※バカみたいだけど本気な話。伊野尾くんやらジャニーズやらのことを真剣に語っている。こじらせてます。






ジャニーズを長くすきでいると遭遇するであろうことがある、担当制度は驚きとひらめきが詰めこまれているように感じる。担当と呼ぶのは、すきを上回る気持ちを与えてくれる存在になった時だと思っている。あたしの周りにはたくさんのジャニーズ好きちゃんがいた。彼女たちから唱えられるように自担への愛を聞いて過ごした青春時代。あたしがジャニーズを好きになるまでに時間はそうかからず、無駄に知識を深めて、勝手な親近感を抱いていた。妹が錦戸担当をしていたのもあり関ジャニ∞があたしの家では日常会話に浮上する頻度が上がった。あれは、2007年くらいだったかな、わたし鏡を聴いた瞬間、すきが舞い降りた。この声、この歌詞、なに。そのまま、47のDVDを観て、安田章大という存在を知りのめり込む。初めて担当と呼ぼうと思った。それからのオタクライフは、学生だったのでコンサートには行けないものの、始まっては終わってと繰り返される番組を一生懸命追いかけ、発売されるCDやDVDを買い揃えて、8周年、10周年を控えた彼らの怒濤の快進撃は止まることを知らないように進んで行った。いつからか勝手に
距離をズレを感じ、就職を期に担当を降りることにした。たのしかった青春時代、章大くんのくしゃっと笑う姿もやさしさも忘れることはなく、担当をしていた時間はなににも変えられない大切なもの。今でもすきだし、応援している。だけど、担当と名乗れるほどの熱量はなかった。

そうこうして、仕事に恋にと忙しい日々を過ごし、SNSを活用するようになり出会いが増え、くっついたり、離れたりを繰り返すような軽い関係を大切にしたり泣いたり後悔したりしていた。なんとなくで付き合って、喧嘩多くてもこの先ひとりで生きていくのは不安だと続けていた彼とも終わりだと何度も別れたり復縁したりしていた。仕事を辞めて、支えてはくれない彼に、せかいに絶望していた時、運命のように天使が舞い降りた。

某音楽番組を観ていた。あれが噂の伊野尾くん。すぐにわかった。JUMPをすきなひとたちが周りにいたので自然と覚えていたのだ。画面を通して伊野尾くんを伊野尾くんと認識して観たのは初めてだった。彼から放たれるキラキラはアイドルそのもの。こんな美しいひとになぜ今まで気づかなかったのだろうと不思議でならなかった。それから、頭にちらつく伊野尾くん。自然と画像を検索して保存の日々。そんな時、また彼と衝突した。ひどく落ち込んでラジオを聴いていたらJUMPが宣伝しているポップコーンのCMが流れた。涙がながれるほど、救われた。伊野尾くんにJUMPに救われた。彼らをすきになる以外の選択肢などなかった。

伊野尾くんのことを知れば知るほどすきになり、こじらせてくるしくなって泣いていた。なぜ、こんなにすきなのだろう。気づけば、CDやDVDを買っていた。何度も擦りきれるくらい繰り返し観て確信した。あたし、伊野尾くんを応援しよう。彼にならお金を使ってもいい。お金をかけずアイドルをすきになるのは簡単だ。お金を使ってもいいと思えて、それを実行した時、それが担当だとあたしは思う。あるひとのブログに書いてあった。すきな気持ちは無限だが、時間とお金は有限。限られた時間やお金をなにに使うか、それはとても大切なことで大袈裟だけど人生単位だと思う。それを伊野尾くんに使いたいと思えたのは特別なことで尊いこと。

伊野尾くんがいなければ、今のあたしはいないだろう。あのまま、彼とのことでもやもやと悩みくるしんでいたのだろう。それが、伊野尾くんに出会い、あたしの中で革命を起こしてくれたおかげで彼氏のことでもやもやと悩む時代が終わり、伊野尾元年となった。まだまだ、伊野尾担当としてはひよっこだけどね、すきな気持ちはいっちょまえ。伊野尾くんいない人生なんてあの日から存在しない。


伊野尾くん、ありがとう。これからもよろしくね。