5月5日 あめ
悔しいけれど、安心してしまうあのひとの暖かな腕の中。
もっといっぱいその腕で抱きしめて欲しい。
ほんの数分前まで安心できるぬくもりに触れられていたと思ったのに、くしゃみをしたと同時に少しだけ開けた瞳の先には真っ白なシーツの海しか見えなかった。
「ぅ…ん…さむ…い…」
…全身が鉛のように重くて、だるい。瞼を上げることすらおっくうになって、シーツの上をぱたぱたと手探りでぬくもりを探すも見つからない。
確かについさっきまで自分のそばにいたはずなのに。
部屋の外から聞こえてくる雨音がさらに、不安をあおってくる。
目の上に何かが乗っているじゃないかと疑いたくなるほど重たい瞼を擦ることでこじ開けて、ぼんやりと見つめた先の天井には水たまりのような形の染みがあった。
自分の部屋の天井にはない染みの形。
俺…昨日の夜、なにしてたっけ…。
土方さんのいる副長室に行ったまでは覚えている。
けれどこの天井は副長室ではないし、副長室に行ったら土方さんは昼間見回り中にさぼったことを怒ってて、どこ行ってたんだってしつこく聞いてきてそれでそれから……
「…悪い。起こしちまったな」
もともと煙草臭い部屋だけど、煙草のにおいがいっそう濃く漂ってきたかと思えば、眠りに落ちる直前に耳元で囁かれた低い声とともに、水たまりの染みを持つ、この部屋の主がひょっこり俺の顔を覗きこんできた。
きゅ、急に覗きこむな!
反射的に目の前のひとから顔をそらす。
心の中で思ったことは声には出なかったけれど、昨日の夜から気を失うまでのことをおぼろげに思い出してしまったところに、そんな心配そうな顔で覗き込まれたら、俺はどうしたらいいのか分からない。
そんな顔されたら、いつものような憎まれ口だって口から出てきてくれない。
漆黒の目にじっと見つめられていると、だんだん恥ずかしくなってきて顔をそらしたのに、俺の気持ちなんてちっとも分かるわけがない、無神経なあのひとの手がそっと俺の額に触れた。
「な、なに、」
土方さんのてのひらが俺の額に触れた瞬間、雷に打たれたかのようについびくっと、大げさに反応してしまった。
「熱は…ねぇようだな」
顔が赤いから熱があるのかと思ったんだが…、と思いのほか真剣な顔つきのまま言葉を続ける土方さんに、本当に俺の身体のことを心配して触れただけなのだと分かって、大げさに反応した自分が急に恥ずかしくなった。
…てっきり、やらしいことを考えながら触れてきたのだと思っていたので。
勘違いした自分がすごく恥ずかしい。
恥ずかしくなったら余計に顔が熱くなった気がする…!
普段やらしいことばっかしてくる土方さんに、「ヘンタイ」とか「すけべ」とか言いまくっていたけれど、煙草臭い身体に覆いかぶされて、今現在額に触れている大きな手で
身体のあちこち触られまくったことを思い出して照れている俺のほうこそ、ほんとはすけべかもしれない。
「おい、やっぱり具合悪いのか?」
恥ずかしさから顔を見れずにいるだけなのに、土方さんが心配そうに聞いてきたので俺は首を横に振る。
…まったくこのひとは。
普段はムッツリすけべなくせして、妙なところで過保護っていうか心配性っていうか。
こーゆーのをムツ甘っていうのかな?
土方さんとこういうことになる以前だったら、「いちいち子供扱いするな!」って怒っていただろうけれど、俺のことが大切だから心配しているんだって分かってからは土方さんの優しさがなんだかくすぐったくて、怒る気なんて失せてしまった。
でも大切にされてるのがうれしくないわけじゃない。
こんな性格だから素直になれないけれど。
恥ずかしかった気持ちがだんだん和らいできたので、少しずつ少しずつ土方さんのほうに視線を戻していると、俺の寝ている布団の横でしゃがんでいる土方さんの手元に見覚えのある雑誌が転がっていた。
あの雑誌は…
コンビニで土方さんが立ち読みしていたやつだ。
…立ち読みだけじゃあ物足りなくて買っちまうほど、その雑誌の水着のねーちゃんが気に入ったんですかィ?
岩に打ち上げられたトドより、陸に打ち上げられた魚のほうがいいって言ってたじゃねぇか。
ぼんきゅっぽんなエビフライより、ぺらっぺらの魚のフライのほうが好きだから、毎日食べてるんじゃあ…ねぇの?
