この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。
ログイン |
放置ブログにもかかわらず、アクセスはあるのが私なりに驚きです。
皆様のご期待にこたえることができるか不安ですが、本日のチャンピオンカップの予想です。
今年から阪神から中京へと開催が変わり、春にはフェブラリーSと高松宮記念が同じ勝負服が1着という演出がありました。
この事から高松宮記念、フェブラリーS同様に今回もMコパノリッキーが最有力候補となると思います。
因みに馬主のDr.コパは東京都出身で愛知工業大学客員教授だそうです。(笑)
しかしながら今回はコパの1着はないと思います、理由は今年のJRAG1において2勝した馬はまだ1頭もいないからです。
この傾向は有馬記念まで続くと私は勝手に思い込んでおります。
最近はまったく競馬から離れているのでよくわからないのですが、まだJRAG1勝ちがないJワンダーアキュートにはお世話になったので頑張って欲しいです。
推奨馬券は★JワンダーアキュートとMコパノリッキー2頭軸からあとはお好みで^^
押さえにM2着固定の馬単と馬連
こんな感じで今回はお茶を濁す事にします。
次回以降は有馬記念と東京大章典について見解をUPしていく予定です。あくまでも予定ですけど・・・。
【JCダート】2強対決はトランセンドに軍配!史上初の連覇達成
●【JCダート】2強対決はトランセンドに軍配!史上初の連覇達成
サンケイスポーツ 12月4日(日)15時50分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111204-00000523-sanspo-horse
JCダートはトランセンドが連覇達成!ライバルのエスポワールシチーは3着だった(写真:サンケイスポーツ)
第12回ジャパンカップダート(4日、阪神11R、GI、国際招待、3歳以上オープン、定量、ダート1800メートル、1着本賞金1億3000万円=出走16頭)藤田伸二騎手騎乗の1番人気トランセンド(牡5歳、栗東・安田隆行厩舎)が逃げ切り、史上初の連覇を達成した。勝ちタイム1分50秒6(良)。
2馬身差の2着には後方から直線馬群を縫って伸びた5番人気ワンダーアキュート、さらハナ差の3着には2番手追走からしぶとく食い下がった2番人気エスポワールシチーが入った。4番人気ダノンカモンはあと一歩伸びきれず5着、ダート2戦目となった3番人気ヤマニンキングリーは後方から脚を伸ばすも7着に敗れた。
「行ってダメなら仕方ない」。鞍上・藤田伸二騎手のその言葉どおり、スタート直後から果敢に先頭を奪ったトランセンド。人気を分けた最大のライバル・エスポワールシチーを終始2番手に従えてレースを引っ張った。
“2強の一騎打ちムード”が漂うなか迎えた直線、必死で捕らえにかかるエスポワールシチーを逆に突き放した。「相手も強い馬なので、とにかく馬を信じていた。抜かせない自信はあった」という藤田騎手の叱咤に応え、ゴールへ真一文字。終わってみれば2馬身差の圧勝劇で、レース史上初の連覇を達成した。
この勝利でJRAダートGI4勝目。JRAダート重賞も6勝目となり、ともに歴代単独トップの記録。名実ともに“砂の王者”となった。
トランセンドは父ワイルドラッシュ、母シネマスコープ、母の父トニービンという血統。通算成績19戦10勝。重賞は09年のレパードS(重賞)、10年のみやこS(GIII)、JCダート(GI)、11年のフェブラリーS(GI)、南部杯(GI)に続く6勝目。藤田伸二騎手、安田隆行調教師はともに10年トランセンド以来JCダート2勝目。
●トランV・藤田騎手「頼もしい相棒です」
2011.12.4 16:42
http://www.sanspo.com/keiba/news/111204/kba1112041643027-n1.htm
