ぺりどっと

第一章:双子の姉妹-17

暫く熊との別れを悲しんだ雪乃と紅華だったが、秋になればまた熊と会えることを信じて待つことにした。畑を耕して苗を植えて、春から夏にかけての準備をする。気付くと二人はこの世界に来て一年を迎えていて、本来なら二十三歳の誕生日を、そしてこの世界では十七歳の誕生日を迎えた。誕生日にはおばあさんが美味しい料理を作ってくれて、村人は雪乃と紅華にお揃いの服とエプロンをプレゼントしてくれた。色違いのお揃いの服に雪乃と紅華は喜び度々着て歩いた。
 

雪乃と紅華はおばあさんにいわれ、薪を集めに森に入った。鳥達の声を聞きながら森を進んでいると、しわがれた悲鳴が聞こえてきて雪乃と紅華は足を止めた。周りの様子を伺い見ると、何かの頭がぴょんぴょんと跳ねているのが見えた。二人は手を繋ぎ慎重に近づくと、倒れた大きな木とその近くで飛び跳ねる小さなおじいさんがいた。おじいさんは一メートルもある白い髭を生やしていて、顔の色は不気味な灰色を、目は火のように赤く人間にはとても見えなかった。
 
「お前達、何故突っ立ってるんだ？」
 
不気味なおじいさんは二人に気付くと目を見開き、爆発するように怒鳴りだした。
 
「こっちに来てわしを助けんか！この間抜けの馬鹿野郎！わしの美しい白ひげが木の下敷きになっとるのが見えねぇのか!!お前達は馬鹿みたいに食い散らかす脳しかないとしても、わしよりは馬鹿みたいに力があるんだ!!早くこの木をどかせ!!」
 
おじいさんの剣幕に二人は肩を竦ませた。けれど紅華はすぐにおじいさんを睨み怒鳴り返した。
 
「それが物を頼む態度!?だいたいね、おじいさんが何をしたいのか今見たばかりのあたし達には何もわからなかったのよ!!」
 
「わしのことなら今話しただろ！この低脳の役立たず！早くわしを助けなければただじゃすまねぇぞ!!」
 
「あんたねぇ!!」
 
「紅、待って！」
 
紅華はおじいさんに言い返そうとしたが、雪乃は紅華を抑え耳打ちをした。
 
「この人、なんだか嫌な感じだわ。言い方は悪いけど、このまま言い合っても良くないと思うの。さっさとおじいさんを助けて行きましょう」
 
「でも」
 
「何をヒソヒソしとるんじゃ！さては可哀想な小人のわしをそのでかいひげなしの馬鹿面で笑っているんだな！ああ、お前達はなんてひでぇやつらなんだ!!」
 
「わかったわよ！助けてあげるから黙ってなさい!!」
 
再び紅華はおじいさん…小人に怒鳴り返すと、木を退かそうと小人に近付いた。雪乃も紅華を手伝い木を退かそうとしながら、何やら思い出しそうな胸のもやつきに襲われた。

二人は一生懸命に木を退かそうとするが木はまったく動かなかった。
 
「駄目ねぇ。あたし、走って誰か呼んでくるわ」
 
額に滲んだ汗を拭いながら紅華が提案すると、小人は鋭く紅華を睨みつけた。
 
「この馬鹿野郎！おめぇら二人だけでも多すぎだってのになんで呼びにいかなきゃならねぇんだ！そんな無駄なこと考えてねぇで早くこの木をどうにかしろ!!」
 
「どうにかするために人を呼ぶんじゃない！馬鹿野郎はあんたよこのイカレ小人!!」
 
紅華は苛立ちが募り小人を掴みあげた。紅華に胸倉を掴まれた小人は暴れながら紅華を罵り、ますます紅華を怒らせた。この状況に耐えかねた雪乃はため息をつき、エプロンのポケットから鋏を取り出すとひげの先を切り離した。
 
「さぁ、これで自由よ」
 
紅華と言い合っていた小人はひげを切られたことに悲鳴を上げると、バタバタと暴れて紅華の手から逃れ木の根元に隠してあったカバンを掴みあげた。
 
「くたばれ悪ガキども！俺の大事なひげの先っちょを切っちまうなんて！」
 
そう言い残し、小人は森の奥に消えていった。
 
「何よ！恩知らず！」
 
紅華は鼻を鳴らして小人の消えていった先を睨み、雪乃の手を掴むと小人と逆の方向に歩いた。紅華に手を引かれながら雪乃は思い出していた。あの春先の朝、別れ際に熊が言っていた話が鮮明に浮かび雪乃は鼓動が早くなるのを感じた。まさかあの小人が熊の言っていた悪い小人なのではないだろうか。

