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工芸と消費社会


母親がくれたー
北欧デザインの特集。

「design for all」っていう考え方がいいよね……
あと、ちょっと違うけど「ホスピタルアート」に関してはやっぱりもっと学びたい。




「良いものを大切に使う」
それって昔の日本にもあったはずの考え方なのに、今じゃほとんどなくなっている。

和風総本家とか見てると日本の伝統工芸は、いつかなくなっちゃうのかな…っておもう。
買う人がいなくて、高齢化が進んで…
職人さん達が長い月日をかけて紡がれてきた技術が、より安いものに負けていく



低価格競争とか一概に批判はできないけど、「安さ」の裏には何かがあるはずなのに、なんでみんなその事に目を向けないんだろう。


衛生の名の下に沢山のパッケージが使い捨てられて

生き物の生死からは隔絶される。

廉価なものを次々壊して買い換える消費社会。



それじゃ物や自然との関係が希薄になっていくのは当たり前だよね…






今日本で起こっている社会問題は、突き詰めていくと、全てそこに起因すると思うのは、私だけかな……



素敵体験




またしても父親のお仕事についていった。

チチオやがどうも言いふらしたらしく
みなさんに祝福の言葉をいただきつつ
都内某所の某会社に潜入(笑)


すごかった!!
私たちが普段見てるものはこうしてできてるのかと思うと…


スペイン料理もおいしかったし
プロの方とお話しできるのも、凄く貴重な体験。



あ、ついに「あの」計画も最終段階にさしかかってきてるみたい。
ちょうど、私が中学に入学した頃から始まった「あの」プロジェクト。
そのためにあっちこっちに人脈作った父親には本当に脱帽。

お役所の方もようやくアニメを守るための動きを始めてるみたいだし


国家の外交戦略としてのメディア事業に関しては、本当に韓国を見習うべきだと思う。
そう言う意味では「本当に海外に目を向けてる国」だと思うから。

でも、お役所も大変なんだろうな
いまだに上の人達はそういう「オタク文化」的なものを見下す傾向にあるし
なんたって「サブ」カルチャーですから?

でも、こと産業に関しては企業に任せっきりじゃなくて、国の支えがなくちゃやっていけない面もやっぱりあると思う。

じゃないと、技術と人材の流出が止まらない。


いつまで、アニメや漫画は下位に位置づけられるのだろう

いやべつに、下位に位置づけられるのはいいんだけど
せめてギャラをなんとかしてください…
同じ番組でも文化人は俳優の1/10なんておかしすぎるよ




ていうつぶやき!!以上っ



捕鯨問題と「野蛮」



また捕鯨問題とかの話上がってきているけれど


元々、鯨がここまで減ったのは、欧米が油を求めてやった大量乱獲が影響でしょう?

アメリカが日本に開国を迫ったのだって、捕鯨の為に中継地点が欲しかったから。

日本とかの古来からの捕鯨国は、骨や皮、髭、歯まで遺さず丁寧に使っていた。

それなのに、乱獲をして減少の原因を作った人達に「野蛮」なんて言われる筋合いはない。

そりゃ、全滅なんてさせたらまずいけどそんなに沢山とっているわけじゃなくてちゃんと、減少しないように定められた数だし

それに、感情があって賢い、海の人間だから殺すなって、それっておこがましい事にはならないのかなぁ……

なんだかそれって、人間史上主義みたいな感じがして凄い嫌だ。

漁だって無差別に大量殺戮をやってる訳じゃなくて、ちゃんと基準はある。

それに別に同族食いしてる訳じゃない。

人間だって本来は食物連鎖の一員だったんだから、別に残酷ではなくて

むしろそうやって人間を基準にして生き物に優劣つけることの方が、他の生き物のことを侮辱しているように感じる。

普段食べている魚や肉は、「人間より劣っているから」食べたって残酷じゃないの?

それって酷くない?



生きるってどういうだろう、って考えた時、私は「他の命を奪うこと」だって思う。

だから命に感謝をする。

だから「いただきます」を言う。

そこに優劣なんて存在しない。


だから、犬や猫を食べるっていうのも、本来野蛮なんて言うべきじゃない。


「わざわざ可愛い犬猫を食べる必要が無い。自分達にとっては家族そのものだ。その仲間を殺すなんて許せない」って言うけど

じゃあ、牛や豚は可愛くないの?畜産家の人にとっては、家畜だって可愛い家族だよ。

それは良くて、自分達が好きで、普段食べる文化がないから野蛮って言うなんて間違ってる。


いま、日本では年に28万頭の犬や猫が捨てられて、殺処分にされている。

 

「ドリームボックス」に詰め込まれて、窒息死させて、焼却してしまう方が文化として最低だし野蛮で血も涙もないと思う。

勿論、執行する人や行政じゃなくて、簡単に動物を飼って、最期まで面倒を見ないような人がだけど。




文化や習慣っていうのは、その土地の風土に育まれて気が遠くなる様な時間の中で形成されてきたものでしょう?

確かに、歪みもあるかもしれない。男尊女卑の文化とかその筆頭だけれど

それでその土地の人が苦しんでいるならともかく、西洋諸国にとって理解できないなら全てが野蛮になる。


自分たちと違う肌や信仰、生活習慣をつぶした末路は先住民族問題を見れば明らか。

今は6000ある民族が、数年後にはたった2500に減ってしまうって言われている。それは居住地の減少や、開発を謳う環境破壊、そして「近代化」と言われる波。



インディアンは7代先の事を考え木を切り、春になれば若芽を傷つけないように裸足であるいた。


そうやって、気が遠くなる様な時間をかけて守られてきた土地を、入植者は100年足らずという短い期間の内に、あっという間に枯らしてしまった。

大切に自然を守っていた人々を見下し、迫害した末に。

 

「野蛮」ってなんだろう…

お姫様とジェンダー

「お姫様とジェンダー/若桑みどり」

感想というより、覚え書き?