「どうした?」
具合は悪くないと首を振って否定したものの、それでも押し黙ったままの俺に、土方さんは不思議そうに聞いてくる。
この前土方さんに聞いたのは食べ物の好みだけで、土方さんの好みのタイプを聞いたわけじゃない。
だから勝手に怒ること自体身勝手なことだし、それに土方さんの好みのタイプにまで腹を立てるのはどうかと思うのだけど。
本当なら選ばれるわけがなかった、魚のフライ以上にぺらぺらで食べるとこのない男の俺が土方さんに選ばれた。
本当はぼんきゅっぽんなエビフライのほうがいいんじゃないかって、些細なことで、その…不安になる。
それは土方さんを信用してないわけじゃなくて…えっと、その…、ただ俺に自信がないだけなんだ。
「…水着のねーちゃんのやらしい姿見て、また鼻の下伸ばしてたんですかィ」
むっとなりながらその雑誌を睨みつけていたら、それに気づいた土方さんが「あー…、」と納得したように口の端を上げて呟く。
「何だお前、ヤキモチか?」
ニヤニヤしながら俺の顔を見てくる土方さんに、俺は顔をそらす。
「…ちがいまさァ」
口を尖らしてぽつりと否定したら、まるで「嘘吐け」とでもいうかのように、土方さんは俺の額に触れていたてのひらをぷっくり膨れた頬へと滑らせて行った。
「だから…ちがうって言ってるだろィ」
知らぬ間に膨れていた頬をニヤニヤしながら指摘されて、それがどうにも気に食わなかった俺はもう一度否定したけれど、否定した言葉とは裏腹に自然と口調がきつくなってしまった。
こんな口調だと図星を肯定しているようなものだ。
そう思うと、土方さんにそんな感情を知られて恥ずかしいとか、バカにされたみたいで腹が立つとか、いろんな感情が混ぜこぜになって余計にいたたまれなくなった。
あと一言二言、土方さんに何か言われると、爆発してしまうかもしれない。
そう思ったときだ。
「それなら俺にも違うって否定させてくれるか?」
これ以上俺をいじめたら後の仕返しが怖いと思って言い出したのかと思ったら、そうではないようだ。
「お前がいるのに水着のねーちゃん如きでそんな気起きねぇよ」
とすっごいことを口走った後に、
「せっかくお前と一緒の日に休み取ったんだ。ケンカで貴重な時間、潰したくねぇ」
土方さんはぷっくり膨れた頬から手を滑らせて、俺の髪に指を通す。
昨日まで今日が非番だっていうことを土方さんの口から聞かなかったから、今日も絶対、土方さんは仕事だと思っていた。
それだけに突然転がり落ちてきた土方さんの言葉に、俺は同じことをもう一度ぽつりと呟いていた。
「非番…なんですかィ?」
未だに目を丸くしたままの俺に土方さんが「あぁ」と頷く。
いつもだったら素直にその言葉を聞き入れなかったと思う。
だけど撫でるように何度も俺の髪に触れるてのひらが優しくて温かくて、さっき言った言葉が土方さんの本当の声なのだと素直に受け入れることができた。
それに俺だって…ケンカで時間なんてつぶしたくない。
土方さんが非番だって言うならなおさら。
「お前どこか行きたがってたみたいだし、たまにはどこかへ連れて行ってやろうと思ったんだよ」
雨でも行ける近場のとこ探してんだけど意外とないもんだな、と付け足して言った土方さんはポストイットが貼ってあるページをめくっている。
一体、どんな顔してそんなこと言ってるんだろ。
土方さんに気付かれないようにこっそり顔を覗き見ると、土方さんの両耳がほんのり赤く染まっていた。
あぁ、なんで――…
なんで、土方さんの誕生日なのに、俺が土方さんよりうれしい思いをしているんだろう。
土方さんが開いたページ以外にも、いくつもポストイットが貼ってあるのに気づいてしまって、それは俺のために事前に調べてくれてたのかな、と思ったら急に胸の中が熱くなった。
土方さんにも負けないくらい、今の俺の顔はきっと、発火している。
そんな顔を土方さんには見せたくなくて、俺は土方さんの視線から逃れるように身体をそむけて口を開く。
「別に…無理して出かけなくてもいいですぜ」
慣れねぇことして恥ずかしくねぇのかィ、って土方さんに対して思っていたくせに、口から出てきたのは思っていることとは逆の気持ち。
俺のことを甘やかしたいって純粋に言ってくるから、俺まで調子を狂わされてしまった。
「…また次の休みに連れてってくれたらいいでさァ。
今日は土方さんの誕生日なんだから、たまには土方さんのしたいことに付き合ってあげてもいいですぜ?」
たまにはゆっくり休みなせぇよ、と。
俺らしくないなって自分でも十分わかっているけれど、普段だったら絶対言葉にしない気持ちが、すらすらと言葉になってあふれてくるんだから仕方がないじゃねぇか。
「――総悟、」
さっきので余計に顔を合わせづらくなった俺が布団の中に顔を埋めようとするタイミングに、土方さんから呼び止められる。
「…なんでィ」
そう呟いたら、土方さんの手が伸びてきて、髪で隠されていた横顔を出すように、横顔を覆っていた髪を勝手に耳に掛けてきた。
ちょっと勝手に何してくれるんでィ。
髪のおかげでかろうじて隠れていたのに。
土方さんのことだから、赤くなった耳と頬をバカにしてくるかと思ったのだけれど。
「…ありがとな」
感謝の言葉と一緒に、ちゅっ、と頬に唇を落とされて、驚いた俺はあわてて掛け布団を頭までかぶってしまった。
「(…まさかちゅーするためだけに、わざわざ俺のほっぺ出したのか?)」
土方さんのキザな態度をバカにしてやりたかったけれど、混乱していた俺がそれに気づいたのは布団にこもって数分後のこと。
酸欠し掛けた俺が布団から顔を出すころには、すでに土方さんはいつも通りになっていた。
おわり
* * *
5月5日深夜はまたあとでアップします。
それで本当に終わりです!
それにしても前回からだいぶ空いたせいか、何が書きたかったのかわからない…!
なんだかちゃんとまとめれてなくて、ありがちな終わりですみません(-_-;)
9/26追記:
ムツ甘=ムッツリすけべだけど甘いひとの意です。
ムツ甘が気になった方はサイトトップからムツ甘同盟に飛んでくださいませ〜
そして同盟に参加していただけると幸いです。
これはおまけ↓