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【NWR】それは毒にも似た

 

「ハッピーバレンタイン、アズラエル」
「わぁ、美味しそうなチョコレートケーキ! ありがとう、お母さん!」
 
 其れは、遠い昔の優しい記憶。
 
「見てごらんルルディ、デコーレーションが凄く可愛いよ。こんなに綺麗なケーキ、勿体無くて食べられないね!」
「うふふ、アズラエルったら。ルルディは赤ちゃんだから、ケーキはまだ食べられないわよ」
 
 夢中で手作りケーキを見つめる少年と、子供達の姿を優しい眼差しで見守る母と。
 
「去年のケーキは甘くしすぎちゃったから、今年のはちょっとお砂糖を控えめにしてみたの」
「ええー! 僕、甘いのが好きなのに!」
「ビターな味もいいものよ。大人の味、って言うのかしらね」
「……大人の味、かぁ。うん、僕はもうお兄ちゃんだから、大人の味が似合うよね。ルルもそう思うだろ?」
 
 少年の腕の中で、嬉しそうな笑い声を上げる小さな妹と。
 
「ねえねえお母さん、早くケーキ食べたいな。……少しだけ、食べてもいい?」
「お父さんが帰ってくるまで待ちましょう。もうすぐ来るはずだから」
「うん。僕はもうお兄ちゃんだから、我慢するよ!」
「偉いわね、アズラエル。今回のケーキは自信作だから、楽しみにしててね」
 
 少年を取り巻く世界は何もかもが暖かく、優しく、そして愛おしいものだった。
 穏やかな日常がいつまでも続くのだと、この時は無邪気にも信じていた。
 間もなく訪れる悲劇が、少年達の運命を一変してしまうまでは。
 
 
 
***
 
 
 
「ハッピーバレンタイン、クルーエルさん。これ、私の手作りなんですけど、良かったら受け取ってください」
 
 ──テーブルの上にぽつんと置かれた、可愛い包装紙に包まれた小箱が一つ。
 先程フルールに手渡された其れを、クルーエルがどこか憂鬱な面持ちで見つめていた。
 
「……甘いものは好かん」
「ええ。そう仰ると思って、お砂糖は控えめにしてみたんです……えっと、お口に合わなければ、捨ててくださっても構いませんので」
 
 そこまで言われて拒むわけにもいかず、結局受け取ってしまった。
 複雑な胸中のまま、半ば投げやりな手付きでラッピングを解いていく。
 小箱を開けると、中から小さなチョコレートケーキが姿を現した。彼女のオリジナルと思しきデコレーションは、どこか芸術作品を思わせるような精緻な出来栄えで、菓子好きの人間すら口にするのを躊躇ってしまいそうだ。
 ある予感に胸をざわめかせながらも、手にしたフォークでケーキを口に運ぶ。口内に広がるほろ苦いチョコレートの味。
 知っている。自分は確かにこの味を。
 
「……同じ、だ」
 
 眩暈を覚えるほどの強烈な既視感。ぐらつく頭に手を当てて、吐き気にも似たそれを堪える。
 彼女はその味を知らないはずだった。だが時を経て見事に再現した手腕……やはり血は争えないという事か。
 残りのケーキに視線を向けることすら出来ず、覆い隠すように小箱の蓋を閉じる。
 
 ──今の自分のとって、幸福な記憶はもう毒としかならないのだから。
 
「……おい、クルーエル。随分具合が悪そうだけど、大丈夫か?」
 
 ツァイスの呼び声に、即座に答えられないほど参っていたらしい。
 不安げな顔でクルーエルの顔を覗き込む相棒に、大丈夫だと目線で答えてやるが、心配性な彼はそれで納得しなかったようだ。クルーエルの手元にあったケーキに気付き、はっとしたように声を上げる。
 
「これ、フルールに貰ったチョコレートケーキだろ? まさか、気分悪くなるほど口に合わなかったのか……?」
「そういう訳じゃない。味は悪くなかった」
「そ、そうだよな。フルールの料理の腕前はピカイチだし……あ、でも、食えないんだったら、俺が残りを貰ってやってもいいけど」
「断る」
 
 いつもなら遠慮なくツァイスに渡すところなのだが(そもそも開封する前にツァイスに押し付けてしまう)、このケーキだけは譲る気になれなかった。
 怪訝そうな顔をしながらも、「そっか」と安堵したようなツァイスの声。彼はフルールに好意を寄せながらも、クルーエルとフルールが親しくする事を良しとしている。
 ケーキを手放そうとしないクルーエルの姿にも、どこか満足している様子だった。
 
「クルーエル、まだ腹は空かせてあるよな? そろそろミラ達とのお茶会の時間だぜ」
「……もうそんな頃合か」
「へへっ、どんなお菓子くれるんだろ。甘いものだと嬉しいなー」
「3倍返しが相場だという事を忘れるなよ。相手はあいつらだぞ」
「ああ、うん、その辺りはまた来月になったら考える!」
 
 ──チョコレートケーキのほろ苦い味が残る舌先が、鈍く痺れるような錯覚。
 テーブルの上の小箱に目を遣り、そっと息を吐くクルーエルなのであった。

【NWR】Bloody Valentine

 断末魔の悲鳴が、暗い廃屋の部屋に響き渡った。
 
 生暖かい血飛沫が頬に降りかかる。鼻腔を擽る鉄錆の匂い。
 肉を斬り骨を断った感触が残る掌を握り締め、静かに歓喜に打ち震える。
 
 ──今日はこれで何人目だ? だが、まだまだ足りないッ!
 