小人が背中に背負っていったカバンの中身が気になって、雪乃は後ろを振り返った。けれど小人の姿はもうなくて、余所見をしていた雪乃は木の根に躓き転んでしまった。
 
 

第一章：双子の姉妹-16

暖かな日差しが雪を溶かし、かわりに緑が一面に広がった。まだ朝も早いというのに、雪乃は呼ばれる声に目を覚ました。雪乃が部屋から出てくると、いつもは暖炉の前に寝そべっている熊が部屋の前に座っていた。
 
「ゆき白、俺を外に出してくれないか」
 
「ええ…こんな朝早くにお出掛け？」
 
眠い目を擦りながらかんぬきを外そうと雪乃はドアに向かった。雪乃の後に続きながら熊は首を振る。
 
「もう行かなくてはならない。夏の間は戻れないよ」
 
雪乃は振り返り熊を見た。突然の別れの切り出しに目が覚める。雪乃は床に座り熊と目を合わせると問いかけた。
 
「戻れないって、どこに行くの？」
 
「森へ行って悪い小人達から宝を守らなくてはいけないんだ。冬は地面が固く凍えて小人達は地下から出れないが、春には地面が緩み宝を掘って盗んでいく。一度やつらの手に入ったら洞穴にしまい込んで、二度とわからなくなってしまうんだ」
 
熊は酷く真剣な目で雪乃を見返した。その目に雪乃は引き留めるのを躊躇うが、それでも熊を引き止めた。
 
「待って、紅とお母さんにも会っていって。このまま熊さんが行ってしまったら悲しむわ」
 
「そうだろうね。しかし、俺も寂しいんだよ。このまま行かせてくれ」
 
熊は悲しむ雪乃の頬を舐めると、すりすりと頬を擦り寄せた。雪乃は込み上げる思いをぐっと耐え、かんぬきを外す。
 
「ありがとう、ゆき白。楽しかった」
 
熊は雪乃にお礼を言うと勢い良く外へ飛び出し、その際にかんぬきにぶつかり毛皮を少し切ってしまった。その傷から金の光がこぼれたような気がして雪乃は驚いたが、熊は森へと走っていき、姿を消した。


熊が森へ帰ったと知るとおばあさんと紅華は悲しんだ。紅華が挨拶くらいしていってもと怒ると、雪乃は別れが辛かったのだと熊を庇った。
 
「別れが辛いのに、雪だけには丁寧に挨拶をしていったんじゃない」
 
そうむくれる紅華に気付いて、雪乃は熊に舐められた頬を押さえた。言われてみれば熊と雪乃は一番親しかった。別れは寂しいが、熊が自分だけに挨拶をしていってくれたことが雪乃は嬉しかった。

第一章:双子の姉妹-15

姉妹と熊は暖炉の前に並び、紅華は熊の毛皮を、雪乃は紅華の髪を梳いていた。冬の厳しさが和らぎ、もう少しで春が来る。雪乃と紅華がこの世界に来てもう少しで一年が経とうとしていた。背中まであった髪は腰まで伸び、二人は互いの髪を梳いて手入れをしていた。
 
「二人の髪は綺麗な黒髪だね。濡れた鴉のように艶やかで綺麗だよ」
 
紅華に毛皮を梳いてもらいながら熊はのっそりと頭を上げ、黒髪の姉妹を見つめた。
 
「そりゃあ、生粋の日本人だからね」
 
「紅…」
 
自慢そうに笑う紅華を雪乃はたしなめた。紅華は慌てて口を閉じるが、熊は目を丸め聞き返した。
 
「ニホンジン…？」
 
紅華の言葉に興味を持った熊に二人は困惑した。けれど雪乃はすぐに取り繕うように笑い、熊の前に腰掛けると唇に人差し指を当てた。
 
「熊さんは特別よ。本当は私達と、この村人達だけの秘密なの」
 
「秘密なのかい？」
 
「そう。私達はね、本当は別の世界から来たの」
 
「え？」
 
「信じられないでしょう？でも本当なの。私達のいた世界には魔女も魔法も存在しないし、この世界よりも技術は発展していて、電気やガスが使えるの」
 
目を丸める熊の頭を撫でて雪乃は笑った。その笑顔にはどこか寂しさが伺えて、嘘をついているように思えなかった。熊が雪乃を見つめていると、紅華は熊の背中に顔を押しつけた。
 
