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天文台

日本に帰国して家族以外で初めて会ったのは中学高校時代の学友だった。帰国中にいつか会って飲めたらいいなとは思っていたが、まさかこんなに早く会えるなんて予想外の展開でたまらなく嬉しかった。

最後に会ったのは昨年の夏。その前は3年間音信不通だった。それが、ネットで偶然再開して再び付き合いが始まったというわけだ。学年首位を争えた数少ない好敵手であり、マニアックな趣味を共有できる変態な友人であり、文理を跨いだ総合的な視点での学術的議論ができる相手でもある。

天文台は電車で25分+徒歩20分のところにある。自分は天文台に行くのは今回が初めてだったが、友人は大学所在地にある天文台の年間パスポートを持っていて少なくとも月一で通っているらしい。

展示室は地球科学分野と宇宙科学分野と天文の歴史や機材分野に大まかにわかれていた。地球科学先行の者として、また地球を全力を愛でる者として、地球科学エリアでは語らずにいられなかった。発狂という言葉がしっくりくるかもしれない。あのな、あれはもうだめだ、不可抗力なんだ自然の摂理なんだ不変の真理なんだアビャビャビャビャビャビャ(^ω^)

だって、地球って自転してるんだよ?気流や海流や磁気や季節や植生分布や土地利用や極限気候を創り出してるんだよ?すごくね?マントルと外角の対流!太陽からの絶妙な距離の取り方!氷河期!キエーーーーーーッ

僕の次は友人が宇宙科学エリアと機材エリアで祭りだった。僕は地球ラヴだけど、天体観測は昔から好きで小型望遠鏡と星座早見盤、ホームプラネタリウムを持っている。あいつとこんな所に来れば必然的にどこまでも話が盛り上がり続けるわけで、時間が過ぎるのが速かった。天文台の永住権ください。

展示室の後はプラネタリウムと観測会を楽しんだ。プラネタリウムは細部まで実はよくできていて、肉眼では勿論、双眼鏡を使えば更に楽しむことができる。観測会は、街からあまり離れていないためか、光害の影響であまり鮮やかに見ることはできなかった。

次は名古屋の天文台行くか。

日本到着

21日夜に仙台空港に到着して以来…正直に申し上げると、遊び惚けている(^ω^)エッヘン

空港から自宅への道のりの途中で寿司をいただき、翌日は散髪とケータイショップと銀行、昨日は天文台、今日はカラオケで明日は温泉。

勉強に本気なら遊びも当然本気だ。いずれかに偏ったらもう片方が続かなくなるからな。温泉の後は水泳を再開しようと思う。一年半のブランクがあるけど、そういう逆境という名の香辛料がある方がより燃えてくる。

さて、帰国前夜に話を遡る。実はもう今までいた学校に戻ることはないんだ。来たる春学期に学校のオンライン講座を受講し、秋か冬から別の大学に編入する。そんなわけで、友人らが帰国前夜に荷物整理の手伝いの後送別飲み会を開いてくれた。飲んだくれる人、踊り始める人、異常なテンションで料理する人、その子が作ったものを黙々と食しながらビールを流し込む僕…。実に愉快だった。ラブレターと称された手紙を貰ったときは驚いた。早朝に出発だというのに、お開きした頃は既に午前一時半を回っていた。いくら飲んでも二日酔いは絶対にしない体質が幸いして飛行機には間に合った。

これから暫く日本に入れると思うと脳内で快感物質と欲求不満が生産されまくりで大脳新皮質が爆発してしまいそうだ。いちいち美味しいごはんや静かなマンション、治安の良さ、人の温かさ、充実した学術施設と娯楽施設…全てがありがたくて鼻と耳から何か不思議な液体が出てきそう。日本ってこんなに素晴らしい国だったんだとしっかり再確認させられた。こんな国に貢献できる人間に僕はなる。…今は遊ぶけど(^ω^)ニッコリ

ホットチョコレートの謀反

地面が歪んでいた、ように見えた。20分間に及ぶ熾烈な持久戦の末、かろうじて戦地(※図書館内個室トイレ)から退却し、我が陣地(※図書館内の席)へと帰還することができた。これが後の世に伝わるホットチョコ・大腸の乱である。(※そんなのありません。)

"Can I have 16 oz of hot chocolate?"

