ただいま実家療養中。
こないだの自殺未遂で強制的に帰って来いと。
あたしにしてみれば『帰る』って『どこ』に?
だけどね。


地元に、実家に『行く』だよ。
寮に、大学に『帰る』だよ。


まぁ、そんなんどうでもよくて。
ちゃんと、
もう1回生きてみようかなぁって思った。

今の友達と学校行って、今年でなくなる寮生活を楽しみたいのはやまやまだけど、焦ってもどうしようもないし。
学校行けないなら、いっそのこと休学してやり直そうとも考えてみた。

本当に生きるのは怖いけど、あたしは生きたいんだと思うし。
何度も実感してんのに、よくわかんなくなっちゃって、自殺未遂とかしちゃうんだけど。
それも許してくれるような友達がいて、
『茜恋がいなきゃ今私はいない。本当に何度も何度も救われてて私は茜恋が必要だし大切だよ。今だって茜恋が気付いてくれなきゃ孤独に耐えられなかった。こんな事言ったら重いけど、生きててほしい。茜恋が死ぬなら私も生きてる意味ないから一緒に死ぬよ』
そう言ってくれる。

その子もあたし以上に自分に対して否定的で、ネガティブで、嫌悪してる。
みんなが言ってくれるいい所もお世辞とか、見下した言葉としかとれない。

「もっと自分に自信もちなよ、自分好きになったらいいのに」
その言葉の難しさや、苦しさはちょっとくらいならわかるはず。そう思って聞いてる。


人間不信。他人の目に過敏すぎ。自分落としすぎ。ネガティブ。思い込み激しい。
確かにそうだけど、自分でもしたくてしてるわけじゃないし。
そんな自分が苦しくて、ふがいなくて、嫌でたまんないってのは伝わってくるから 何も言わずに聞いてる。
あたしだったらそうしてほしいと思うから。あたしだったら、アドバイス必要としてないから。
満足するまで聞いてもらって、ほんの少し大丈夫だよって言ってくれるだけで救われるから。

確かじゃないけど。
だけど友達はそれが嬉しいって言ってくれてあたしも嬉しかった。



友達はあたしが1年前より考え方が大人になってカッコよくなったって言ってた。強くなったって。
あの必要以上に自分と向き合うこととか、一人哲学して考えたこととか、死にたいくらい苦しいことが無駄ではなかったのかもしれない。
無駄じゃないと思いたい。
そうじゃないと報われない。


Cも1度ちゃんと話そうっていってくれた。茜恋が嫌でもあたしは聞かなきゃいけないんだって。
心配かけてゴメンねって言ったらいまさらだよって。

ホント。笑
Cはいつも心配して、あたしを見ててくれる。なんであたしは不安になってたんだろうね。
こんなに向き合って、あたしを通り過ぎない目があるのに。
大丈夫だよ、きっと。生きていける。


あたしはいつも友達に救われてきてた。自己中だよね。見えてないのはあたし。向き合おうとする瞳を振り払っては、誰も見てくれないと嘆いてた馬鹿なあたし。
自分を嘆かずに友達に感謝するのを忘れてなかったか。
こんなめちゃくちゃなあたしを、それでも見捨てない手がいつも側にあるよ。
気付いて。

あたしはまだまだ子供だよ。
だけど誰だって成長途中。死ぬまで変化を続ける。
それを認められたらあたしはまた成長できるよね。
視野を広げてみればあたしが見えるはず。


いつかあの人たちも受け入れられるよ。あの人たちも未経験と恐怖にもがいてるんだ。それを認められたら。

まだ見えてないものがあるよ。だからあたしは大丈夫。



…まとまりない、だらだら文。笑
おやすみなさい。