断末魔の悲鳴が、暗い廃屋の部屋に響き渡った。
生暖かい血飛沫が頬に降りかかる。鼻腔を擽る鉄錆の匂い。
肉を斬り骨を断った感触が残る掌を握り締め、静かに歓喜に打ち震える。
──今日はこれで何人目だ? だが、まだまだ足りないッ!
恋人達が愛を囁き合うこの特別な日に、道化師の唇が紡ぐは滅びのレクイエム。
花束の代わりに凶器を握り、花弁の代わりに血の雨を降らせる。
斯くも愉快なバレンタインデーが、果たして他に存在するのだろうか?
最高の舞台を用意したクライアントに感謝しつつ、逃げ惑う次の獲物に向かってナイフを振りかざす。
確かな手応え。ナイフは正確に急所を突いていた。だがそれだけでは飽き足らず、何度も何度も切っ先を掻き回し、凄惨な血の花を幾輪も咲かせる。
「安らかに眠るんやで……」
凡そ安らかとは程遠い表情を張り付かせた物言わぬ骸。
其れを見下ろす道化師が、愉悦を孕んだ声音で唄うように囁いた。
「ホンマ、ええ顔で逝ったな。絶望と恐怖に彩られ、苦悶に歪んだそのカオ……ああ、最高にイケてるで!」
「……それくらいにしてくれませんか。流石の私も引きます」
「何やねんイェスタ。エエとこやのに水差さんといてや」
わざとらしく溜息を吐くシーグフリードに対し、イェスタが呆れたように肩を竦めた。
シーグフリードの嗜血症は十分に承知していたが、返り血に塗れた姿で昂ぶられても気味が悪い。
こんな姿をあの子に見られたら、一体何と言われることやら。秘かに嘆息するイェスタだったが、彼女もシーグフリードと『同類』である事を思い出し、無用な心配であったと自分に言い聞かせる。
「なぁイェスタ、俺が何人殺ったか覚えてる?」
「知りませんよそんな事」
「ヤバい、テンション上がりすぎて数えんの忘れとったわ。これじゃ勝負にならんかも……」
本当は正確に把握していたのだが(それこそ誰を何秒前にどのように殺害したかを完璧に)、敢えて教えることもないだろう。
これはシーグフリードと彼女の駆け引きである。部外者であるイェスタが関わる道理も無い。それでもわざわざ此処まで付いて来たのは、彼の暴走を抑止する為に他ならない。
今日は機嫌が良いらしく、イェスタの危惧する事態にはならなかったが。
「……シグ、もう終わった?」
「おっ、メアちゃん。今ちょうど終わったとこやでー!」
古びた扉の軋む音。暗い部屋に光が差し込む。
逆光で姿はよく見えなかったが、シーグフリードは人影の正体にすぐ気付いたようだった。上機嫌でメアの元に駆け寄り、恭しく一礼する。
「ハッピーバレンタイン、シグ。そっちの戦果はどう?」
「うーん、それが調子乗ってしもて、ちゃんと数えてなかったんや。ははっ」
「シグもなの? 実は私も、数えるの忘れてて」
「なーんや。そしたらこの勝負、ドローっつう事かいな」
今日の任務でどちらがより多く殺れるか。
折角のバレンタインやし、俺達も何か楽しもうや──いつものノリでシーグフリードが持ち掛け、メアが嬉々として乗ったこの勝負は、結果的に引き分けという形で終わった。
負けた方が勝った方の言う事を何でも聞く、という罰ゲームを設けていたそうだが、その約束もチャラになってしまった。
あからさまに気落ちする2人の姿に、思わず苦笑してしまうイェスタなのであった。
「……そうだ、お互いの言う事を何でも1つずつ聞くのはどう? 引き分けだし、これなら公平だよ♪」
「おっ、それはいい考えやな! じゃあ、メアちゃんから先にどうぞ〜」
「ねえねえシグ、抱っこして、お姫様抱っこ!」
「お安い御用や……お、メアちゃんホンマ軽いなぁ」
凄惨な殺害現場であるこの場所で、一際楽しそうな笑い声が上がる。
「それじゃあ俺からのお願い。これから一緒に食事でもどうや?」
「いいよ。一暴れしたらお腹空いちゃった」
「俺もや。がっつり焼肉でもどうや、焼肉」
「うん。焼肉、いいね♪」
この状況でよく肉など食べる気になりますね……と、イェスタがこっそり突っ込んだ。
あちこちに散らばった肉片や臓器(と思しきモノ)を見遣り、流石のイェスタも胸焼けを覚えずにはいられなかった。
『人形』のイェスタですらこの有様なのに、生身の人間たるシーグフリードとメアは元気そのものである。お姫様抱っこのまま現場を後にして、仲良く何事かを囁き合っていた。
「赤ワインとか飲みたいわー。こう、血のように真っ赤なやつ」
「私もワイン、飲みたいな♪」
「あかんあかん、メアちゃんは未成年やからアルコールは禁止や」
「ええーっ。シグのケチ!」
……今日も平和ですね。ええ、本当に。
事後処理やクライアントへの報告の事は、完っ全に忘れてますね、あの調子だと。
とりあえず先に帰宅して、家の鍵でも閉めておきましょうか。一晩くらい夜風に晒されても大丈夫でしょう。何とかは風邪を引かないと言いますしね。
意趣返しを思いついたイェスタの口許が僅かに綻ぶ。そうとも知らないシーグフリードは上機嫌にメアを担いだまま、軽快な足取りで戦場を去っていくのだった。
──Happy Valentine...?