行ってしまえば抜かせない自信があると語った藤田信二騎手。パートナーとの絆で連覇を飾った【フォト】
第12回ジャパンカップダート(4日、阪神11R、GI、国際招待、3歳以上オープン、定量、ダート1800メートル、1着本賞金1億3000万円=出走16頭)藤田伸二騎手騎乗の1番人気トランセンド(牡5歳、栗東・安田隆行厩舎)が逃げ切り、史上初の連覇を達成した。勝ちタイム1分50秒6(良)。
トランセンドの鞍上・藤田伸二騎手は「とりあえず行って負けたら仕方ないと思ってました。厩舎からもそのように言われてましたし、思い切ってハナに立ちました」とレースを振り返った。
フェブラリーS優勝から始まり、ドバイWC2着、JCダート連覇を達成するなど、今年のトランセンドは充実一途。この勢いについては「乗り難しくないし、本当に馬が強いから勝たせてもらっている感じです」と藤田騎手。
“2強対決”といわれた同レースの最大のライバル、エスポワールシチーについて聞かれると「相手も強いから敬意を払いつつも自分の馬を信じて行きました。ハナに立った時点で抜かせない自信があった」と絶大なる信頼が垣間見えた。
最後に「1番人気に応えられてホッとしています。トランセンド共々、僕も応援してください」とファンにメッセージを送った。
●藤田伸二騎手「行った時点で勝ったと思った」
netkeiba.com 12月4日(日)16時52分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111204-00000005-kiba-horse
4日に行われたジャパンCダート(GI)をトランセンドで勝利した藤田伸二騎手のコメントは以下の通り。
【藤田伸二騎手のコメント】
「(連覇については)あまり考えていませんでした。1番人気だったので人気に応えたいという思いのほうが強かったです。(16番枠だったが)どこからでも先頭に立とうと思っていました。行ききれたことで「勝ったな」と思いました。この馬はハナを切ると道中の手応えが全然違う。まだ子供っぽいところもあるので、ハナを切ったほうが最後まで集中するのが現状。行った時点で、抜かせない自信はありました。頼もしい相棒です。来年のドバイに向け、順調にいって欲しいと祈っています」 .
●レース結果
http://keiba.yahoo.co.jp/race/result/1109060211/
1着:8枠Oトランセンド /藤田伸二
2着:5枠Hワンダーアキュート/和田竜二
3着:2枠Eエスポワールシチー/佐藤哲三
11R 2011年12月4日(日) | 6回阪神2日 | 15:40発走
第12回ジャパンカップダート(GI)
ダート・右 1800m [コースガイド] | 天気: | 馬場: | サラ系3歳以上 | オープン (国際)(指定) 定量 | 本賞金:13000、5200、3300、2000、1300万円 | レコードが出たレース
結果.
払戻金
単勝 O 200円 1番人気
複勝 O 120円 2番人気
複勝 H 280円 4番人気
複勝 E 110円 1番人気
枠連 5−8 1,570円 6番人気
馬連 H−O 1,750円 3番人気
ワイド E−H 530円 3番人気
ワイド E−O 140円 1番人気
ワイド H−O 530円 5番人気
馬単 O−H 2,180円 4番人気
3連複 E−H−O 920円 2番人気
3連単 O−H−O 6,180円 15番人気
http://www.jra.go.jp/topics/column/g_files/index.html
名馬の蹄跡 カネヒキリ
第6・9回ジャパンカップダート優勝
カネヒキリ
2008年 ジャパンカップダート(GI)