「あたし達ね、お母さんの本当の娘じゃないの。お母さんはお父さんを亡くしたショックで心の病にかかっていて、あたし達を娘と思い込んでるんだ」
 
「…それは…このままでいいのか？」
 
「罪悪感はあるよ。でもお母さんはあたし達を必要としてくれるし、あたし達ももう、ここから離れられない」
 
「しかし、君達の本当の両親は…」
 
「いないよ。一歳の頃に死んじゃったから覚えてないし、あたし達はずっと施設で育ったから」
 
突然の告白に熊は動揺した。別の世界とか、本当の両親とは死別しているとか、何もかもが突然だった。けれど熊は一つだけ納得した。平和の象徴の言い伝えである双子の姉妹の存在が今まで知られていなかったのには、こんな事情があったからなのだと。言葉が見つからず黙り込む熊を覗き込み、雪乃は熊と額を合わせた。
 
「お願い、熊さん。このことは内緒にして。特にお母さんには秘密よ。私達はお母さんの心を利用しているけど、心からお母さんを大切にしたいと思ってるの。お願い」
 
「…わかった。しかしいずれ時が満ちれば君達は国中に存在を知られることになる。たとえ世界が違ったとしても、君達は双子の姉妹なのだから」
 
「…そうね。できれば時は満ちてほしくないわ」
 
そう悲しく笑い、雪乃は熊の鼻先にキスをした。
 
「秘密を守ってくれるお礼」
 
次に柔らかく微笑む雪乃に放心して、熊はぐりぐりと頭を雪乃の胸に押しつけた。
 
「何照れてるのよぉ」
 
熊の行動が照れ隠しと気付いた紅華は茶化し、熊は前足で耳を塞ぐとそのまま不貞寝してしまった。

第一章:双子の姉妹-14

ある夜、熊は二人の年を聞いてみた。まだ十代とはわかるが、見た目は幼いのにしっかりとしていて予想が難しかったのだ。

雪乃と紅華は見つめ合い、そしてくすくすと笑った。
 
「年は十六だけど、本当はもっと大人なのよ」
 
謎かけのように、茶目っ気たっぷりに雪乃は笑う。
 
「そういえば、あたし達も随分子供らしくなったわね」
 
くすくすと笑う紅華は思い出したように自分の年齢を確認して、そしてため息をついた。
 
「そっかぁ…十六か。あたしが蒼葉と出会った年ね」
 
「…紅」
 
「心配しないで、雪。もうそこまで執着してないから。今は思い出として、まだ大切なだけ」
 
「…そう」
 
雪乃は目を伏せると、熊の背中に顔を押しつけた。雪乃が強く毛皮を握るので痛かったが、熊は雪乃の様子がおかしいことに気付き何も言わなかった。
 
雪の降らない晴れた日は、雪乃と紅華は熊と一緒に外で遊んだ。雪をぶつけ合ったり熊の背に乗り、雪相撲で危うく熊に押しつぶされそうになった。
 
「大丈夫!?」
 
「すまない、ゆき白。怪我はないか？」
 
「平気。でも驚いちゃった。熊さんってば大きくて重いんだもの」
 
楽しそうに笑いながら、雪乃はお返しとばかりに熊を押し倒した。熊の上に跨り、普段はあまり触らない胸に顔を押しつけて毛皮を楽しむ。紅華も雪乃に続き熊に飛び乗った。熊の腹に指を這わせてくすぐり、熊は堪らないと暴れだしだ。
 
「わかった、降参だ！俺の負けだから許しておくれ！」
 
しかし熊が降参しても二人はなかなか降りなくて、熊は勢いをつけて起きあがると二本足で立ち上がり強制的に二人を下ろした。勢いよく雪の上に落ちた二人に手を広げて迫れば、二人は手を繋ぎ声を上げて逃げ出した。熊は四本足で逃げる雪乃と紅華を追いかけ、おばあさんが呼びに来るまで遊び続けた。
 
熊の濡れた毛皮を拭きながら、雪乃は遠い昔に思いを馳せていた。
 
「熊さんって不思議ね。あなたを見ていると昔の人を思い出すの」
 
「昔の人？」
 
「そう。子供の頃に好きだった、私の憧れの人」
 
雪乃は目を細め、もう十年も会っていない彼の人を思った。雪乃は小学生の頃、野球が大好きだったクラスメートに恋をしていた。彼の名前は時雨といい人当たりの良い性格で、生徒会長など人前に立つことのできる子だった。雪乃は五年生の頃から時雨が好きだったが、時雨は小学校を卒業すると同時に遠くへ引っ越してしまった。雪乃はたくさん泣いて時雨を諦めたが、けれど忘れられずにいた。いつも心の中に時雨はいて、雪乃の支えになっていた。
 