 恋人達が愛を囁き合うこの特別な日に、道化師の唇が紡ぐは滅びのレクイエム。
 花束の代わりに凶器を握り、花弁の代わりに血の雨を降らせる。
 斯くも愉快なバレンタインデーが、果たして他に存在するのだろうか?
 最高の舞台を用意したクライアントに感謝しつつ、逃げ惑う次の獲物に向かってナイフを振りかざす。
 確かな手応え。ナイフは正確に急所を突いていた。だがそれだけでは飽き足らず、何度も何度も切っ先を掻き回し、凄惨な血の花を幾輪も咲かせる。
 
「安らかに眠るんやで……」
 
 凡そ安らかとは程遠い表情を張り付かせた物言わぬ骸。
 其れを見下ろす道化師が、愉悦を孕んだ声音で唄うように囁いた。
 
「ホンマ、ええ顔で逝ったな。絶望と恐怖に彩られ、苦悶に歪んだそのカオ……ああ、最高にイケてるで!」
「……それくらいにしてくれませんか。流石の私も引きます」
「何やねんイェスタ。エエとこやのに水差さんといてや」
 
 わざとらしく溜息を吐くシーグフリードに対し、イェスタが呆れたように肩を竦めた。
 シーグフリードの嗜血症は十分に承知していたが、返り血に塗れた姿で昂ぶられても気味が悪い。
 こんな姿をあの子に見られたら、一体何と言われることやら。秘かに嘆息するイェスタだったが、彼女もシーグフリードと『同類』である事を思い出し、無用な心配であったと自分に言い聞かせる。
 
「なぁイェスタ、俺が何人殺ったか覚えてる?」
「知りませんよそんな事」
「ヤバい、テンション上がりすぎて数えんの忘れとったわ。これじゃ勝負にならんかも……」
 
 本当は正確に把握していたのだが(それこそ誰を何秒前にどのように殺害したかを完璧に)、敢えて教えることもないだろう。
 これはシーグフリードと彼女の駆け引きである。部外者であるイェスタが関わる道理も無い。それでもわざわざ此処まで付いて来たのは、彼の暴走を抑止する為に他ならない。
 今日は機嫌が良いらしく、イェスタの危惧する事態にはならなかったが。
 
「……シグ、もう終わった?」
「おっ、メアちゃん。今ちょうど終わったとこやでー!」
 
 古びた扉の軋む音。暗い部屋に光が差し込む。
 逆光で姿はよく見えなかったが、シーグフリードは人影の正体にすぐ気付いたようだった。上機嫌でメアの元に駆け寄り、恭しく一礼する。
 
「ハッピーバレンタイン、シグ。そっちの戦果はどう?」
「うーん、それが調子乗ってしもて、ちゃんと数えてなかったんや。ははっ」
「シグもなの? 実は私も、数えるの忘れてて」
「なーんや。そしたらこの勝負、ドローっつう事かいな」
 
 今日の任務でどちらがより多く殺れるか。
 折角のバレンタインやし、俺達も何か楽しもうや──いつものノリでシーグフリードが持ち掛け、メアが嬉々として乗ったこの勝負は、結果的に引き分けという形で終わった。
 負けた方が勝った方の言う事を何でも聞く、という罰ゲームを設けていたそうだが、その約束もチャラになってしまった。
 あからさまに気落ちする2人の姿に、思わず苦笑してしまうイェスタなのであった。
 
「……そうだ、お互いの言う事を何でも1つずつ聞くのはどう? 引き分けだし、これなら公平だよ♪」
「おっ、それはいい考えやな! じゃあ、メアちゃんから先にどうぞ〜」
「ねえねえシグ、抱っこして、お姫様抱っこ!」
「お安い御用や……お、メアちゃんホンマ軽いなぁ」
 
 凄惨な殺害現場であるこの場所で、一際楽しそうな笑い声が上がる。
 
「それじゃあ俺からのお願い。これから一緒に食事でもどうや?」
「いいよ。一暴れしたらお腹空いちゃった」
「俺もや。がっつり焼肉でもどうや、焼肉」
「うん。焼肉、いいね♪」
 
 この状況でよく肉など食べる気になりますね……と、イェスタがこっそり突っ込んだ。
 あちこちに散らばった肉片や臓器(と思しきモノ)を見遣り、流石のイェスタも胸焼けを覚えずにはいられなかった。
 『人形』のイェスタですらこの有様なのに、生身の人間たるシーグフリードとメアは元気そのものである。お姫様抱っこのまま現場を後にして、仲良く何事かを囁き合っていた。
 
「赤ワインとか飲みたいわー。こう、血のように真っ赤なやつ」
「私もワイン、飲みたいな♪」
「あかんあかん、メアちゃんは未成年やからアルコールは禁止や」
「ええーっ。シグのケチ!」
 
 ……今日も平和ですね。ええ、本当に。
 事後処理やクライアントへの報告の事は、完っ全に忘れてますね、あの調子だと。
 とりあえず先に帰宅して、家の鍵でも閉めておきましょうか。一晩くらい夜風に晒されても大丈夫でしょう。何とかは風邪を引かないと言いますしね。
 意趣返しを思いついたイェスタの口許が僅かに綻ぶ。そうとも知らないシーグフリードは上機嫌にメアを担いだまま、軽快な足取りで戦場を去っていくのだった。
 
 
 
 
 ──Happy Valentine...?
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