 


面白かった。


“男尊女卑”でも“女尊男卑”でもない

“ひとりの人間”として向き合える世界を……


理想的なんだけど、きっと今の日本じゃ不可能に近い。



今じゃ確かに昔よりは自由が許されるようになってきた。

でも、先進国と呼ばれている国の中で、日本の女性の社会進出の少なさはずば抜けている。


議員を見たって、それは一目瞭然。

主要ポストに女性が皆無。

蓮舫さんが閣僚に選ばれて、ざくざくやって行くのが結構話題になったけど

それが海外じゃ当たり前なんだ。



国を動かす中に女性がいなければ、法整備も難しい。

育児の為に仕事を辞めるって、悲しいよ。


母親が、そうだったから。



せっかく男ばかりの中でも頑張って勉強して、設計士や建築士の免許取って、就職したのに

私が産まれたら、当然のように退職させられた。

当時はそれが当たり前だったから。


子供が大きくなってから復職しようにも、今更雇ってくれる所もないし、十数年前の技術を今でも保持してる訳がない。


なぜ、こんなに地位が弱いんだろう。

なぜ聖書や教典のなかでも“女性は罪深く、汚れている”んだろう。


聖書ではイブはアダムのあばら骨から産まれ

そしてアダムに罪を唆したのはイブ

福音でも、女性は男性に付き従うものだと明記されている。

仏教も、女性は汚れている、陰の存在だし



古来の土地神はほとんどが女性であり

大地も、穀物も、司っているのは女性だった。

 

「命」を生み出す女性には神性があったのに

 


いつから男性の「所有物」になってしまったんだろう。


それが、ひどく納得できなかった。


西洋においては

安定した生産を行うようになって、“命”よりも

それを支える“もの”を生み出す男性の方が、大切になってしまった。


なんかそれを読んで妙に納得してしまったり。


 


一方。

かつての日本は母系社会だったとも言われている。


父兄、夫婦、夫妻、男女…たしかに、日本での呼称は常に男が上になっている

けれど古くは「めおとー女男」「いもせー妹兄」「おもちー母父」といわれ、言葉の上では女性が上だった。


平安時代には「招婿婚」が普通であり、男性は財産を継げず、精々親の地位を鑑みられて一定の地位を得るだけ。財産は娘のもの。


東北地方や、養蚕、海女集落では、日本以外の欧州では見られない「姉家督」が生きつづけた。


「女性」が家長であれば、一夫多妻の女性の地位格差による分裂も起こらない。

生まれてくるのが誰の子かというもめ事など起こらず、全ての子が家長の子供になる。



「夜這い」に代表される習慣は、今でこそ野蛮で淫らだといわれているけれど、それは男を家長とする「男系社会」からみた見解であるともとれる。

しかもそれは男からだけでなく、女からも仕掛けられた。

貞淑な、男の後についていく女性というのは「ムラの作法」ではなく、あくまで「武家の作法」だった。


それが一般化されたのは、身分を問わず一丸となって国家の名の下に戦争をやるようになった時代から。


だからといって、男性中心的な考え方がなかったとは言いきれないけどね。


…まあ、これは京極夏彦さんの受け売りですが。



だから、この前の某U先生の「サムライジャパン」に対して「なでしこジャパン」に何故日本人は抗議しないのかって言っていたけれど


本来“大和撫子”っていうのは「可憐で繊細だが、心は強い」っていう意味だから

そう思う時点で、そういう考え方になってるんじゃないかなーなぁんて(?)



…少し脱線した。


取りあえず、少なくとも今の日本は男性中心主義的考えが色濃く残っている。

新しく、日々進んでいる時代に、金属疲労のように今までの制度が堪えきれなくなってきている。


「これから」をどうするべきなのか

それはこの国の未来もかかってくる

いのちをうみだす存在が“不幸”で在りつつければ人口もどんどん減っていく。



…これを書いていて思ったのだけれど


いまの「震災離婚」の状態は、まさにこれが当てはまるんじゃないかな?

「再生産」を司る女性と「生産」を重要視する男性の間の対立

案外この問題は根深いのかもしれないなぁ…

 

 

 


フリードリヒ


「あの頃はフリードリヒがいた」を抜粋して
中学二年生に読み聞かせするとしたら、どこが良いか母親に聞かれて



そういえばなんだかんだいって読んだ事がなかったから、うけとってぱらぱら読んだ。




目に留まったのは「ベンチ(1940)」だった。

最後の終わりの部分よりもその章の最後の一文が
たった一言なのに、色んな思いが込められてて
本当に切なくて、切なくて…


自分がユダヤ人だと知った上で
「黄色いベンチのない、郊外の森に行こう」
と、ドイツ人の女の子にデートに誘われたフリードリヒ。


「でも日曜日、やっぱりいかなかった。いけないじゃないか!
僕と一緒にいるところを見つかったら、かのじょは収容所ゆきなんだもの!」(本文より抜粋)




時代背景とか分かってなきゃ「なんのこと?」って感じの一言なんだけど
ホロコーストとかを知った上で読むと、本当に重くて切ない一言のように感じた。


中二なら、分かるよね……中二で、この言葉の、この二人のやり取りの意味が分からなかったら、なんかもう…







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