こんにちは。
入籍後、諸々全て、漸く終えました。振り返って、私すごく疲れていて、なんだか最近しんどいとしか思ってません。

前撮りの前日、義母がついて来てもいいかと言われ喧嘩しました。奴の家族まるごと頭おかしいと思えて、苦しくて泣きました。当日は朝早いのに、夜中まで泣いて喧嘩してたのでコンディションは心身共に最低でした。作り笑いって出来ます。いい写真が撮れました。
今思えば、パニックの息子が遠くまで着付けに行くのを心配して、送り迎えをしようかと義母は申し出ただけだったのだと思います。その説明が欠けていたのは奴のプライドであり、そうなれば私は断りにくいからとの配慮だったかもしれない…?と性善説を唱えたところで、結局実際は何も考えてなかったっていうのが、奴のお決まりのパターンだからやっぱり配慮なんかなかったんだと思う。

式が近づくにつれても、やっぱり喧嘩は減らなかった。土日は奴にとってトレーニングの時間であり、先週パニックを起こした同じ場所に赴き、今週こそはパニックにならずに帰ってくることを目標とし、挑むように出かけ、やっぱりパニックになって夜中まで帰ってこない。私は土日はこもって式の用意を一人でしていて、夜中に帰宅する奴に当たることもあった。一人で必至に仕上げた席札の印刷は、奴が友人の名前を2名ほど、漢字を間違えて元データに登録していたため、枚数が足らなくなって買い足しに行かねばならなかった。登録時の確認を奴がしなかったせいだし、印刷後の確認も無理矢理させたけど奴は誤りをスルーし、私が返信ハガキと突き合わせて気づいたものだった。他人様に失礼があってはならないと、あちこち気を使いまくって神経すり減ってヘトヘトの私に、それはもうトドメだった。
今思えば、奴は式までにパニック克服をしようと焦ってい他のだと思うし、式の用意をすることは、式に出なければならない事実と向き合うしんどい時間であるから、無意識に避けたのだと思う。

新婚旅行もなにも準備しない奴だった。チョコーっと、職場で聞いて来た情報を対して吟味もせずにこれ見よがしにもってくるので、はねた。福利厚生の宿代なんて、楽○トラベルと比較したら大して安くなかったし。ただでさえ家にいないし、帰った時にはさっきまでの不安障害でヘトヘトだから気を使って話題もふれず、ろくにゆっくり話す時間もなく、そんな中でもなんとか土曜にカフェに付き合ってもらい交通手段も、スケジュールもルートも、確認した上で予定を組んだ。同じところに旅行経験のある複数人に確認して、余裕のあるスケジュールであることも、裏をとった。私自身、期待しすぎるとがっかりすることはよくわかっていたので、ほんと最低限の目的をピックアップして、とても臨機応変に対応できるスケジュールにした。宿も、人混みでごったがえさない、階数の低い、それでいて安いところを、外観写真やら地図をみて懸命に選んだ。ただ、車の運転だけは私はペーパーだったので奴に任せる必要があった。奴は ここまでしてくれたんだ。運転は任せて!と、元気良く言っていた。
実際旅先に出ると、運転速度は低速(酔うかもしれないという予期不安)、高速は使えず全て下路(具合が悪いときにすぐ停車できないから)、挙句 私にも運転を促すような会話をクドクドとされたので静かにキレた。「私、いつも他のこと全部してるのに、運転くらい出来なくてもいいでしょう?」。ほかに私が奴を頼る点、なにもないんですが。

帰ってきた時、本当に楽しかった!という、奴を、見て涙ぐんだのは、もうなんの感情だったのかわからない。しんどいだらけの中でなんとか日程をこなしてくれた奴の頑張りに感謝したとも言え、乗り切ったこと自体に喜んでいるとも言え、それって愛情なのかな?養護対象というか、息子が初めて修学旅行から帰って来た時のような、何か違う感じがしてしまった。それを暫く経った今も私は悩んでいる。

奴は晩ご飯を食べるためにしかリビングに来ない。帰宅して真っ直ぐ自分の部屋に行き、朝は私が出るまで起きてこず、私が出た後自分の部屋でパンをかじってギリギリ出社し、夜は私は先に食べ風呂に入っている。その頃奴は帰宅し食後すぐ部屋へ行きゲームをする。奴は休みの日は昼まで起きてこない。それにふてくされて一緒に私も昼まで寝ると、いつのまにか先に起きた奴は一人でパンをかじっている。一緒に朝ごはんとか、食べないの?って聞くと、俺の家は皆バラバラだったよ。それだけ。明日のパンがなくても、あなたは出先でそれを思い出したこともないでしょう。私に 明日のパン買ってきてって、言ったこともないでしょう。自然に補充されているそれを、貴方はただ胃に納める。疲れて私が実家に数日帰ってみると、それなりに掃除しているらしいが、私が戻ってきて見たものは全く汚れの撮れていない茶色く縁取られた便器(掃除したよ!と嬉々と言っていた)、レースカーテンのまま蛍光灯のついた誰もいないリビング、私が帰省する日の晩ご飯用に冷蔵庫に入れておいた白ごはんの入ったタッパーがそのまま。

家族って夫婦って何?高校生の息子と暮らしているみたい。何を言っても病気のせいで時間がとれない、病気のせいで疲れていて余裕がない、そんなに言うなら病気療養で仕事を休もうかなと言われた。病気のせいにされたら私ももう何も言えない。毎日ため息。また、食器落として割っちゃった。しんどいな。私の覚悟は足りなかったんだな。パニックを受け入れるということが、どういうことなのか。一人で生きていく力と、子供を将来養う力と、旦那を支える力およびその心のゆとり器の大きさ心の広さを、私は兼ね備えなければなはないようだ。むり、しぬ。

当面子供は考えられないので、仕事に生きることにしました。一人で生きていく力のためにも。出世しなくちゃね。これで私まで精神やったら出世の道も閉ざされちゃうので絶対にそうならないようにこれからもっともっと逞しく鍛えられなければ。

その途中で折れそうになったとき、誰に助けを求めればいいんだろう。