家に帰り、庭で稽古を始める輝真。
どうやら今日は道場は休みのようだった。縁側から稽古を見守るのは、父‥輝彦。
かなりの空手家として知られた人物である。
飛田家は父一人母一人兄一人妹一人の典型的な四人家族である。
うち、母を除く三人に空手の心得がある次第であった。
ともあれ一心不乱に正拳を繰り出し続けている輝真。
額には汗が光っている。
見守る父は悠然としているようにも、真剣そのものにも見えた。
ふと父…輝彦が口を開く。
(大分汗をかいているな)
それだけ言って口をつぐんだが。
輝真は父に黙って印を切り、庭の水道で口を濯ぐ。
(かなり根詰めてたな)
輝真の心象である。
‥傍らには、蝉が鳴いていた。
その日の大学の帰り道。
家を目指す輝真、自転車なぞ漕いでいる。(割と暑いな)
心中そんなことを呟いていた。
つと、見慣れた古本屋が視界に飛び込む。(寄ってくかな)
割とこの古本屋の常連である。
自転車を傍らに止め店内に足を運ぶ輝真。(いらっしゃい)
敷居を跨ぐと顔見知りの店主が声をかけて来た。
(格闘の教本かね)
ぼそっと呟いてくる店主、表情はにこやかだ。
(そんなところです)
割と丁寧にこたえる輝真。
まっすぐにその一角を目指す、格闘の教本‥。
目を引いたのは、空手の入門書と護身術の教本だった。
2つ併せて千円ほどである。
(ください)
黙って購入する輝真。
店主は静かに頷いた。
つと師範が口を開く。
(輝真。仕上がりを見てやる)
言っておもむろに構えて見せる。
組手の構え。
(よろしくお願いします)
言って構えをとる輝真。
これもまた組手の構えだ。
‥。
師範の隙の無さに攻めあぐねる輝真。
かといって、退こうともしない。
(なかなか)
内心ほくそ笑む師範。
‥どうやら仕上がりは上々のようだった。(いくぞ)
言って輝真に突きを繰り出す師範。
正拳、ほぼ正拳。
(来た)
輝真の心中。
なんと、交差法すれすれの反応をしてのける。
輝真の‥反応だった。
(ううむ)
うなり空手の印を切る師範。
輝真に伝える。
(お前、プロ狙えるぞ)
心底、輝真の成長が満足な様子である‥。ともあれ組手は終了の様子だ。
その翌日、大学での空手の部活動。
輝真は昨晩と同じように稽古に汗を流していた。
(精が出るな)
顧問の師範が声をかける。
(ありがとうございます)
黙って印を切る輝真。
伝統派空手の印だった。
この大学の空手部は有名ではないが決して弱小ではなかった。
(そんなことはどうでもいい)
輝真は常日頃そんなことを思っている様子だったが。
(空手ができればどこでもいい)
そんな事を考えている様子だった。
一心不乱に稽古をしている輝真。
胴打ちやら正拳やらを熱心に繰り出していた‥。
そんな輝真を見守る師範。
どうやら歳は30そこそこらしかった。
それから30分ほど歩き、家に帰った輝真。
何の変わりもない一戸建て、実家のようである。
懐から鍵を取り出し玄関を開けた。
(ただいま)
一言そう言って敷居を跨ぐ。
誰も出てくる様子はない。
(おかえり)
そういう両親の声が聞こえただけであった。
流しで手を洗い軽くうがいをして、二階の自室に向かう。
空手胴着は洗濯かごに入れた次第だった。ベッドに腰掛け少しぼんやりしていると、今日の稽古が思い出された。
(姿勢がなってない)
(もっと息を吸え)
色々と言われたことを反芻しているうちに、眠気がしてきた。
(気持ち悪いな)
当然である、稽古で汗を流した後なのだから。
箪笥から着替えを取り出し、浴室に向かう輝真だった。