「─っ最っ低....!」


ぱん、と小気味良い音が耳元で響いた。

続いてやって来る、毎度お馴染みのじんとした頬の痛み。


これで一体何度目だろう。


目の前には、私を、親の敵か何かとでも言わんばかりに燃えた瞳で射抜いてくる彼女。

この熱が伝わってくる内は、まだ大丈夫。と思いたい。


「あ、あんたさ....いい加減にしてよ....!
何の....あたしに何の恨みがあって、こんな....!
こ、の....泥棒....っ!泥棒猫....っ!」


彼女の熱に潤む瞳から溢れた、その一筋に眼を奪われる。

ただ塩辛いだけのそれを、舐めてみたいとふと思った。


しかし、流石にそれどころではないと自分を押し留める。


「黙ってないで何とか言ったらどうなのよ!?」

「あー....あの、毎回同じ答えになるけど....」

「『欲しいと思ったら奪われたくないから』?ふざけないでよ....!
馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言わないから覚えちゃったじゃない!」


覚えたくもなかったのに、と苦悶に顔を歪ませながら彼女が吐き捨てる。

私だってそんなもの、覚えて欲しくなんてなかったのだが。


「....あ、あの、さ、これまた毎回言ってることだけど」

「『あんな男は止めておけ』って?
その原因のあんたがどの口で言ってる訳!?
彼氏も、好きな人も全部全部あたしから寝取ってくれるあんたがどうしてあたしに説教すんのよ!?」


仰る通りだ。


しかし、私が彼女に掛けた言葉はわりと本気なのだ。

ちょっと誘った位で、彼女からあっさり他の女の上に乗り換えようとする奴も中々に最低だと思う。


まあ、どう考えても最底辺は私なのだが。


それにしても、何度も繰り返している筈なのに上手く切り抜けられない自分が情けない。

頭を使うのが苦手なのだ。
いつも、考えるより先に身体が動いてしまう。


「え、っとー....」

「....ねぇ、あんた、本当に何がしたい訳?」


どきり、と鼓動が跳ねた。

この質問だけは、何度耳に通しても慣れない。


「あんたさ、本当に腹立つ位可愛いし、あんたに本気出されたらあたしなんて敵わないわよ。

あいつらだって単純なんだから、あんたから誘われればそりゃホイホイ乗るでしょうよ」

「えっと....どうも....はは....」

「....マジでもう一発殴りたい。
....でも、あんた何であたしが眼付けた奴ばっか狙うわけ?
ていうか、わざわざあたしから奪っておいて何ですぐぽんぽん捨ててんのよ?何なの?マジであたしに何か恨みでもあるわけ?
あたしあんたに何かした?された記憶しか無いんだけど」

「や、その恨み的なものは全く無いです....はい....」

「....あんたどれだけあたしを舐めてんのよ」


舐めてみたいとは思ってます。

一瞬頭によぎったそれを、しかしどうしても口にする訳にはいかないのでぐぐっと我慢する。


「....あいつだけは」

「....え?」

「あいつだけは、違うと思ってたのに....」

「....」

「あーあ....結局男なんて女の外見しか見てない訳ね」

「....ごめん」

「謝らないでくれる?っていうか謝るくらいならそもそも取らないでよ。

....もう、いいわよ。どうでもいい」

「....」


苦しい。

どうして、私は、いつもいつも。


「....あんたさ、そんなにあたしのことが好きなの?」

「....んへ!?」


咄嗟に変な声が洩れた。


「何よその返事は....。
だって、他に理由が思い当たらないじゃない。
いっつもあたしから好きな人寝取るし、その癖そいつと続いてる訳でもなさそうだし。
....他の友達なんかはあんたへの評価ボロクソだけどね。」

「あ、いやあの、えっと....」


どうしよう、頭が追い付かない。うまく誤魔化せない。


「....始めはただ人のモノを奪うのが好きな最低女かと思ってたけど。

あんた、あたしから奪った奴らじゃなくていっつもあたしの傍にばっかいるし。あいつらに寄ってこられても、全然楽しそうには見えないし。
加えて、あたしがどれだけ切れても殴っても離れないし。何?むしろドM?」

「ド、ド....!?ち、違うよ!?」

「じゃあ何なのよ!?マジで他に理由が思い付かないのよ!?
別にあたしあんたのこと死ぬほどムカつく最低だと思ってるけど何でか嫌いになれないし、もしそうだとしても偏見も無い!」