「熊さんの優しさや明るさは、あの人に似てる。熊さんが人間だったら、私はきっと熊さんに触れられなかったわ」
 
まだ乾ききらない熊の背中に顔を埋めて雪乃は思った。熊がもし人間だったら、今のように熊と話せずじゃれることもできなかった。その点では熊が熊でよかったと思う。けれど熊がもし人間だったら友達になれたかもしれない。時雨には憧れが強すぎて近付けずただのクラスメイトで終わってしまった。時雨を思わせる優しい熊と、雪乃は人間の友達になりたかった。熊のままでも友達に変わりはないのだが、人間ならもっとよかったのにと雪乃は思った。

紅華が蒼葉を想っていたように、雪乃にも忘れられない人がいた。双子の姉妹はどこまでも同じで、言葉にしないだけで同じ気持ちを抱えていた。

第一章:双子の姉妹-13

ドアに頭をぶつけて知らせれば寝ているはずの紅華が出迎えてくれた。紅華は熊の背中でぐったりとしている雪乃に気付くと悲鳴を上げ、慌てて部屋に駆け込みながら熊に入るよう伝えた。

熊は少し躊躇いながら二人の部屋に入ると、紅華が雪乃のベッドを整えていた。ベッドの近くまで歩いていくと紅華は雪乃をベッドに下ろし、慌ただしくチェストを漁りだした。
 
「ばら紅、これが薬になる薬草だよ」
 
熊はくわえていた篭を雪乃のベッドに下ろすと紅華に薬を作るよう促した。
 
「薬草？あ、そういえば、あたしの薬は熊さんが採ってきてくれたのよね？ありがとう」
 
紅華は熊にお礼を言うと替えの服を取り出した。
 
「ばら紅は起きて平気なのかい？」
 
「もう平気よ。それより雪が大変よ。あたし達は双子だからか風邪まで共有しちゃうんだけど、二番目に掛かる方が酷い風邪を拗らすの」
 
紅華は雪乃のそばに寄ると、ベッドに腰掛け雪乃の服を脱がせに掛かった。
 
「あ、待って！俺は出ていくよ！」
 
「じゃあ、ついでに薬草をお母さんに届けて。雪のことはあたしが見るから薬を作ってちょうだいって」
 
言伝を預かり篭をくわえると、熊は姉妹の部屋を飛び出した。

熊はおばあさんに薬草を渡しながら今までのことを振り返った。紅華が風邪を引いたとき、紅華には雪乃がついていた。そして今は雪乃に紅華がついている。おばあさんは老いて体力も弱く、二人はおばあさんに風邪を移さないよう互いに看病していた。心の優しい姉妹に熊はあたたかな気持ちになり、そして何かを懐かしむように悲しい顔をした。
 

紅華は雪乃に薬を飲ませるため、雪乃を揺すり起こした。目を覚ました雪乃は元気な紅華の姿に安堵したが、その隣にいる熊に不安そうに眉を寄せた。
 
「…熊さんは、私をお説教するのにここにいるの？」
 
「え？お説教？」
 
何のことかわからず紅華は目を丸めた。
 
「いや、怒らないよ。君達のお母さんを思いやる心に免じてね」
 
熊は安心させるように顔を突き出すと、鼻先で雪乃の頬を撫でた。怒られないことに安堵して雪乃は熊の頭を撫で返す。

熊は本当は無理をした雪乃に呆れていたが黙っていることにした。なんとなく状況を理解した紅華はそれ以上聞かず、雪乃を起こすと薬を飲ませた。青臭い薬湯に雪乃の顔が渋くなる。自分もこんな顔をしていたのかと思うと紅華は笑いたくなって、熊に雪乃を任せると部屋を出て行った。そして雪乃の薬の分だけを残し、残りの薬草を村医者のところに持っていった。


薬が効いて翌日には雪乃の熱は下がっていた。昼過ぎには動き回れるほどに回復して、雪乃は紅華と一緒についていてくれた熊に感謝した。
 
「熊さんに風邪が移っていたら、私達が熊さんを看病するわ」
 
「それは残念だ。熊は人間の風邪を引かないよ」
 
「あら、風邪が移らなかったからって、仮病なんか使わないでよ」
 
紅華が意地悪に茶化すと、姉妹と熊は顔を見合わせ笑いあった。初めは熊を怖がり追い出そうとしていたのに、雪乃と紅華はすっかり熊を気に入っていた。


それから熊は毎日おばあさんの家を訪ねてくるようになり、夜になっても熊が来るまでかんぬきをかけなかった。
 
おばあさんは雪乃と紅華がプレゼントしたショールを肩に掛け本を朗読した。雪乃と紅華、熊に止まり木の小鳩はおばあさんの声に耳を澄ませる。

雪乃と紅華は熊を枕にするのがお気に入りだった。ふかふかの毛皮はあたたかくて気持ちいい。熊もまた雪乃と紅華が寄りかかることであたたかくなるので嫌がらなかった。