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お姫様とジェンダー

「お姫様とジェンダー/若桑みどり」

感想というより、覚え書き?


 


面白かった。


“男尊女卑”でも“女尊男卑”でもない

“ひとりの人間”として向き合える世界を……


理想的なんだけど、きっと今の日本じゃ不可能に近い。



今じゃ確かに昔よりは自由が許されるようになってきた。

でも、先進国と呼ばれている国の中で、日本の女性の社会進出の少なさはずば抜けている。


議員を見たって、それは一目瞭然。

主要ポストに女性が皆無。

蓮舫さんが閣僚に選ばれて、ざくざくやって行くのが結構話題になったけど

それが海外じゃ当たり前なんだ。



国を動かす中に女性がいなければ、法整備も難しい。

育児の為に仕事を辞めるって、悲しいよ。


母親が、そうだったから。



せっかく男ばかりの中でも頑張って勉強して、設計士や建築士の免許取って、就職したのに

私が産まれたら、当然のように退職させられた。

当時はそれが当たり前だったから。


子供が大きくなってから復職しようにも、今更雇ってくれる所もないし、十数年前の技術を今でも保持してる訳がない。


なぜ、こんなに地位が弱いんだろう。

なぜ聖書や教典のなかでも“女性は罪深く、汚れている”んだろう。


聖書ではイブはアダムのあばら骨から産まれ

そしてアダムに罪を唆したのはイブ

福音でも、女性は男性に付き従うものだと明記されている。

仏教も、女性は汚れている、陰の存在だし



古来の土地神はほとんどが女性であり

大地も、穀物も、司っているのは女性だった。

 

「命」を生み出す女性には神性があったのに

 


いつから男性の「所有物」になってしまったんだろう。


それが、ひどく納得できなかった。


西洋においては

安定した生産を行うようになって、“命”よりも

それを支える“もの”を生み出す男性の方が、大切になってしまった。


なんかそれを読んで妙に納得してしまったり。


 


一方。

かつての日本は母系社会だったとも言われている。


父兄、夫婦、夫妻、男女…たしかに、日本での呼称は常に男が上になっている

けれど古くは「めおとー女男」「いもせー妹兄」「おもちー母父」といわれ、言葉の上では女性が上だった。


平安時代には「招婿婚」が普通であり、男性は財産を継げず、精々親の地位を鑑みられて一定の地位を得るだけ。財産は娘のもの。


東北地方や、養蚕、海女集落では、日本以外の欧州では見られない「姉家督」が生きつづけた。


「女性」が家長であれば、一夫多妻の女性の地位格差による分裂も起こらない。

生まれてくるのが誰の子かというもめ事など起こらず、全ての子が家長の子供になる。



「夜這い」に代表される習慣は、今でこそ野蛮で淫らだといわれているけれど、それは男を家長とする「男系社会」からみた見解であるともとれる。

しかもそれは男からだけでなく、女からも仕掛けられた。

貞淑な、男の後についていく女性というのは「ムラの作法」ではなく、あくまで「武家の作法」だった。


それが一般化されたのは、身分を問わず一丸となって国家の名の下に戦争をやるようになった時代から。


だからといって、男性中心的な考え方がなかったとは言いきれないけどね。


…まあ、これは京極夏彦さんの受け売りですが。



だから、この前の某U先生の「サムライジャパン」に対して「なでしこジャパン」に何故日本人は抗議しないのかって言っていたけれど


本来“大和撫子”っていうのは「可憐で繊細だが、心は強い」っていう意味だから

そう思う時点で、そういう考え方になってるんじゃないかなーなぁんて(?)



…少し脱線した。


取りあえず、少なくとも今の日本は男性中心主義的考えが色濃く残っている。

新しく、日々進んでいる時代に、金属疲労のように今までの制度が堪えきれなくなってきている。


「これから」をどうするべきなのか

それはこの国の未来もかかってくる

いのちをうみだす存在が“不幸”で在りつつければ人口もどんどん減っていく。



…これを書いていて思ったのだけれど


いまの「震災離婚」の状態は、まさにこれが当てはまるんじゃないかな?

「再生産」を司る女性と「生産」を重要視する男性の間の対立

案外この問題は根深いのかもしれないなぁ…

 

 

 


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