話題:大学祭
今日は母校の芸祭に行ってきました〜。
晴れて良かった。
院に行った人の作品も見れたし。
久々に泥臭い油臭さを浴びてきましたよ。
ほんとに油絵って臭い。
描いてる時はあんまり気にならないんですけどね。
学生の作品をぼーっと眺めてて、ああ、自由だなぁってしみじみ思いました。
自由というか敵がいない絵、明確な目的を持たない作品だなというのが第一の感想でした。
学生の頃はそんなことこれっぽっちも思わなかったのにね。
まだまだ日は浅いけれど、面白い変化だなと。
面白いことに二次創作にはそういうのは感じないんですよね。
この内に滾る萌えを相手と共有するために必死になるからですかね。
趣味でやるなら自由な絵でいいと思いますけどね。
それをお金にするって難しいです。
お金を得るためには、その商品もしくは手段によってなんかしらの問題を解決する必要があるんですよ。
お腹が空いた→製菓会社にお金を払ってお菓子を買う→お菓子を食べて空腹が満たされる
みたいなね。
デザインとか絵もわかりづらいけどやってることは一緒なんです。
パッケージなんかは明確で、その商品を買わせるために、購買意欲を刺激する手段を与える、その代わりにお金を貰う。
なぜ漫画を買いますか?
退屈が癒されるからですよね?
より豊かな価値観に触れられるとか、いろいろあるかと思いますが、こういう娯楽商品の一番下地の欲求は退屈が嫌だからはじまると思ってます。
だからよりスリリングな、より癒される、より自分を豊かにさせる退屈しのぎをお金を払って購入するんです。
もちろんそこには好みがありますから画一的な退屈しのぎは存在しません。
そこでなにを人々は求めているのか、どういった形態でどの年代がどんな価格帯で求めているのか調べるのがマーケティングですね。
すごくわかりにくい文章になってしまいましたが、つまりマーケティングとデザインは非常に近しい、むしろデザインの前工程としてマーケティングがあるということを伝えたかったんです。
拙い文章ですみません。
要するに独りよがりでデザイン、ひいてはお金をもらう絵は描けないんですよ。
まず問題があってその解決手段としてのそれですからね。
ここまで長々書いてきましたけど、これはあくまである程度絵と向き合った人がやるべき話です。
まずは自分しか見えてなくていいんです。
その中で少しづつ人に伝えたい認められたいって欲求をこういう考え方に転化していけばいいいいんです。
最初から他人の目を意識しすぎると、流行りにのった薄っぺらいものしか作れなくなります。
ものを作って評価されたいではなく、評価されたいからものを作るに変わってしまいます。
本末転倒です。
絵のブームなんて長くて2、3年です。ついていけなければ捨てられます。
でも描きたい芯があればブームが変わっても描きたいものにブームをうまく取り込んでいけばいいんです。
絵は楽しく描いた方がずっと魅力的なものになります。
これは過程が楽しいとかじゃなく、描き終わって、まあほんとに描いてる時、辛いしめんどくさかったけど楽しかったなっていう楽しく描くですから、一緒に苦しみましょうってことで。