学内カフェの店員にそう告げたときからこの戦の気配が始まっていた。マニュアルに則って作られた紛れもないホットチョコレートを、少し派手目な衣服に身を包んだ金髪の女性がそっとレジに置く。3ドル14セント。手持ちがあと1セント及ばなかったため、仕方なく5ドル札を彼女に手渡す。お釣りを貰って取引完了。僕は暫く、左手にすっぽり収まるサイズのホットチョコレートの温度を感じることに夢中だった。今、ホットチョコレートと大気の間ではlatent heatすなわち潜熱の放出が起きている。Warm advection, caused by evaporation. 先にホワイトモカを注文していた友人に促され、互いの飲み物を味見してみる。ホワイトモカの方が美味しかった。

僕たちは図書館で隣の席で勉強していた。館内は非常に乾燥していたため、飲み物という援軍を求めて隣の建物にあるカフェへと出陣したのだった。その援軍が後に敵軍に転身することは、当時の僕には知る由もなかった。

半分ほどホットチョコレートを飲んだ頃、僕は環境地学の課題に取り組んでいた。狼煙は突然上がった。冷汗をかき始めた背中、最大限に開いた瞳孔、 そして全身に響く大腸からの警鐘。奴が…ホットチョコレートが、攻めてきた。

異変に気付いた友人が大丈夫かと声をかけるや否や「厠!!!!!」と静かにしかし力強く言い残し、トイレに駆け込んだ。

(中略)

ひと戦を終えて席に戻った後、気怠い時間が続いた。目眩、悪寒、腹に残る違和感、予期せぬ謀反を受けたことへの喪失感。このまま勉強を続けてはいられないと悟り、帰宅準備をし始めた。

反省すべき点がいくつかある。ひとつ、自分が買ったホットチョコレートよりも友人のホワイトモカの方が美味しいと思ってしまったこと。これは、ホットチョコレートからの嫉妬を買ってしまったのかもしれない。ふたつ、突然の敵襲への備えが万全ではなかったこと。今後は胃薬を常に携帯しておこう。みっつ、環境地学の教科書を戦地に持ち込んだこと。ある意味有意義な時間を過ごすことができた。

帰宅して、気分を紛らわすために今週分のアニメを消化していた。少し寝て、今に至る(※深夜)。友人が僕のためにっ作ってくれたカツが机の上から良い匂いを惜しみなく放っているが、残念ながら今すぐにいただくことはできなさそうだ。にしても、高校時代一人暮らししてた時からそうだけど、男でも女でも、身近にいる料理上手な人がしばしば僕に何か作ってくれるのは本当にありがたい。(・ω・)つ"なでなで

明日は試験あるし、今日はこのまま勉強せずに寝た方がいいな。…慌ただしくて分からなかったけど、こうしてこの環境で生きていられんのもあと一週間と少しか。一時帰国したら別の大学に移るから、この地に来ることは多分もうない。別に惜しくも寂しくもない。今はただ、やり残しがないように勉強に全力で打ち込むだけだ。

"ヽ(・ω・)<マタネ
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瓦礫の山の千羽鶴

机の横にある本棚の一番下の段の左端に、写真集が置いてある。東日本大震災の様子を写したものだ。僕はふと、理由もなくこの写真集を手に取ることがある。

そういえば、あれからもうすぐ二年が経つ。高校を卒業したばかりで、二週間後には渡米を控えているという時の出来事だった。家は高台にある免震構造のマンションの一角であるため、揺れや津波による甚大な被害はなかったものの、郵送ラインの問題によりビザが届かなくて、渡米日時を来月に延期させざるを得なくなった。同時に、時間に余裕ができたため、様々な方面の方々から激励していただくことができた。今でも変わらず応援してくれているみんなには本当に感謝している。

やがてビザが届き、航空券を予約した。成田へ向かう間、後ろめたい想いが尾を引いていることと向き合った。近くに困っている人が大勢いたのに、今までの僕ときたら、募金や物資の寄付程度しかできていない。更に今は、家も身近な人皆も無事だった自分が国外逃亡のような真似をするように思えた。不甲斐無さから自責した。

太平洋の上空で、流れゆく幾億の星たちを飛行機の窓越しに見送りながら考え続けた。(※ランカちゃんの星間飛行がPVつきで途中何度も脳内再生された。なんだか楽しくなってきたのだ。)動き出さなければ何も始まらない、また、誰かを守るために強くありたいという結論に至り、大学到着後、地球科学にのめり込み始めた。

そして今に至る。

アメリカで地球科学を学んでいると、東日本大震災に興味を持つ人との出会いが少なくない。講義中に教授から当時の状況と地震のメカニズム、火山活動との関係や僕なりの分析の発表を求められることもあるし、友人やクラスメイトから個人的に質問を受けることもしばしばある。一通り説明した後で皆口々に言うのは、あれだけの規模の震災で、よく迅速な復興ができ、僕がここへ来れたものだという日本の技術力の高さ。また、この辺りではシアトル断層への懸念があるため、彼ら自身を含めた現地人の防災意識向上に繋がる刺激を受けた、とも聞く。

このように、東日本大震災で命がけで僕の身近な人たちが教えてくれたことは、国境を越えて作用する。


先程から、写真集に掲載されている瓦礫の山の縁に飾られた千羽鶴のある風景の写真を眺めている。哀愁漂うが、力強さを感じさせる一枚だ。

いつも以上に勉強に熱が入る。
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