スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

かろやかにすなや

しかしそれも正解

しぬのずっと怖かったけど、つまり自分が分かんない状態になることに恐怖を感じてて、それならば1秒後が1秒後にほんとに来るか?も未確定、常に観測したあとでしか観測できない。
わたしはいつでも大正解で、吸う吐く息やミリ単位の移動にも億千万の意味があり、そのたびに信仰の対象であり、なんの意味もない。意味はいつでも君の名の下にいつでも去来して、またいつもいない。
神も悪魔も細部に宿るから、細部はぎうぎうだ。

すべてのものがありすぎるほどにありありとそこにあり、またすべてのものは存在しない。
君がいるというなら君の神は本当にいるし、神はどこにもいないし、神はいつも私とともにあって、ティッシュケースの後ろやペンの蓋の中にもいる。
いままで連綿と続いてきた歴史はすべてわたしのためだけに紡がれてきたもので、且つわたしはそんなこと砂つぶほども気にせず続けるも壊すも自由だ。そのために何億年も前から、私だけのために用意されてきたのだから。
そして同じことが君にも言えるし、この世のすべてに言える。宇宙は端から端まで私だけのもので、宇宙は端から端まで君だけのものだ。

私たちは永遠に孤独で、またこれから先絶対に孤独になることはない。善も悪もそれを巡る戦いも本当にあったことで、そして善も悪もこの宇宙には存在しない。
だから私は間違わない。いつもすべてが大正解だし、正解なんてないのだ。

親切な人のいうことをきく必要もない

まったく親切なことを言ってくれる人たちも、それをしたことでわたしが恐怖や困難に直面するときは同席しない。別にいうことを聞かなくたってもいいのよ。だから

田舎で暮らしているとき、誰か知らない人はいなかったし、親戚かその遠い親戚しか住んでいなかった。
生えた木も枯れた木も倒れた木も知っていた。
どこに行けばひとりでいられるか、どこに行けば人がいるかも知っていた。
どの木にいつどんな花が咲いて、それがどんな香りがするか、そこにどんな鳥がきてどんな声で鳴くか、わたしはみんな知っていた。

でもそれも毎年同じでなくて、日々少しずつ変わっていくこと、変わる空や、風の匂いとか、牛舎の隅に毎日いたヤギが、ある日を境にいなくなること、帰りにいつもすれ違う野良犬が、いつの間にか人の家の庭につながれて、立派な小屋の前で昼寝をしていたこと、少しずつ少しずつ変わっていく
わたしは自分の田舎がだいすきだし、他人の故郷を見に行きたいとは思わない。

道には人がいないのがあたりまえだったし、屋号で呼ばなきゃ誰か分からないし(だって皆同じ名字だから!)、街の中心まで行っても二階建て以上の建物はないし、宅配ピザも届かない。

この地球上でいちばん安全で、もう2度と戻らない土地なんだな だいすき
みんなとはちがうみたい でもすきだよ
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2017年02月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28