「....へ?」


ちょっと待て。

今、彼女は、なんて。


「あー....言われたのよ、友達に彼氏とかあんたのこと相談した時に。

殆どの子達はあんたをボロッボロにこき下ろしてたけど....一人だけ、違ったの。もしかして....って、話してくれて」

「....っ」


どうしよう。
彼女の顔を見られない。

だって、それを知られたら。私は。


「....ちゃんと、全部話してよ」

「....い、いいいえない」

「言わないと今ここであんたとは絶交」

「すいません好きですずっと好きでした大好きですごめんなさい許してください」

「ちょろすぎでしょあんた」

「ぅぁぁぁぁぁ....」


びっくりする程あっさり釣られてしまった。

こわい。恥ずかしい。しにたい。


「あー、うん、なるほどね」

「あ、う....」


隠し事が苦手な私が、何より死に物狂いで押し隠してきたもの。


好きで好きで堪らなくて。誰にも奪われたくなくて。

でも、どうしたらいいのか分からなくて。


誰かに掠め取られること以上に、私の醜い欲望を知られて、彼女を永遠に失ってしまうのが何よりも恐ろしくて。

いつも、頭で考えるより先に、身体で動いてしまって。


それを今、全部知られてしまった。

どうしよう、どうしようどうしよう。


「....許してやらないから」

「....」

「あたし、あんたに本っ当に沢山傷付けられた。
あんたの気持ち、やっと分かったけどそれでも許してやらない。許せる訳ない。

二度と、こんなことしないで」

「....そう、だよね。ごめん」


目の前が暗くなってきて、よく見えない。

ああ、ごめん、ごめんなさい。

ここで、彼女を失うのか。自業自得だ。


「....だから、次からは正攻法であたしを落としに来なさいよね」

「....はい........はい?」


あれ、私目に続いて耳までおかしくなったのだろうか。

今、彼女はなんて。


「あ、あのう」

「何よ」

「い、嫌じゃないんですか?」

「何がよ」


皆まで言えと仰るのか。


「だ、だからその....私が貴女をそういうそれで、あれな、それ....」

「....まあ何が言いたいかは何となく分かったけど。さっきも言ったでしょうが。

あたしは別にあんたのこと嫌いじゃないし、偏見も無いって」

「....どうして?」

「えぇ?」

「私、貴女が言うように、死ぬほど貴女を傷付けてきたよ?
へ、偏見が無いって教えてくれたのは嬉しいけど....私、貴女を好きでいてもいいの?

私は、あ、貴女をた、たくさん....ぅ、ぅぇぇぇぇ....」

「ちょ!?何でそこで泣くのよ!?ああああもうやだめんどくさいこいつ....!!」

「めんどくさい....そうだよねごめんめんどぐざ...ぅぇぇぇぇ....」

「っだあああ泣くなあああ!!
あんた他の男共に対するいつもの態度は何だったのよ!?ギャップありすぎでしょ!?

....ったく、しょうがないな」


ぽん、と頭にあたたかな何かが置かれた。

ぽん、ぽん、とそれが優しく私をあやす。


ほら顔上げて、と少し怒ったように言われ、恐る恐る彼女の顔を眼に映す。


「いい?確かに今までのことは忘れられないし、あんたを許した訳でもない。
でも、あんたの気持ちがその、生半可な物じゃないのも、少しは理解出来たつもり。

....だから、今度は真っ正面からあたしにぶつかってきてよ。

今更ここで逃げたりしたら、あんた本当に最低だからね?

ちゃんと、責任とってあたしだけ追い掛けてきて。あたしも、あんたのことちゃんと考えて、答えるから」


そう、少し怒った風に見える彼女の顔には、気のせいだろうか。

いつも物怖じしない彼女には珍しい、どこか恥ずかしがるような朱色が混じっているように見えて。


綺麗だな、と思った。


「....あり、がとう」

「....お礼を言うのはまだ早いわよ?

あんたのことはちゃんと考えるけど....あたしも初めてだから、どうしていいか分かんないし。

あたしに好きな人が出来たり、あんたが同じことしたらもう応えられないからね?」

「わ、わかった」

「....あーあ、あいつらの気持ちがちょっとだけ分かった気がする」

「....へ?」


はいもう大丈夫でしょ、と私の頭からするりと温度が消えた。

それが、無性に名残惜しい。


というか、今の彼女の発言は。


「え、ああの今のってどういう意」

「はいはいもう外も暗くなってきたし帰ろうかー」

「ままま待って待って今の意味深な発言についての詳細を是非とも教え」

「自分で考えて一人で悶々としてなさいこのドM」

「ど、ドMじゃないぃ!?」


─私の、彼女への仕打ちが消えることは無いけれど。


「....私より、むしろ貴女がドS」

「ドMなあんたなら涎ものでしょ」

「なんで私そんなにドM認定されてるの!?」


また、これから間違うこともあるかもしれないけど。


「ていうかそんなあたしを好きになったあんたの負けね」

「うううはいそうです大好きですう....」

「....はぁ、惚れたもん負け、か」


どうか、恐れないで、歩いていこう。


貴女の元へ。どこまでも、まっすぐに。




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