アスリートに怪我との戦いはつきものだが、それは競走馬も同じ。素質に恵まれても故障で実力を発揮できないまま終わる馬は決して少なくなく、トレーニングと医療の進歩をもってしてもこの難敵に立ち向かうのは至難の業である。そういうなか、不治の病といわれる屈腱炎を克服し、2度のジャパンカップダート制覇を果たしたのがカネヒキリだ。
2008年 ジャパンカップダート(GI)
ダート界の新星として若駒の頃から注目を浴び、同世代との戦いでは桁違いの強さを発揮。武蔵野S2着を経て挑んだジャパンカップダートでもキャリアで優るベテラン馬を相手に並外れた勝負根性を見せ、クロフネ以来となる3歳馬の優勝を成し遂げた。そんなカネヒキリを、同い年の三冠馬になぞらえて“砂のディープインパクト”と呼ぶ者さえ現れた。だが翌年、突然の悲劇が襲った。フェブラリーS優勝、ドバイ・ワールドC4着、帝王賞2着と順調にキャリアを重ねるカネヒキリの右前脚に、重度の屈腱炎が見つかったのである。復帰をかけ、再生医療の一種であるステムセル(幹細胞)移植が施されたが、1年後に再発。2度目の移植を行い、細い糸を辿るようにしてようやく実戦の舞台に戻ったのは、2年4か月ものブランクを経た平成20年・6歳の秋であった。
2008年 ジャパンカップダート(GI)
復帰初戦の武蔵野Sは、行きっぷりこそ悪くなかったが馬群に包まれて9着に終わった。そして迎えた2度目のジャパンカップダート。巧みにインに潜り込んだカネヒキリは、前走の鬱憤を晴らす力強い走りで直線抜け出すと、前年の覇者ヴァーミリアンらの猛攻を凌いで3年ぶりの同レース優勝を成し遂げた。関係者と、何よりも馬が耐えてきた厳しい道程を思えば、“奇跡”といっても過言ではない復活劇であった。さらに東京大賞典、川崎記念も快勝し、年明けのフェブラリーSもレコード決着の僅差3着と健闘。5月には骨折に見舞われたが、1年2か月の休養を経て戦線に復帰。平成22年のマーキュリーCでは通算12個目の白星をあげた。足掛け7年に渡る競走生活にピリオドを打ち、今春、スタッドインした不屈の王者。その血を継ぐ2世の登場が今から待ち遠しい。
カネヒキリ
牡 栗毛 平成14年2月26日生
生産:早来・ノーザンファーム
調教師:角居勝彦(栗東)
馬主:金子真人ホールディングス(株)
…今更の投稿ですが、コレが出たらジャパンカップダート優勝馬のOかEが1着で相手はゾロ目ですかね〜
1着OorE 2・3着7枠こんな馬券も買っておきますか〜
ジャパンカップダート 新聞広告 「2001年クロフネ」
挫折はチャンスだ。
そう想える人間には。
その秋、僕は投げやりだった。
教材の出版社へ就職が決まっていたが、
それは教員採用試験を三度目で諦めた末のことだった。
競馬場で上野君に再会したのは、
第二回ジャパンカップダートの日だ。
「翻訳家のたまごだよ」
高校で英語の成績が「5」だったその同級生が近況を話す。
「実用書専門の事務所だけど、いつか小説やりたくて」
「さすがだなあ」感心しつつ、すこし妬んだ。
上野君も僕もクロフネを買っていた。
秋の天皇賞への出走にすべてを懸けていたクロフネは、
予期せぬ不運でそれを断念した。
そこでやむなく予定を変え、ダート戦に出たところ
レコードタイムを叩き出したのだ。
あれは偶然じゃないのだと、僕は確かめたかった。
まじかよ、と思ったのは向こう正面だった。
大ケヤキの裏を馬群が通過したところで、
クロフネが先頭になっている。
焦りすぎだろう。
でもクロフネの加速は止まらない。
これは、このスピードは、本当にダート戦か?
圧勝だった。そして、また出た。レコードタイムが。
ダートという「やむなく」進んだ道で。
なりたいものがすべてじゃないのだ。
ときに僕らは、強い望みをくじかれる。
致し方なく消去法に追い込まれもする。
でもそれが、最初に願ったものよりも
鮮やかな風景に通じていたとしたら?
