っぺらいアルバムを二つだけ持ってきている。高校時代のアルバム。この頃の私に教えてやりたい。「お前の選んだ進路大正解だったぜ」。「受験勉強頑張ってくれてありがとう」とも伝えたい。公募推薦なんて枠が無ければ逆立ちしても入れるレベルの頭じゃなかったから。最後まで模試E判定だったから。お蔭で入学してからは底辺の成績しか取ったことがない。けれど素敵な人達との出逢いの成績だけは花丸を付けても許されるんじゃなかろうか


う〜ん、いつの間にか地元の空気が体に合わずアレルギーが出るようになってしまった〜、ってのが書きたかっただけだったのだが。だらだらと書いてしまった

最近いよいよ携帯の寿命を感じる。でもあと一年くらいは使う。端末代金払い終えて安く使うのだ

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