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中身は、ない




前回の記事を書いてからちょっとだけ講読者が増えていました。ありがとう、ありがとう。読んでくれる人がいるとこちらも書いた甲斐があります。誰に向けて書いたわけじゃない言葉たちも誰かに気付いてもらえたらきっとよろこぶでしょう。

でもね、ブログ巡りをしていてたまに思うことがありまして。ブロガーさんってなんかほんわか可愛い系が多いじゃないですか。それに引き換え私の文章と来たら…

固っ!かっわいくね!!

なんだか淡々としていて感情とか熱が全く伝わらない無機質な印象を与えている気がします。だからって今更変える気はないし変えることは難しい、なぜならこの口調が私が私の想いをぶちまけるのに一番適しているから。

まあ何が言いたいかと言うと、いつも読んでくれてありがとうねっていうこと。

ただ、それだけ。

親と子供と命の話





ちょっと真剣な話。

テレビで男女の産み分けの特集がやっていました。精子が卵子に着床する前に希望する性別の染色体を持つ精子を選別して受精させることで、確実に希望通りの性別の子供を授かることが出来るとのこと。日本では難しいらしく希望者はバンコクに赴いて行います。

この方法だと100パーセントの産み分けが可能なので2人続けて男の子が産まれたから次こそ女の子が欲しい、といった望みを叶えることが出来ます。但し第一子の場合はこの方法は適用されない決まりになっています。

…説明はここまで。

この方法、余程のことがない限り安易にやっちゃいけない気がするのは私だけでしょうか。

どちらの性別で産まれても子供って尊くて大切な存在です。それに子供自身は親を選んで産まれてくるわけではないのに親が子供を選んでしまったらなんだか悲しいと思います。この方法を実践した親たちはいずれも続けて同じ性別の子供が産まれてきた人たち。この人たちにとって少なくとも2人目は"産まれてきた"というより上の子と同じ性別で"産まれてきてしまった"という想いを程度はどうであれ抱いたってことですよね。

性別を操作することで理想の家庭が築けるのかな。理想の子育てをすることが出来るのかな。でもね、親の理想通りに絶対育たないのが子供なんだよね。自分たちが親の思い通りのいい子にならなかったのに自分たちが親になったらその子供が理想通りに育つと思ったら大間違いなんだよ。そこに性別の順番や偏りは関係ないと思います。

子供って医学的観点で見たら自分たちで"作る"感覚かもしれないけれど、やっぱり命を"授かる"んだから無闇に操作するよりありのままの宝物を授かりたいです。例え僅かな可能性でどこか不自由な子が産まれてきても守って立派に育てるのが親じゃないのかな。この方法って奇形の可能性も事前に見られるらしいのです。そりゃあ子供が元気で産まれてくるのに不要な可能性を排除出来るのは素晴らしいけどこの選別を許してしまったら性別の選別も同様に許さざるを得ないと思います。

私が考える親の立ち位置はそんなに子供に介入しない浅い感じ。小さい頃はこれでもかってくらい可愛がってやり、その後は道を外れないようにたまに軌道修正してあげる程度で行きたい方向を妨げたり理想を極端に示す必要はないと思います。これこそただの理想論かもしれないけれど実際私の親はこんな風に私たち姉妹を育ててくれました。おかげで私は大学に行かずに今はホテルの調理師です。勉強の先の安定よりやりたいことを優先することを当たり前に思わせてくれた親に感謝です。妹は救いようのないくらい頭悪いし手先も不器用だけど、それでも親が惜しみ無い愛を注いでくれたから人柄だけは自慢の妹です。

そんな考えの私だから、やっぱり産まれる前から子供を選別することにはあまり賛成できないです。もっと古い時代の、それこそ第一子がお世継ぎになるような時代にこそ必要だったかもしれないね笑

なんていうか親って偉大だし子供は尊いし人間って素晴らしいってふとした時に思います。その狭間の自分はまだまだ子供を産んで育てるなんて想像つかないです。同い年で母親やってる子達は凄いなあ。尊敬するけど焦りはしない。私の人生プランはあくまでまだ仕事をちゃんと出来るように頑張って25〜26歳で籍入れて1年間は2人の時間を楽しみそれからやっと準備万端で子供をどうこうする予定なので。予定はあくまで予定ですけど。

―…なんか凄く長く語ってしまった!!!
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