わっ、と上野君が声を上げた。
「コンタクトが落ちた」
「眼、悪かったのか」
「そう裸眼視力のせいで航空会社も諦めたくち」
「航空会社?」
「操縦士志望だったからさ、ずっと」
さすがだなあ。さっきとは違う感心をしながら
僕も地面に手をついて、探すのを手伝った。
…当時を知らない人にはこの文章だけでは理解できないと思ったので(クロフネ - Wikipedia)より引用して補足説明とします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%95%E3%83%8D
2001年・秋 [編集]
夏場の休養を経て神戸新聞杯に出走するも、3着に敗れた。この年から菊花賞も外国産馬に開放されていたが、神戸新聞杯3着までの優先出走権は、内国産馬にしか与えられていなかった。そのため距離適性を重視し、天皇賞(秋)を目指すことになる。
当時天皇賞(秋)は外国産馬の出走が2頭までとされていた。しかしアグネスデジタルが急遽出走登録したため、本馬は除外対象となり、出走できなくなった。そのため、天皇賞と同じ週の土曜のメインレースである、武蔵野ステークスに出走することとなった。調教師の松田は、この時「せっかく仕上げたのに走らせないのはもったいない」と語っている。しかしこのダートレースへの出走は、単なる思いつきではなく、元々ダートへの適性もあると考えられていたためであった。
武蔵野ステークス [編集]
ダート競走初戦となったその武蔵野ステークスでは、鞍上が武豊に戻り、1番人気に支持された。レースでは4コーナー手前で早くも先頭に立つと、直線では後続馬を遥かに引き離し、2着のイーグルカフェに9馬身差をつけて圧勝。ダート1600mの日本レコード、1分33秒3を記録した。この圧勝劇で、むしろクロフネはダートへの適性の方が高いという見方がされ、引き続きダートのレースへ出走することとなり、次走をジャパンカップダートとすることとなった。
ジャパンカップダート [編集]
クロフネ(2001年11月24日、東京競馬場にて撮影)ジャパンカップダートに出走した本馬は、前走同様第4コーナーで早くも先頭に立つと、2着の前年の優勝馬ウイングアローに7馬身の差をつけて圧勝した。[1]。この時本馬が記録したタイムは、ダート2100mの世界レコード2分5秒9という破格のものであった。その圧倒的な強さから、レース後には「怪物」と呼ばれている。また、「日本にはクロフネという名の、白いセクレタリアトがいる」とも言われた。これはクロフネが記録したジャパンカップダートのペースで2400mを走れば、伝説の「セクレタリアトのベルモントステークス」のタイムに迫ると言われたためである。
ダートの日本レコードは本馬が記録したもの以外は、タイムの出やすくなる重馬場や不良馬場で記録されたものが多い。良馬場で上記の様なレコードを叩き出した同馬は規格外と言える。このレースにはダートの本場アメリカから参戦の実力馬リドパレスも出走し8着と敗れている。同馬の惨敗に関しては、体調がすぐれなかったこと、日本の重い砂のダートが、同じダートという名称とはいえアメリカの硬い土のダートとは全く異なることなどが影響としてあげられたが、鞍上のジェリー・ベイリーは、「直前の発熱とか、初めての馬場だとか、色々言われているけれども、15馬身も開けられるとそんな事は全て関係ない」と完敗を認めている。
アグネスデジタルとの顛末 [編集]
アグネスデジタルは予定通り天皇賞に出走し、当時圧倒的な強さを誇ったテイエムオペラオーを破り優勝した。「これでクロフネ陣営も天皇賞に出走できなくなった件について文句は言えまい」との評価もあった。さらにアグネスデジタルは暮れの香港カップをも制し、天皇賞の勝利がフロックでないことを証明した。天皇賞の後、再び本馬とデジタルが同じレースに登録することは無かったものの、ダートへの高い適性を見出されたジャパンカップダートを制した本馬と、芝の中距離レースで海外G1まで制したデジタルと双方にとって好結果をもたらしている。
…つまりこういう事です。
> 秋の天皇賞への出走にすべてを懸けていたクロフネは、
> 予期せぬ不運でそれを断念した。
…アグネスデジタルが天皇賞に出走した為に、賞金順でメイショウドトウ、アグネスデジタル以下のクロフネは除外となった訳です。
その憎いアグネスデジタルの産駒がヤマニンキングリーです。クロフネの産駒も土曜日の3場メインに出走するので馬番は要チェックですね。
性 別 | 男性 |
職 業 | 夢追人 |