真っ黒な会社を半年で辞めてしまって、どうしよう。
この先どう生きてけば…半年で辞めた人間をもらってくれる会社があるのかしら。
その前に、パニックにならないでいられる仕事があるのだろうか。
そんなことを考えながら、経験半年の分際で転職活動開始。
お先真っ暗ついでに、自分を見つめ直して、自分を自覚していこうかなぁ、と。
転職活動とか、パニック障害とか、トラウマとか、変な恐怖症とか、
そういうことを淡々と綴ろうと思います。
考えなしに書くのでまとまりは無いでしょうが、好き勝手に書こうかと。
パニック障害が初めて起きたのは多分中学生のときです。
小学生までは国語の授業でよくある『音読』が大好きで、
私は先生に当てられると小さな声でぽそぽそと読む子の気持ちがさっぱりわからないようなタイプの子供でした。
家でも授業でまだ習ってないお話を声に出して読み続けたり、
何より読むのが得意!なんて自分で思ってるものだから国語の時間に音読で皆に披露するのが大好きでした。
そんな私の小学生時代に大きな変化が起きました。
それは突然、二つ上の姉が自律神経失調症になり、部屋に引きこもるようになったこと。
私の父は厳格な人で、母も当時とても成績にうるさい人でした。
姉は成績が優秀でスポーツ万能。小学校時代の成績では全て◎(小学時代は◎〇△評価)を取ったりしていたので、特に父からの期待は物凄いものがありました。
しかし、転勤族だった我が家が引越しをしたのをきっかけに学校でも友人ができず、
親からの期待を背負うストレスもあってと、精神的にまいってしまった様でした。
そこからの生活は一変。
私が最初に言われたのは、『なんでお前は普通に学校に通ってるんだ』ということでした。
姉が引きこもってしまったことを親は認められなかった様で、
普通に学校へ行く私に苛立ちがあったみたいです。
姉も私が友人からもらったプレゼントや手紙を笑いながらカッターで切り裂く様になり、
部屋に戻ると、本棚から全て本が落ちていたり、急に殴られたり、殺してやる!と喚き出したりと
あまりの変化にその頃は気持ちがついていっていなかった様に思います。
母親はヒステリックに叫ぶ様になり、父には『失敗作は姉ではなく、お前だ』と何度も怒鳴られました。
その頃から、私は『まとも』と『成功』にこだわりだした様に思います。
これは今でも縛られている言葉かもしれません。
毎日『まともじゃない』と言われ続ける日々が続きました。
その頃から、食べ物に味がしないことに気がつきました。
夕飯は家族全員で食べるのですが、味がしない。
食べている間にずっと私は父から怒鳴られ、母と姉は無言。
でもテレビはついていました。
普通のバラエティです。
バラエティなので、笑い声が入るのですが、
それが頭を揺らすほどの大音量でいつからか聞こえる様になりました。
全部、私への嘲笑に聞こえるのです。
味のしない食べ物を吐き気と一緒に飲み込んで
私はいつも逃げる様にリビングから出ました。
途端、先程までピリピリとしていたリビングから『逃げやがった!』と3人が爆笑しているのが聞こえました。
我が家の造りは吹き抜けで2階に行っても、1階の声が廊下にいるとよく聞こえます。
私は2階に行ってから、ずっと1階の声を聞いていました。
私の悪口大会で楽しそうに話している声でした。
聞きたくない、と思いながらいつもずっと聞いていました。
もう期待しないように、聞いておいた方がいい。と何度も思ったことを覚えています。
長くなりましたが、そんな小学生時代を終えた私は、
すっかり臆病者になっていました。
中学に入って、誰とも口をきけなくなってしまったのです。
当然ですが、友達もできず、小学生時代の友人も、私から離れていきました。
たまにクラスメートが朝に挨拶をしてくると、それだけで堪らなく怖くなる日々でした。
とーっても長くなりましたが、ここで話が戻ります。
中学のある日、先生が『音読をしてみたい人』と国語の授業中に生徒に投げかけたのです。
私は、その頃、自分に自信を持ちたいという感情に支配されていた気がします。
自分があんまりまともじゃないと言われるので、まともだと思いたかったんでしょうね。
そのとき、『私、小学生の頃、音読が得意だった!』と思ってしまったんです。
でも急に胸がドキドキ。
絶対大丈夫。私は音読が得意。という気持ちと、これが失敗したら何もなくなる様な不安。
その中で私は手をあげてしまったのです。
人と一言も喋らない人間がいきなり音読に名乗り出る。
なかなか、奇妙な光景だったでしょうが、無論というか、大失敗でした。
途端、震えだして呼吸すら上手くできない。
自分で手をあげておいて、震えて読めないという恥ずかしさ。
何より、クラスメートが怖かった。
空間が押しつぶされたか歪んでいるかという状態で死の淵まで追い詰められた様な気分に支配されました。
よくパニック障害を抱える方が発作中『苦しさで死を連想した』と言いますが、
それが私にも当てはまると気づいたのは実は随分先です。
それゆえ随分先まで自分がパニック障害だとわからなかったわけですが、
どちらかというと苦しいから死にそうというより、(私の場合ですが)死刑台に向かう死刑囚の様な
気分でした。それか、死を宣告された人の気分というか。
苦しいから死んでしまうというより、もうその先が死という絶望感に立たされた様な感じだったのです。
(そしてその気分の中、実際震えて呼吸ができなくなって、動機がして、目眩がして、気が遠くなります)
それからというもの、人前に出ると発作が起きる様に。
明日の時間割を見て、国語の文字を見るだけで、発作が起きることもありました。
人目が怖い。人前に出るとアガってしまう。あの恐怖に立たされる。
それが人前だけでなく『逃げられない場所全て』に条件が拡大していくのですが、
実はそれに気がついたのも随分先のことでした。
長くなったので今回はこの辺で。
振り返ってみると、冷静になるものだなぁ!
(パニック障害はこの後悪化しますが、今はかなりよくなってきています。
家族とも更に悪化した後奇跡的に今現在上手くやってますが、後遺症と戦う日々も後々)