なるものじゃなくやるものだった

高校の頃家庭環境について頭を悩ませていた時に当時の担任が「言ってもお前は高校生なんだし、一人で抱えられない事があって当たり前だ」と言ってくれたのは人生に於いてそこそこでかい事だったと思う
変わり者だったせいもあり、あまり子ども子どもした扱いを受けた事が無かったから確かに当時の私にはその視点が欠けていたのだった
担任も担任で昔の教師特有の暴力性を感じるシーンはあったものの、そこできちんと大人の役割をしてくれた事についてはかなり感謝しています
私も大人になれたかと言えば怪しいが、「瞬発力としての大人」くらいはやれるよう努めていきたいですね

「ルックバック」が燃えてるらしい

京本に凶行を為すのが、あの男である必然性が無い、精神障害を持つ人に対する差別だ、との事ですが
少なくとも私の中では、あの男である必然性はあるよ
あれは幾つもの偶然と幸福に恵まれなかった、もしくは掴み損ねてしまった藤野・京本両者のパラレルの一つだ
藤野は時にその言葉に傷付けられる事があったとしても、案じてくれる友達や両親、姉が居たこと、そして挫折をパワーに変える持ち前の心の健やかさがあったこと、自慢屋の鼻を程好くへし折るライバルが居たこと
京本は心の健やかさには恵まれなかったものの、(直接の描写は無いが)絵を描き続ける自分とその後の美大行きの選択を受け入れてくれる家庭環境であったこと、憧れの同級生の存在と、それを通して外界への希望が心に灯り続けていたこと
そして両者が出会い、その後の日々があったこと
藤野は自分が京本と関わらなければと過去を責めるが、京本は藤野が、藤野は京本が居なければもしかしたら絵に対する愛情と挫折を昇華し切れずに、加害者側としての立ち位置があり得たのだ
シャークキックのようにそこへ駆け付ける事が出来なかったとしても、藤野は京本の人生を、確かに救っていたのだった
と、人生の割と最初の方で現在の夫となる人物と会っていなければめちゃくちゃになったりとっくに死んでいたような気がする私は、思いました
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