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しあわせの絶対量

話題:ひとりごと

休日の朝。布団のなかからおはようございます。春はいずこへ、冬将軍おかえりなさい。

今のところは契約社員なので、そろそろ、落ち着いてきたし転職活動しようと思っている。職場の方々にも了承は得ているのでやりやすいが、休みがなかなかないために面接やら探したりやらが思うように進まず、焦る気持ちばかりが邪魔をしてネガティブになったりしている。彼が、デートのときの金銭面は気にしないでと言ってくれて、割勘でなくなって、出せる範囲で無理なく出すことになったのは、とても助かる。他の予定は転職するまで我慢できそうなことは後回しにしてとやりくり。本腰を入れて始めますかね。なかなかにむづかしい時期だけどと言い訳をこぼしていても仕方ない、やるだけやろう。
職場の方と話していたら、「若いときにしかやれないこともあるからね」と言われた。以前は、今の自分を否定されたように感じていたが、今はちがう。たしかに、若いときにしかできないことってある。動ける体力とかフットワークとか吸収力とか、メリハリをつけて働いて休んでいれば、稼げて貯めれて、休日を有意義に過ごせるように思った。正社員でないことで責任力が欠けている近ごろ。ぬるま湯に浸かっているような、ふわふわした状態。これはこれでラクだけど、今のあたしをダメにしている。程よい緊張感や責任感は必要だ。そうしないと成長しないから。平日に幾日か公休があるのでそれを利用しながら、来月はそれとは他に休み取ろうかなと模索中。一時のラクさよりも、未来へ続く安定を。だれかにしてもらうんじゃなくて、自分で手に入れたい。結婚したら養ってもらえるなんてないし、嫌だから、あたしはあたしでがんばりたい。世の女性の婚活事情を耳にしては贅沢ではないかと思ってしまう。数字ばかりに目がいくのは、婚活と名が付けられているだけある。あたしは、細々と毎日の生活に困らず、たまに外食するとか年に一度旅行するとかそんな程度でいい。デザートに奮発して、ケーキ買ってきたよとかそれくらいでしあわせになれるあたしのしあわせの絶対量は低い。この家庭環境に育ったおかげかと思いながらもなんかね。なに不自由なく、してもらうことが当たり前に生きているひとたちを見ているとうらやましいより可哀想と思ってしまう。それは、してもらうことが当たり前になっていて感謝することができないからだ。お金持ちはいる。あたしの職場は、そんなひとであふれてる。だけど、うらやましくならない、さみしくなる。無機質なのだ、空しさが漂っていて、仮初めのような危うさを感じさせるから。本人たちは精一杯のしあわせを楽しんでるみたいだからいいけどね。ひとによって、しあわせの絶対量がちがうからかな。デジタルで便利な世の中で息をするのって、くるしい。窮屈に感じちゃうあたしは、まだまだアナログ人間。
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