思い出の話をしよう

久しぶりに会った友人と、初めて訪れたカフェの平日限定ランチ、オムライスとケーキのセットを揃って頼んだ
「ケーキなんて久しぶりだから」なかなか入っていかない様子で、友人はゆっくりフォークを進めていた
ランチは本当は別の場所へ行く予定だったのだが、友人が「忘れ物をした」と遅刻したことと私が「お腹が空いてしまいました」と我が儘を言ったことで、そうなった
その頃私はやけに忙しくて、友人が来るまでの二時間ほど、待ち合わせの駅の休憩所から一歩も動かずにずーっとぼーっとして居た
最高だった
カフェに着いてから話の流れで「昔から人の顔が覚えられない」と打ち明けた
「でもさっき、私の事はすぐに見付けてくれたよね」と友人が言った
近頃ふなっしーが好きだと聞いた
付き合っていた人とのその後、共通の知り合いの話、今後やりたいと思っている事、家族を温泉旅行に誘った話、私は会話の記憶力はズバ抜けて良いから、その日友人が話してくれた事も沢山覚えている
先日「ある思い出について共有する人を失う事を孤独と呼ぶのではないか」と書いている人を見て、なるほどなと思った
友人と二人の思い出だったから、もうこの話をする人間は世界で一人ぼっちなのだった

同窓

貧弱な少女だったので殆どの学校行事に参加した事がない
泊まり掛けのイベントは一日目の日中だけ参加して、自分だけ家に帰るのような感じだ
なので同級生というものに感慨が薄い
夫が同級生なのにだ
幸い友達は居てくれたのだが、死なない事だけを目標に生きていたのでとにかく記憶そのものが薄い
十七歳くらいでやっと少しずつ肉感のある思い出が増えてくる
二十代が一番身体も自由で楽しかった
その頃触れた文化の話を、同い年くらいであろう人たちがネットで独白しているのを見た時、非常に胸が締め付けられる
これが皆が感じる「同窓」なんだと思う
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