1人きりの部屋の中、俺は携帯の液晶を眺めていた。
夜にもかかわらず電気を点けてないこの部屋で唯一の光源である携帯は、頼りなげな光を発している。
「(遅い…)」
彼は9時に電話をくれるとメールで言っていたのに、もう約束の時間を30分も過ぎていた。
俺の胸の中には、苛立ちと不安が段々と滞積されていく。
〜♪
と、握り締めていた携帯が着信を知らせる。
液晶画面には、愛しい恋人の名前。
「もしもし、」
『よぉ、幸矢』
「遅い」
『すまんすまん!先輩たちに無理矢理飲み会誘われてもうてん』
「…ふぅん」
『元気にしとったか?』
「…おん、元気やで。そっちこそどうや?ちゃんと飯食っとるか?」
『おぉ、メチャメチャ元気やで!飯もちゃんと食うとる』
「そうか、それならええ」
『つーか、お前は俺のオカンかっちゅうねん(笑)』
「恋人やもん、心配なんよ」
俺の恋人である須永晴真が地元である大阪を離れ東京へ行ったのは、卒業式のすぐ後だった。
理由は、進学。
在学中から「大学は絶対東京へ行くんや」などとのたまっていた晴真は、見事に東京の有名大学に合格した。
合格の知らせを聞いたとき、俺はまるで自分の事のように晴真を祝った。
けれど反面、不安でもあった。
そこまで遠い距離でもないが、学生という身分では、そう頻繁に通える距離でもない。
今までずっと傍にいた存在が遠くへ行ってしまう不安、距離と一緒に自分からも遠ざかって行ってしまうのではないかという不安。
それが、何よりも大きかった。
「はる…東京はどうや?大学とか、楽しい?」
『おん、楽しいで!先輩らもええ人ばっかや』
「そっか…」
『…?なんや元気あらへんなぁ。どうかしたん?』
晴真の問いかけに、肩が跳ねる。
言ってしまおうか?
晴真に会えなくて寂しい、と。
晴真が俺から離れていくんじゃないかと、不安なんだと。
携帯を持つ手に力が入る。
キシ、と携帯が小さく悲鳴を上げた。
ダメだ。
こんな事、言っちゃいけない。
ワガママは、言えない。
「…なんでも、あらへんよ」
精一杯明るく言ったつもりだが、少し声がかすれてしまった。
『………そうか?』
「おん、」
気まずい沈黙。
ほんの数秒であるはずのそれが、俺には数分に感じた。
『なぁ、幸矢』
ふと、晴真が真面目な声色で俺を呼ぶ。
普段なかなか聞かないその声に、不覚にもドキリとした。
「なんや?」
『寂しい思いさせて、堪忍な』
「え、」
一瞬、晴真の言った意味が分からなかった。
少し遅れて、俺は必死に言葉を紡ぐ。
「…な、何言うてん!俺は全然平気やで?なんや楽しそうにしてるみたいやし、俺としては一安心やわ!」
『幸矢、』
「せ、せや!東京にはかわええ娘がぎょうさんおるんやろ?浮気したらあかんで!」
『幸矢、強がらんでもええ』
「そんな、こと……」
あらへん、と続くはずだった言葉は、電話越しに伝わる晴真の雰囲気に飲み込まれてしまった。
『本当は寂しいんやろ?』
その言葉に、今まで我慢していたものが溢れだす。
ぼろぼろと涙をこぼし、唇からは嗚咽が漏れる。
「…当たり前やボケ!」
『…すまん、』
「すまんで済んだら警察はいらんわアホ!」
『…うん』
「俺だけ地元に残されて…どんだけ俺が不安やったか分かるか!」
『ごめん、』
堰を切ったように、晴真への文句が口をつく。
もう自分でも何を言ってるか分からないくらい怒鳴って、泣いて。
それでも、晴真はただ静かにそれを聞いてくれた。
「………」
『落ち着いたか?』
「…おん……なんか、すまん」
『えぇって。幸矢を寂しくさせた俺が悪いんやし』
「…ん、」
『…なぁ、幸矢。赤い糸ってあるやろ?』
「は?」
今までの鬱憤やらを吐き出し尽くしたら心なしかスッキリとして落ち着きを取り戻した俺に、晴真はワケの分からない事を言ってきた。
『ほら、小指と小指を繋ぐ運命の赤い糸』
「…え、今むっちゃシリアスモードやったんに、何でいきなりそんな話?」
『最後まで聞けや。あんな、俺らはきっとその赤い糸で繋がっとると思うんや』
「はぁ…」
冗談かとも思ったが、そう言った晴真の声はいたって真面目だった。
何やねん、お前。ロマンチスト気取りか。
「で?それがどうかしたんか?」
『せやから、寂しがらんでもええで』
「あっそ」
『冷たいっ!そんな態度とられたら俺泣いてまうで?』
「アホか」
さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら。
俺らはケタケタと笑いあった。
『ほんなら、俺明日も早いし、もう寝るわ』
時計を見てみればもう日付は変わっていた。
「おん、おやすみ」
『おやすみ』
ぴ、と電源ボタンを押す。
もう不安とかそんなのは無くて、ほっこりとした安心感みたいなものが俺の胸の中を占めていた。
「赤い糸、かぁ…」
自分の小指をちらりと見る。
まぁ当たり前だがそこには何もなくて。
でも、きっと繋がっている。
「運命の、赤い糸」
もう一度そう呟いてみると何だか嬉しくなった。
「アホやんなぁ、アイツ」
Fin.